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議論を尽くしたか否かは、時間や回数で決まるものでなくその内容に次第

 国家公務員の定年を65歳に引き上げる国家公務員法改正案などと束ねられた、検察庁法改正案を、「新型コロナウイルス感染拡大のどさくさに紛れた火事場泥棒のよう」と、立憲民主 枝野が断じたのは、約1年前、2020年5/11のことだった。それに関する記事「検察庁法の審議、枝野氏「火事場泥棒のよう」首相は反論:朝日新聞デジタル」には、当時の首相 安倍が反論したとあるが、国民からの批判は止まず、結局は廃案になった(検察庁法改正、いったん廃案へ 定年延長の修正検討も [検察庁法改正案]:朝日新聞デジタル)。


 今年もまた自公政権は同様の火事場泥棒をやろうとしている。それが国民投票法改正案であり、入管法改正案である。

 まずは国民投票法改正案について。改憲に意欲的な自公政権は、以前から国民投票法改正を目指してきたが、CM規制や外国人寄付規制、投票率に関する無効規定などが必要であるという主張がある中で、政府与党はそれらを盛り込まない改正案を出し、それらが必要でない合理的な根拠も示せないままに、連休明けの5/6に採決しようとしている。
 CM規制の必要性は、通販生活の意見広告がそれをよく示している。

通販生活の意見広告「9条球場」 - YouTube

CMをテレビ等でながしたり、この種の意見広告を新聞等に出すには広告料がかかる。つまり、お金を持っている側、お金をよりかけられる側の勢力が強い影響力を行使できるようでは公平公正とは言えない、ということだ。国会や地方自治体の首長・議員を選ぶ選挙には、広告に関する厳しい規制があるのに、なぜ国民投票では厳しい規制は必要ないと言えるのか。
 投票率による無効規定の必要性は、2020年11/2の投稿で、大阪で行われた所謂都構想に関する住民投票の結果を例にして書いた。さわりだけ説明すると、

こんな投票結果でも、国民投票が賛成多数と見なされて可決してしまう。このような結果は決して賛成多数とは言えない。棄権が多いということはつまり、国民投票にかけられた法案の良し悪しを判断できなかった人が多いということで、それは当該法案が生煮えということにほかならず、そんなものを可決するのは決して合理的とは言えず、だから最低投票率の規定は必要不可欠である。

 そのような指摘へ明確に反論したり、そんな規定は必要ないという合理的な説明も出来ぬまま、与党側は

これまでに4回質疑されたことから「審議は尽くされた」

として、憲法審査会で採決し、衆院を通過させようとしている(国民投票法改正案、自民・公明が5月6日採決、11日衆院通過へ | 毎日新聞)。

 議論の質は、議論に割いた時間や行った回数で判断すべきものではない。重要なのはその内容だ。例えば、4/30の投稿でも書いたように、どんなに早出残業をしていようとも、その時間をボーっと過ごしているだけなら、それは勤勉とは言えない。勤勉とは言えないどころか給料泥棒と言われかねない。そもそも未だに日本ではサービス残業、早出も含めて考えれば、給料の支払われない時間外労働の強要が横行しており、給料泥棒にはならないケースも多いが、勤勉とは言えないのことだけは確かだ。議論についても同様で、どんなに時間をかけようが、何回議論の場を設けようが、聞かれたことに答えずない人がいたり、フワッとした曖昧な話で押し切ろうとする人がいることで堂々巡りが起きているなら、決して議論を尽くしたとは言えない。
 つまり議論が尽くされたかどうかに関して、時間や回数だけを根拠に「議論は尽くされた」ことにとしようとする人というのは、実際は中身の薄い、場合によっては中身の無い議論しか行われていないので、かけた時間や回数しか根拠にできないと、と考えて概ね間違いない。

 昨年の同時期よりも新型コロナウイルス感染拡大がひどい状況で、こんなことをしようと言うのだから、それは火事場泥棒以外の何ものでもない。


 入管法に関しては、まだ「審議入り」の段階ではあるものの(送還規定見直し、疑問の声相次ぐ 入管法改正案審議入り:朝日新聞デジタル)、いずれ同じ様な「〇回審議の場を設けた」のような根拠で採決が強行されかねない。
 入管法改正案の問題点は、

  • 難民等の帰国できない事情を持つ外国人の人々が強制送還を拒んだ場合に刑事罰を科す
  • 難民条約等の国際法に反して難民認定申請者を強制送還できるよう例外規定を設ける

などである(史上最悪の「改正」に抗議、「人が人に行うことじゃない」―国会前で入管法改悪反対アピール(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース)。つまり、改正と称して、人道に反する改悪を、政府と与党がやろうとしている。
 これに関しても、スリランカ人女性が入管で死亡した件に関する国の対応、これまでの法務委員会でその件が取り上げられた際の法務大臣の答弁などに鑑みれば、まともな議論にならないことは、審議入りする前から容易に想像することができる。

「うそで血吐けるのか」入管で死亡の女性家族「記録と映像確認したい」 | 毎日新聞


 議論の場を設けた回数、議論に割いた時間だけを根拠にした、「審議を尽くした」なんて妄言を有権者は真に受けてはいけない。そしてメディアもハッキリと「議論を尽くしたか否かは、時間や回数で決まるものでなく、その内容による」と書くべきだ。
 しかし今の日本では、真に受けてしまう人が決して少なくないし、大半のメディアもハッキリとそう書かない。そう書かないことが公平公正な報道だと勘違いしているようにしか見えない。今年は衆院選が行われるが、この国はこの先一体どうなってしまうのか。


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