カバチタレというマンガを今読んでいる。カバチタレは行政書士を目指す男が主人公のマンガだ。最初は行政書士の補助者として実務に携わり、続編では試験に受かり行政書士として活動をする。作中では、行政書士は弁護士よりも庶民的で身近な法律家として描かれていて、実際に誰にでも巻き込まれる恐れのあるトラブルが題材になることが多い(カバチタレ! - Wikipedia)。
原作者は実際の行政書士で、彼のモットーなのか、作中には「法律/法理論は所詮は机上の理屈。その机上の理屈に血を通わせていくのが、実務法律家の仕事」という旨の話がしばしば出てくる。法律を知っているだけでは役に立たず、それをどう用いて実際に問題を解決していくのかが重要、のようなニュアンスが込められているように思う。
法律は言葉で形成されるもので、複数の解釈が可能な場合が多々あり、どの解釈が妥当で、どんな解釈は妥当でないのかは、判例などによって徐々に定まっていく。先日判決が示された、同性婚を法的に認めないことの違憲性に関する裁判も、まさに憲法13条や14条や24条をどう解釈するかによって、同性婚を法的に認めないことが違憲なのか合憲なのかの判断が変わる裁判で、つまり憲法13条や14条と24条をどう解釈すべきかが、同性愛者ら原告と被告である国の間で争われた。
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因みに、今回札幌地裁が示した判断は、ざっくり言えば、
- 同性婚を法的に認めないことが、国民の幸福追求権(自己決定権)の尊重を定めた13条に違反しているとは言えない
- 婚姻は当事者の判断によってのみ成立するということが趣旨である24条は、制定時に同性婚を想定しておらず、また婚姻に関するその詳細は法で定めるとしており、直ちに24条に反しているとは言えない
- しかし同性愛者に婚姻を認めず、法律が異性愛者の婚姻だけを認めることは、万人の法の下の平等を定めた14条に違反する、つまり違憲である
である。憲法をどう改正するかよりも、憲法を改正すること自体が目的化してしまっている人達、若しくは、9条を改悪して武力行使ができる軍を持ちたい人達が、所謂お試し改憲を実現させる目的で、「現憲法は同性婚を認めていない、という判断を裁判所が示したので、同性愛者差別解消の為に改憲する必要がある」 のようなことを言っているが、札幌地裁が示した判断は「同性婚を法的に認めないのは違憲である」であり、「現憲法は同性婚を認めていない」ではない。なのでそのような主張は詭弁である。
憲法が保障する最低限度の生活とは。
— Tulsa Birbhum (独見と偏談) (@74120_731241) March 28, 2021
税と社会保障の一体改革とは。
多様な働き方とは。
そんな言葉に血を通わせ実態との整合性を作る、保つのが政治の役割。真摯な、丁寧な、責任、誤解、そんな基本的な言葉すら恣意的に用いる政治家が、それらの言葉に血を通わせるはずもない。 https://t.co/Td3uMC35cz
ぼうご なつこがツイッターに投稿しているマンガ・#令和の歴史教科書シリーズの、3/28の投稿「収入減と住宅危機」を読んで、前述のカバチタレの文句を思い出し、このようなコメントをつけてリツイートした。
「憲法が保障する最低限度の生活」とは、憲法25条が定めた生存権に関する文言だ(日本国憲法第25条 - Wikipedia)。しばしば生活保護受給要件に関して持ち出されるが、最低限度の生活はいかようにも解釈が可能だし、また時代や社会の状況によってもその内容は変わる。つまりこの文言を実態あるものにするのは、間違いなく政治の役割である。国や自治体が実態を無視した解釈を行えば、25条は有名無実化してしまう。
「税と社会保障の一体改革」とは、2012年末に自民党が民主党から政権の座を奪った際に、民主党政権が政権交代してもそれを実現することを自民党に約束させたものだ。消費増税して国民の負担を増やす代わりに社会保障を充実させる、ことを意味している。少子化によって増え続ける社会保障費の問題解決、財政健全化の実現とも関わる話なのだが、自民党政権は消費増税をする一方で、社会保障は削るということを続けており、その約束を形骸化させている。言い換えれば、無視し、反故にしている。
「多様な働き方」とは、自民党政権が働き方改革と共に掲げた労働問題解消のスローガンだ。労働人口低下、女性の社会進出促進の為に、働きたい時に働きたいだけ働ける状況、働き方/雇用形態の多様化という美辞麗句で政策を進めようとしたが、裁量労働制導入を正当化する為に統計データを捏造していたことが発覚した。また昨今、名ばかり個人事業主が社会問題化している。企業が労基法遵守を回避する為に、実質的には従業員なのに個人事業主として契約させるケースが増えている。
そんなことを意図したのがこのツイートだった。 言葉は言葉でしかなく、言葉だけでは机上の理屈に過ぎない。それをどう実社会に反映させ実態あるものにするのか、それが政治の役割である。それらの言葉を中身あるものにするか否かは政治次第だ。
「言葉遊び」という表現がある。そもそもはしりとりや回文、韻踏みのような、言葉を使った本当の意味での"遊び"を指すが(言葉遊びとは - コトバンク)、昨今では、卑怯で姑息な言葉の言い換え、すり替え、言い逃れ、ごまかしなどのこと指すこともある。現自民政権はそんな言葉遊びをこれまで頻繁に繰り返してきた。
特集ワイド:安倍政権の言い換え体質 | 毎日新聞
どれも都合の悪いことを隠したいが為の、悪い印象から有権者の目を少しでも逸らさせる為の印象操作に他ならない。ここには含まれていないが、昨日の投稿でも書いたように、改憲に関しても同様の印象操作をやっているのが、前首相の安倍だ。血の通わない実態とかけ離れた言葉による、その場しのぎの印象操作が常態化してしまっているのが、もう8年以上も続いている自民政権である。
そんなことを考えていたら、「女性活躍」というスローガンにも、男女平等を目指すとは言ってない、女性に活躍"させてやる"、などの意図があるのではないかと思えてきた。
そのスローガンの下で男女平等が実現に近づけばそうは感じなかったろうが、自民政権は202030・「2020年度までに指導的地位に女性が占める割合を30%にする」という、2014年に世界経済フォーラム・ダボス会議で、当時首相だった安倍自らも宣言した目標を、6年もの期間を経た2020年に先送りし、2020年代の可能な限り早期に実現すると方針を転換、簡単に言えば、目標達成できなかったから目標を撤回、しかも期限は設けないと言い出したのだから(2020年7/22の投稿)。
つまり、現自民政権は言葉を蔑ろにする政権、公約を平気で反故にする政権である。
一時期自民政権は、首相がコロコロ変わる不安定な状況は好ましくない、と声高に主張していたが、長ければよいというものではない。それどころか、内容に乏しいどころか、余計なことばかりする政権が変わらずに継続することは、首相がコロコロ変わること以上に悪い。
そんな政治を今後も続けさせるようならば、日本人は言葉を蔑ろにすること、約束を守らないことを厭わない国民性であることを認めることにもなる。言葉を大事にすること、約束を守ることは、法治や民主主義の基本だ。言葉を蔑ろにする政治、公約を平気で反故にする政治の黙認は、その放棄にも等しい。