スキップしてメイン コンテンツに移動
 

やはり日本人には思いやりがない

 自分が車を運転していると、道に広がって歩き後ろから車が来ても我が物顔で歩き続ける歩行者は邪魔だな、とイライラするし、自分が歩行者や自転車の時は、自分の脇をスピードも落とさずに通り過ぎていく車は危ないな、とイライラする。

 道に広がって歩くのはダメだし、歩行者などと安全な距離がないのに徐行しないのもダメだが、自分が歩行者又は運転者の場合は、ついやってしまっていることもある。ついつい自分もやってしまうようなことでも、立場が変わるとそれにイラつき、しかしまた別の立場になるとイラついたことを忘れてやってしまう。程度の差はあれど、誰にでもそのような面はあるのではないか。
 大抵どこの国でもそうなんだろうが、少なくとも日本では幼い頃から「相手のことも考えなさい」「相手の立場になってみなさい」と教えられる。しばしばそれが行き過ぎてしまい同調圧力に転換してしまうことが少なくないのは日本社会の問題点でもある。しかし、だからと言って逆方向に振れ過ぎて、相手のことなんて一切考えない、自分のことしか考えないなんてのも考えものであり、最近は自己責任論を振りかざして、今だけ自分だけよければそれでいい、なんて人も少なくない


 スマートフォン用ツイッターアプリの仕様で、当該動画を含むツイートを引用リツイートするのではなく動画だけを転載出来てしまうのだから、このようなツイートを全否定はしづらい。だが、個人的には動画だけを転載せずに元のツイ―トごと引用リツイートするべきだと思う。あたかも自分の動画のように動画だけ転載するのは好きじゃない。そしてそもそも、この動画をツイ―トしている元のアカウントも、適切な手順を踏んで様々な動画をツイ―トしているのか、それとも無断転載しまくっているのかも分からないから、普段なら触れずにスルーしてしまう。
 だがそれは個人的な線引きなのかもしれない。自分は他人の動画を無断転載するようなことはしないが、何かを紹介する際などに、ネット検索した画像をそのままツイ―トすることがある。誰かの描いた絵や撮った写真を自分の作品と称してツイ―トするとか、そう匂わせるような方法でツイートすることはしないし、有料で配信している作品を勝手にまるまる頒布するようなこともしない。マンガの1部をツイートするようなことは、厳密には無断転載だろうが、最近は黙認される傾向にもある。ただそれでも真っ白とは言えない似たようなことをやっている自分がいるのに、自分の線引きで他人のツイ―トを嫌悪しイライラする。それは冒頭で書いた歩行者とクルマの関係に少し似ている。


 ただ、このツイートに触れた理由、この投稿で主に言いたいことは前段の話ではなく、このツイートにぶら下がっているリプライについてだ。

 道路を渡るなら横断歩道を渡れ、それは確かにその通りだ。勿論何も間違っていない。しかしそう切り捨てるのはいかがなものか。それはあまりにも冷たい。中には ババア笑笑笑 なんて悪態をついている者までいる。
 なぜここに老婆がいるのか。その理由は色々と考えられる。路面電車から降りたところであるとか、かなり遠回りしないと横断歩道がなく、足腰が悪くそこまで歩けずに仕方なく横断しているなど。そして、もし老婆がそのような事情もなく無理矢理渡ろうとしていたのだとしても、道路の半ばで立ち往生している老婆を見て「自業自得w」のようなことを言うのは性格が悪すぎる。冷たさアピールしたい人は可哀想だ。


 このような話はこれに関してだけのことでない。生活保護は甘え、鬱は甘え、貧困は自業自得、非正規雇用は自業自得など、同じような話が社会のあちらこちらに見られるのが日本の現状だ。ベビーカーを押しつつもう一人幼い子を連れている母親が、駅の階段で困っていても手を貸す大人がいない、なんてケースもしばしば目にする。

これらの記事のようなこともしばしば話題になる。また今月の初めに、飲食店で在日コリアン差別をやる客の動画が話題になっていたことについて、ソウル・フラワー・ユニオンのボーカル・中川 敬がこんなツイートをしていたが、

本当にその通りだ。
 勿論全ての日本人が他人のことなど一切お構いないなしで、自分の都合しか考えないクソ野郎だと言うつもりはない。しかし日本社会にはクソ野郎が少なくないことは事実である。クソ野郎が極少数派ならば、少なくとも朝日新聞の記事のような話は出てこないだろう。


 11/1の投稿でも書いた件もあるし、やはり日本人には思いやりがないと言っても過言ではない。11/25の投稿でも触れたが、同性婚(や選択的別姓)に否定的な自民政権を選ぶ日本は、本当に人権意識が低いし、他人を慮ることが苦手、下手、消極的だ。 タリバンが女性が出演するドラマを放送するなとか言っているようだが、自民政権も大して変わらないじゃないか。 日本人がタリバンを時代遅れと笑うのは滑稽だし、批判しても説得力に欠ける。
 今目の前にある対立軸は、保守かリベラルか、なんてレベルではなく、同性婚や選択的別姓すら認めず、候補者男女均等法も無視する、平等や権利を無視する勢力か、憲法を順守し万人の平等や基本的人権を尊重する勢力か、だ
 このおよそ10年、日本社会では、人権/平等無視か尊重か、そんなクソみたいなレベルで対立が生じていて、日本の有権者は前者の政治を選び続けている。そんな国の国民に思いやりなんてあるわけない。



 トップ画像には、拍車 工場 とげのある - Pixabayの無料写真 を使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。