得意という意識があるものはどんどんやりたくなくなるし、苦手意識のあることは、誰でも敬遠しがちだ。下手の横好きなんて慣用表現もあるが、その場合下手というのは他からの評価で、本人は下手と思ってない場合も多い。謙遜して、下手の横好きですから、なんて言う場合もあるだろうが、下手なりに一過言あることも多いだろう。
そんなことを考えたのは、今朝この漫画を見たからだ。
違和感なくできる事。自然に歩ける道。やめるという選択肢が想像できない事。フォローで応援、違和感ないです。いいねでペンギンが10秒飛びます。リツイートでシマウマのシマが反転します。#漫画 #エッセイ #自然体 #宿命 #適性 pic.twitter.com/hHsxPOTwMO
— 星野ルネ (@RENEhosino) August 27, 2021
勉強が楽しい、と休み時間まで勉強している同級生を見て驚く作者と、絵を描くことが好きで1日中絵を描いていたい作者の横で、図工の時間に絵を描くことが苦痛な同級生が描かれている。
自分は社会科系科目が好きだったので、特に歴史などは授業でやるよりも先に教科書や資料集を熟読し、休み時間に図書室で世界の偉人などの本を読んだりもしていた。しかし算数には苦手意識があり、予習なんてやったことがなく教科書はまっさらだった。そしてそれを決定的にしたのは、中1の時の担当教員だったかもしれない。地理の先生の授業は面白く、数学の先生の授業は退屈だった。勿論、それ以前からあった教科自体の好き嫌いも手伝ったんだろうが、数学の先生は他の生徒にも人気がなく、人間的にも好きになれないタイプだった。中学から高校まで一貫して、社会科科目の評価は常に5(最高評価)、数学系科目の評価は常に赤点、追試は皆勤賞という極端な生徒だった。
大学生だった90年代後半は、まさにPC/インターネットの普及黎明期だった。自分は情報系の学部に入ったので、HTMLを使って何かしらのWebサイトを作る実習もあった。勿論Webページ作成ソフトは使わずに、HTMLやCSSを手書きしてサイトを作る実習である。HTMLの仕組みはそんなに難しくはなく、特に苦手でもなかったが、Webページ作成ソフトがあるんだから、あらかたそれで作って、それをチェックしつつ細かいところを整えればいい、と考えるタイプだったので、HTMLなどを積極的に学ぼうという気はなかったが、絵を描くことは好きだったので、サイトで使う画像を用意する為の画像編集や加工には強い興味を持ち、積極的にやり始めた。
やり始めると、思い通りに出来たら楽しくて更にやるし、ある程度得意意識が出てくると、思い通りにならないのは悔しくて出来るようになるまでやったりする。それが循環してそれなりの技術や知識が身についていく。映像にも興味があったから、00年代初頭から友達のバンドのMVを作ったりもしていたので、並みのYoutuberと同じレベルくらいには動画編集も出来る。ただ残念なことに自分には、ディレクター的な素養というか、ネタ作りの素質があまりない。もしかしたらそれも、苦手意識をもっているからできないだけなのかもしれないが。
そんな風に積極的にやっていることなど、誰にでも、これだけはそこらへんの人には負けないくらいの自信がある、ってことが1つくらいあるものだが、昨日の投稿と一昨日の投稿では、オタクやマニアの悪い癖について書いた。というのもこの数日、自分の知識力に自信があり、それを根拠に兎に角マウントを取りたいオタクっぽい人達複数から、2つの件で同時に絡まれていてウンザリしていたので、そのストレスを溜めない為にも、考えをまとめて文章化した。
自分にもオタク気質が確実にあり、「そんなことも知らねぇの?」という態度をとってしまうことがたまにある。でも、そんな風に言いたくなることの殆どは、別に知らなくてもどうってことないことが多い。しかしそれが好きな人の界隈では、それは一般常識であり、だから「そんなことも知らねぇの?」と言いたくなってしまうのだ。
自分もそちら側になることがあるから、その気持ちは分からなくもないが、そんな態度は誰も幸せにしない。いや、それをやった本人だけは一時の満足感を得られるかもしれないが、やられた側は、○○マニアって変な奴が多い、とか、○○オタクは人間性がひどい、というレッテルを貼りたくなるし、あからさまにレッテルは貼らなくても、その属性へ悪い印象を抱くようになるので、それをやった者だけでなく、その属性全般に対する印象を悪化させることになる。場合によってはオタクやマニア全般の印象悪化につながってしまい、結果的に誰も得せずに、みんなが損するだけの結果になる。
「そんなことも知らねぇの?」みたいなことをやるのが、知名度もそれほどない一般人のオタクやマニアなら、その影響も限定的なのだが、ある程度知名度がある人がそれをやってしまうと影響も大きい。なぜなら、知名度の高い人の発言はWebニュースになって拡散されたりもするし、SNSで多くのフォロワーを抱えていれば、その発言が拡散されることになる。つまり「そんなことも知らねぇの?」のような、マウンティングを受けた当事者だけでなく、その行為を傍らで見ていた人にも、その人が持つ属性全般への悪い印象を抱くことになってしまう。
理性的には、多くの人が、その属性の人が全般的にそのような人達ではない、と分かっていても、知名度のある人がマウンティングみたいなことをすると、少なからず同調する同属性の人が出てくる為、どうしても、その属性の人全般に対して嫌悪感を抱いたり、警戒心を持つことになり、印象の悪化が起きる。また、同属性の人が沈黙していたら、身内に甘いとか、無責任のように見えてしまう、ということもある。だから1人の行為がその属性全般の印象悪化につながってしまう。
医クラの皆さんは、自説が完全にいつも正しい訳ではない、と謙虚になっていただきたいものです。
— tomokoy MD,PhD (@tomoko0913natu1) August 24, 2021
自説と異なる人を叩いたり、これが正しいのだ、と強く言うことは、一般の人から見て怯えこそすれ、安心感や心を開くことに繋がらないでしょう。
精神科医からのお知らせでした🙇🙇
このツイートを読んで、それとほぼ同じことを連想した。新型ウイルスの感染拡大当初、検査抑制論を唱えた専門家が少なくなかったこと、政府お抱え専門家集団の長である尾身が、GOTOトラベルなる旅行促進政策に関して「旅行は感染を広げない」などと、県外への移動は極力避けろ、と言っていたことと全く矛盾する説明・擁護をやり、その間違いを未だに認めてもいないことなどから、自分は1年くらい前から、感染症の専門家全般に不信感を持っている。勿論、よく見れば妥当なことだけを言っている人もいるのだが、人となりを判断する要素が芸能人やスポーツ選手ら程は多くない為、基本的に信用しないところから入る。
更に、テレビや新聞などがコメントを求めることもある専門家の中には、SNS等でこのツイートが指摘しているようなことを平気でやる人達が複数いて、まさにそれが不信感の元凶でもある。
このツイートでは、いつも常に自分が正しいと過信するな、という趣旨のことを言っているのだが、もし言っていることが絶対的に正しかったとしても、専門家を自称する人が高圧的に「そんなことも知らねぇのか」とやるべきでない。そう思うのは、前述のオタクやマニアなどの話と同じ理由からだ。
確かにSNSには、横柄な態度で絡んでくる者もいて、多くのフォロワーを抱えていたら頻繁にその種の人に絡まれるだろうから、目には目を歯には歯を、売り言葉に買い言葉で応じたくなるのも分かる。だがSNSには、それを見ている第三者も大勢いて、その人達の専門家不信につながる恐れがある。だからどんなに言ってることは正しくても、そういう態度は控えて欲しい。勿論一切反論も反応もするな。と言ってるわけではない。口汚い言葉で応戦することや、上から目線に見える対応は適切でない、という話だ。
オタクやマニアとは少し違うが、何かに長けているという自負がある人、という意味では、専門家と呼ばれる人達、自称する人達にも似た側面があるんだろう。勿論、専門家全般がそうではない、と理性的には分かっていても、感情的な部分を完全に抑え込める人はそうそういない。影響力のある人には相応の社会的な責任もある。こんなご時世だからこそ平時よりも更に。また、そのような人を登用し対策に起用する政治、そのような人に取材し、コメントを求め、影響力を与えてしまう側、つまりメディアにも、そのような人の適切とは言えない振舞いで生じる悪影響の責任はある。
トップ画像には、専門家=Expert ということで、日産が且つてラインナップしていたエキスパートの画像を使用した。この、アベニールの商用車版だったエキスパートは、このモデル1代限りで消滅し、ADバンと統合され、ADの上級仕様がADエキスパートとなった。現在もADエキスパートと同型車種を日産はラインナップしているが、2016年に全てのモデルをNV150 ADへ改称、2021年には車種名が単に ADとなった。現在はそのグレード名・エキスパートLX/GXとしてその名が残っている。