スキップしてメイン コンテンツに移動
 

都合の悪いことからは目を背け軽んじる風潮が深刻な日本

 花魁は今で言うアイドルよりも更に上の存在のスーパーウーマン、みたいなことを、吉原を特集したネット配信番組で言っていて愕然とした。近代以前の風俗(性風俗だけに限らない広義の風俗)に興味があるので見たが、吉原で働いていた女性の大半は借金を負わされて働かされていた、ということに一切触れない内容で、オリンピック組織委会長の女性蔑視発言が取り沙汰されている絶妙なタイミングでそれが配信されたことに大きな意味を感じた(給与明細 - 本編 - #129:レトロ×エロス吉原“令和の遊女のリアル”を体感 | バラエティ | 無料で動画&見逃し配信を見るなら【ABEMAビデオ】)。


 近代の遊郭やその周辺を描いた作品と言えば、五社 英雄監督の映画作品は欠かせないだろう。陽暉楼や櫂、吉原炎上、肉体の門などがそれに当たるが、どの作品でも遊女の華やかな側面だけでなく、その背景にある恐ろしく悲しい実状も描かれている。
 遊女の多くが人買いに連れてこられ意思に反して強制的に働かされていた、ということを無視して、花魁は今で言うアイドルよりも更に上の存在のスーパーウーマン、みたいなことを強調するのは、森のこれまでの放言・暴言をも軽んじ、「余人をもって代えがたい」とか、「指摘する機会を逸してしまった」「最後までまっとうしていただきたい」とか、「7年ちょっとにわたってものすごい大変なオリンピックの準備の業務をやって下さっていた。この点については、我々国民は感謝しないといけない」なんて言うのと同じだ。

 そうやって自分達にとって都合のよいことばかり強調して、都合の悪いことからは目を背けたり無視したりするから、社会の歪みがいつまで経ってもなくならない
 そう言えば自民党には、男女の人口比に対して議員数や擁立候補数が明らかにおかしく、つまり現状が歪んでいる状態なのにもかかわらず、議員や候補者の男女比について適正な比率を割り当てる「クォーター制は歪みが出る」と言った議員もいる。しかもこともあろうにそれを言ったのは、自民党内ではまともな議員という評価も多かった女性議員だった(2020年10/11の投稿)。

 2/7の投稿で「後手後手ではあるものの、一部のメディアに認識を改めた感がある」としたが、日本の政界や経済界は、今もまだ森発言や日本社会の歪みを正当化しようとしている。
 勿論、政界と言っても立憲民主党や共産党などからは「おかしい」という明確な意思表示がなされているし、経済界にも「おかしい」と言っている人が全くいないわけでもない。しかし、前述のように与党やJOCなどからは「おかしい」という声は殆ど聞こえない。それどころか、与党幹事長が、

二階幹事長、ボランティア辞退は「瞬間的」 五輪巡り - 東京オリンピック:朝日新聞デジタル

どうしてもおやめになりたいということだったら、また新たなボランティアを募集する、追加するということにならざるを得ない
参画しよう、協力しようと思っておられる人はそんな生やさしいことではなく、根っからこのことに対してずっと思いを込めてここまで来た
そのようなことですぐやめちゃいましょうとか、何しようか、ということは一時、瞬間には言っても、協力して立派に仕上げましょうということになるんじゃないか
(森会長には)周囲の期待に応えてしっかりやっていただきたいということを我々は心から念願する次第だ

と言っている。しかも朝日の記事では「そのようなことですぐ辞める」とされているが、二階が「そんなことですぐ辞める」と言った後に、党が「『そんなこと』は『そのようなこと』に訂正する」と文書で訂正したという経緯もある。

二階幹事長 森会長の女性蔑視発言は「そんなこと」 五輪ボランティア辞退で:東京新聞 TOKYO Web

そんなことですぐ辞めると瞬間には言っても、協力して立派に(大会を)仕上げましょうとなるのではないか

つまり二階や自民党にとって、森の女性蔑視発言は「そんなこと」、つまり「その程度のこと」という認識なのだ。更に二階は、

二階幹事長「特別に深い意味ない」「女性を心から尊敬」 ボランティア辞退巡る発言で:東京新聞 TOKYO Web

お互い冷静に考えたら、また、それぞれ落ち着いたお考えになっていくんじゃないかということ。特別深い意味はない
(森発言が不適切だったかどうかについては)内閣総理大臣をお務めになった党の総裁であられた方のことを、現職の幹事長があれこれ申し上げることは適当ではありません

とも言っていて、やはり彼にとっては「その程度のこと」だということは明らかだ。二階は「我々は男女平等で、ずっと子どもの頃から一貫して教育を受けてきた。女性だから、男性だからってありません。女性を心から尊敬をしております」とも言ってるが、口だけなら何とでも言える。これは女性のみならず全ての有権者を馬鹿にしているとしか言いようがない発言だ。

 日本の経済界を代表する者の1人とも言える経団連会長の話も酷い。

経団連会長 森氏発言「日本社会の本音」 真意は…|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

日本社会というのは、ちょっとそういう本音のところが正直言ってあるような気もしますし、こういうのをわっと取り上げるSNSっていうのは恐ろしいですね。炎上しますから

 森の示した女性蔑視を「日本社会の本音」としているが、それはある意味で間違ってはいないものの、森やその周辺等がそのような風潮を維持している元凶であるというニュアンスが一切感じられず、あたかも「それが普通」かのようなニュアンスを醸しており、更に問題をSNSで批判が盛り上がるのは恐ろしい、つまり適当とは言えないという話にすり替えるのは、全く酷いとしか言いようがない

 このような人達が、日本の社会に対して強い影響力を持つ地位にあるのだから、日本社会から歪みが一向になくならないのも当然だろう。女性向け月刊誌・FRaUが

森喜朗会長、二階幹事長…振り返ると驚愕する「政治家の差別的発言」一覧(FRaU編集部) | FRaU

という記事を公開している。見出しは森・二階となっているが、それ以外にも麻生や杉田など数々の政治家による女性蔑視発言がまとめられている。更に同性愛への蔑視も含めれば、問題発言はそれだけにとどまらない。

 問題発言をするのは自民党政治家に限らず、維新など一部野党政治家にも同種の者らがいるのも事実だが、なぜこれでもまだ自民党が政党支持率で1位なのだろうか。勿論、支持政党を決めるには他の要素も加味されるだろうが、差別や蔑視を平然と行う、容認黙認する政党は、他にどんなことがあっても支持できないのではないか。
 差別や蔑視とはそれ程人道に反することだ。それを軽視したり、批判せずに無関係を気取るのも、差別や蔑視への加担と同じだ。もし森がこのままその座に居座り、今後も森を擁護する政党が政権の座に居続けられるのなら、それでは本当に「日本社会の本音は女性蔑視は許容できること」ということになってしまう。この問題は既に世界中に伝わっており、明確に蔑視は許されないという認識が日本の有権者によって示されなければ、つまり森や擁護する者らをその座から追い落とさなければ、「日本社会の本音は女性蔑視は許容できること」という認識が世界中に広まってしまうだろう。
 都合の悪いことからは目を背け軽んじる風潮が深刻な日本。それはこの女性蔑視問題だけでなく、自衛隊日報隠蔽問題や森友学園/加計学園問題、そして桜を見る会問題、更には少子化や原発の問題など、更には喫緊の課題であるコロナ危機対応、ほぼ全ての政治や社会問題にそれが反映され、何も問題が解消しないどころか、それを食い物にする人達によるツケを一般的な国民が払わされているのが現状だ。

 トップ画像は、Shin bijin awase jihitsu kagami, Pl.7 by Santō Kyōden - Artvee を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。