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排除する国

 排除されない、ということはございませんで、排除いたします。これは、2017年衆院選を前に、現都知事の小池 百合子が、希望の党代表として発した言葉だ。前年の都知事選で勢いづいた小池が希望の党という国政新党をつくり、前原が代表だった野党第一党・民進党を飲みこもうとした際に、民進党の全てを受け入れるのか、と問われた際の発言である。この言葉は、民進のリベラル派は受け入れない、排除する、ということを意味していた。


 政党とは、同じ政治姿勢・政治的指向の者が集まった集団であり、基本的には党の考えとは異なる政治家を受け入れない、受け入れられない、のは当然である。政治家の中には、政治姿勢とは関係なく当選だけを目的として、所謂選挙目当てで、それまでの所属政党とは真逆の姿勢の党にすり寄る者もいたりする。勿論、政治姿勢が変化したという言い訳もできるだろうが、そんなに簡単にコロコロと姿勢が変わる者は政治家として受け入れ難いし、受け入れてしまう政党も、政治そっちのけで政局争いをしているだけだろうから受け入れ難い。
 なので、中道右派(少なくとも当時はそう見えた)の希望の党が、中道左派-左派的な姿勢の政治家を受け入れないことに大きな問題がある、とは言えないだろうが、小池は明らかに言葉選びを誤った。この排除発言をメディアは大きく取り上げ、民進党は希望と立憲民主に分解し、その結果与党自民が大勝を収めた。希望は小池の排除発言で大きくポジティブな印象を損ない、惨憺たる選挙結果となった。それが2017衆院選だった。

 当時、この小池の排除発言について、印象が歪められたとか、ネガティブなイメージが強調されたとして、小池を擁護する声もあった。

3つ目のプレジデントの記事が典型的で、あたかもSNS上で小池の発言が歪められた、かのような見出しだが、果たしてその見解は妥当なのか。個人的には、この記事を書いた 上野 陽子なる人物の方が、たらればに基づいて真実を歪めた記事を書いているようにしか見えない。この見出しは確実に小池は嵌められたという印象を煽り過ぎている。
 確かに、希望が民進左派を受け入れない、ということに関して最も重い責任は、当時の民進党代表だった前原にある。小池の出したその条件を前原は受け入れており、つまり民進党を売ったと言っても過言ではないだろう。小池としても勢力拡大の為に民進右派を引き入れたかったのだろうが、左派は受け入れないという条件を認めた党代表 前原の方が、明らかに責任は重いだろう。
 また小池は、記者の「排除するのか」という質問に答える形で「排除いたします」と述べており、排除という表現は誘導されて用いた表現、とも言える。しかし、小池が自らの口で「排除いたします」と述べたことには違いない。政治家は為政者となった際に、自分の支持者だけに向けた政治をしてはならない。政治家は支持者の代表ではなく、その国や自治体の代表であり、支持者以外を優先する、非支持者を排除する政治をしてはならない。小池の排除発言は、多くの国民に対して、希望政権になれば支持者以外は排除される、という印象を強く与えた。だから希望の印象は大きく落ち、2017衆院選で大敗を喫した。


 前述のように、小池の排除発言は、真実とは異なる印象を与えるものだった、歪められた印象が流布された、のようなことを言う者もいたが、果たしてそれは本当だったか。自分には全くそうは思えない。確かに小池が言ったのは「公認しません」ということだが、それを「排除する」と表現したのは小池自身である。排除するのか、という質問に答えたとはいえ、自らその表現を選んだことに間違いはない。

 また、それ以外にも歪められた印象とは言えないと言える理由がある。2020年12/11の投稿でも触れたように、都庁は2020年11月に、民間有志による困窮者への食品配布や生活相談会を排除するかのように、敷地にカラーコーンを配置した。しかも新型コロナウイルス感染拡大によって、困窮者が増えていた状況で。

都庁が無情のコーン再び設置 「これでは弱者の敵だ」 困窮者はよけながら食品受け取り:東京新聞 TOKYO Web

 そして昨日、BBC日本版が、東京オリンピック開催が決まった2013年以降、都はホームレスを厳しく取り締まって排除してきたことに関する記事を掲載している。これは日本版だけでなく、勿論英語版にも掲載された記事である。

【東京五輪】 なるべく見えないよう……都心から排除されるホームレスの人々 - BBCニュース

 また6/4の投稿でも触れたように、都だけに限ったことでなく、オリンピック開催にかかわらず、ホームレス排除ベンチなどの排除を目的とした設置物は、数年前から何度も指摘や批判がなされているのだが、都内にも無数にホームレス排除設置物が存在している。

 このようなことに鑑みれば、小池は明らかに排除気質の政治家である。記者の質問に誘導された要素もあるものの、排除発言は小池の排除気質がそのまま表面化しただけのことであり、歪められてもいなければ、印象操作でもなかった、としか考えられない。


 排除と言えば、排除をやっているのは小池だけではなく、これも6/4の投稿で書いたように、そもそも日本人が全般的に排外的な気質を持っているとも言えるだろう。
 昨年・2020年4月、厚労省は、所謂水商売や性風俗業を「公金を投じるのにふさわしくない業種」として、一斉休校の影響で休職した保護者の支援策である休業補償制度の対象から排除した。

ナイトクラブや風俗業、休業補償の対象外 厚労省「公金助成ふさわしくない」に批判 | 毎日新聞

 厚労省が行うのは感染症対策の一環であり、それが趣旨ならば、非合法に働く者も含めて補償するが筋だ。感染予防の為に人との接触を極力避けてもらうのが目的の休業補償であり、ウイルスは合法労働・非合法労働関係なく広がるのだから、非合法だろうが休業補償して休んで貰うのが正しい。
 しかも、ここで排除対象とされた水商売や性風俗業は、届出をして、若しくは許可を得て合法的に行われている事業であり、それを排除するというのは明らかな職業差別である。これは万人の法の下の平等を定めた憲法14条にも反する。感染症対策に関連して、国民の健康と労働をつかさどる国の役所・厚労省が職業差別をやったのだ。もう厚生も労働も名乗るのに相応しくないのが厚労省である。

 性風俗業への排除は更に酷く、現在、店舗型風俗店の新規オープンはおろか、既存店の補修も許可が下りない状態になっている。これは、性風俗業をいかがわしいものとして、町から排除する為の方針である。勿論認可に関する権限は行政が持っており、性風俗業を排除しようという行政の意思が如実に表れている。
 現在でも所謂デリへル、店舗を持たずホテルや客の自宅に性的サービス従事者を派遣する業態、無店舗型風俗店であれば新規オープンできる。しかし、無店舗型は店舗型風俗店に比べて働く女性のリスクが大きい。店舗型風俗店には所謂ボーイと呼ばれる男性従業員も常駐しており、客から暴力を受けるなど何かあればすぐに助けを呼べるが、無店舗型ではなかなかそうはいかない。また、昨今はカメラの小型化・高性能化が顕著で、店舗型風俗店では客がカメラを設置するのは難しいし、怪しいものはすぐに気付けるだろうが、客が先にホテルで待つデリへルだと、客はカメラを隠して設置するのが容易だ。自宅なら尚更である。
 このように、無店舗型は店舗型に比べて、働く側のリスクが高いにもかかわらず、行政はどこも軒並み、店舗型風俗の新規出店、既存店も改築や補修を認めないことで排除しようとしている。店舗型風俗の排除は、BBCが報じた、オリンピックの絵ヅラに相応しくないのでホームレスを排除しようという行政の姿勢と全く同じだ。


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