毎日新聞に幻滅した。数年前まで、毎日が日本で最もまともなメディアだと思っていた。しかし、徐々にその思いは変化し、何についても基本他人事のような毎日の報道は、決してまともとは言えないと考えるようになった。おかしいことをおかしいと書かずに、○○した/××と言った、とだけしか書かないのは果たして誠実か。今の自分には、全くそうは思えない。そしてそれは毎日だけに限った話でない。
今日、毎日新聞の何に幻滅したのか。それはこの記事だ。
池江璃花子選手、SNSで五輪出場辞退求められ「温かく見守って」 | 毎日新聞
このスクリーンショットが同記事の全てである。水泳選手の池江 璃花子のSNS投稿に関する記事だ。2020年8/21に、取材を行わずにテレビやSNSでの著名人の言説をただただ取り上げるだけの、所謂コタツ/コピペ記事が大手メディアにまで蔓延している、という指摘を書き、2020年11/22にも、河野 太郎のブログを取り上げただけで、そこに示された数字等の裏取り取材をせずに、ただただたれ流しただけの毎日新聞の記事を例に挙げ、再びコタツ/コピペ記事に関する批判を行った。
この池江についての記事も、紛れもないコタツ記事である。しかも池江の投稿をかなり端折っており、コピペ記事とすら呼べないような、所謂印象操作のキリトリ報道と言っても過言ではない内容だ。これを書いた小林 悠太と掲載した毎日新聞を心の底から軽蔑する。オリンピック開催機運を高める為に、恣意的かつ情緒的に「温かく見守って」という部分を強調しているとしか言いようがない。
池江の実際のSNS投稿は次の内容だった。
いつも応援ありがとうございます。
— 池江 璃花子 (@rikakoikee) May 7, 2021
Instagramのダイレクトメッセージ、Twitterのリプライに「辞退してほしい」「反対に声をあげてほしい」などのコメントが寄せられている事を知りました。もちろん、私たちアスリートはオリンピックに出るため、ずっと頑張ってきました。ですが、↓
今このコロナ禍でオリンピックの中止を求める声が多いことは仕方なく、当然の事だと思っています。私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけだと思っています。1年延期されたオリンピックは↓
— 池江 璃花子 (@rikakoikee) May 7, 2021
私のような選手であれば、ラッキーでもあり、逆に絶望してしまう選手もいます。持病を持ってる私も、開催され無くても今、目の前にある重症化リスクに日々不安な生活も送っています。私に反対の声を求めても、私は何も変えることができません。ただ今やるべき事を全うし、応援していただいてる方達の↓
— 池江 璃花子 (@rikakoikee) May 7, 2021
期待に応えたい一心で日々の練習をしています。オリンピックについて、良いメッセージもあれば、正直、今日は非常に心を痛めたメッセージもありました。この暗い世の中をいち早く変えたい、そんな気持ちは皆さんと同じように強く持っています。ですが、それを選手個人に当てるのはとても苦しいです。↓
— 池江 璃花子 (@rikakoikee) May 7, 2021
長くなってしまいましたが、わたしに限らず、頑張っている選手をどんな状況になっても暖かく見守っていてほしいなと思います。
— 池江 璃花子 (@rikakoikee) May 7, 2021
毎日の記事は、この一連の投稿から、最後の一節「わたしに限らず、頑張っている選手をどんな状況になっても温かく見守っていてほしい」を強調し、見出しにもした。一応一連の投稿の概要は記事本文に付け加えられているものの、それで池江の主張の趣旨が伝わるのかと言えば、そうとは思えない。大した分量ではないのだから、記事化するなら、せめて当該SNS投稿へリンクをするか、WEB記事ならこの投稿と同様に引用して、紙の記事なら全文引用して読めるようにすべきではないのか。それをやらないから印象操作のキリトリ報道に見えてしまう。というか、そのキリトリ方が記者や毎日の姿勢と見えるのも当然だろう。
この投稿の趣旨は、毎日新聞記事への批判だけでなく池江の姿勢に対する批判でもある。ここからは池江の姿勢への批判だ。
池江の投稿の中で最も賛同出来ないのは
私も、他の選手もきっとオリンピックがあってもなくても、決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけ
という部分で、特に「決まったことは受け入れ」である。賛同出来ないどころか、ハッキリ言って、正気でない、と批判せざるを得ない。
今日本では、深刻な程感染が拡大していて、特に大阪では、人口比で考えれば、現在最も深刻な状況の国であるインドよりも死者が出ている。そして既にオリンピック開催予定時期は2カ月に迫っている。その状況でもIOCや組織が開催すると決めたら、池江はそれを受け入れると言っている。オリンピック開催には医療関係者が駆り出されるし、そもそもワクチン優先接種は選手だけで、運営ボランティアに関して、国は接種を考えていないと言っている。つまり開催は多くの人を感染の危険に晒し、更に医療リソースも、既に疲弊し医療崩壊しているような現場から奪うことになる。それでも「開催が決まったら受け入れる」?もし本気で言っているなら、池江や、同様に考える選手には人の心を捨ててしまっている。
選手らはオリンピックを目指してきたかもしれない。葛藤するのも当然だ。だが、それは人の命や健康を危険に晒してまでやるものじゃない。次の大会もあるし、オリンピック以外の大会もある。そして自分の目指したイベント、準備してきたことを、この状況ですべきか否かに葛藤するのはスポーツ選手だけじゃない。殆どの人がリスクを指摘されて中止や延期を余儀なくされてきた。スポーツ選手やオリンピックだけが特別?いや、そんなことは絶対にない。
「オリンピックむり!」立川の病院、窮状訴え いいね20万件超 | 毎日新聞
この病院の委員長は「選手の方たちの努力の積み重ねや関係者の開催に向けたご尽力を考えると、非常に心苦しく思う。しかし、現実的に、感染拡大の可能性のあるオリンピックの開催には反対せざるを得ない」とまで言っている。このような話を目の当たりにしても尚、池江は、IOCや組織が開催すると決めたら、それを受け入れて参加すると言えるのか。それこそ、自分が病に侵された時に応援してくれた人達を裏切る行為ではないのか。
そして「決まったことを受け入れる」というのは、まさしく日本人の悪い癖、自分の頭で考えずにただただ上に従う、という傾向を絵に描いたような話だ。特に上下関係にうるさい日本のスポーツ界では、このような姿勢が称賛されるのだろうが、自分の頭で考えられない人を生み出すなら、スポーツ界全体を軽蔑する。
今回のようなケースなら、いくらそこに選手としての葛藤があっても、自分の頭で考えて判断をすべきだ。自分の頭で考えられない者、判断を示せない者はスポーツ選手として有能と言えるか。自分は言えるとは到底思えない。
自分の頭で考えることをせずに、上に従う自分を温かく見守って欲しい?そんなのは絶対お断りだ。池江には白血病を克服したという美談、病を乗り越えて代表の座を獲得したという美談などもあって、この彼女のSNS投稿を擁護する人も多いようだが、そうやって情緒的なことに偏ってしまえば、見るべきものを見落とすことになる。
もういつからか毎日のように書いているが、自分の尻に火がついてから正気になっても手遅れになる。自分や家族や友人が直接的に危険に晒されてから正気になっても遅いのだ。