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受け身すぎる姿勢がそもそも問題

 維新の支持者について「テレビに洗脳された”情弱”」の認識持ってる人がいるならそれは改めた方がいい、そんなツイートが目に付いた。テレビで情報を得て判断材料にするのは何も悪いことでない、とし、問題はテレビの情報を受け取る側でなく、維新以外にとってあまりにもアンフェアな発信をする側にある、つまり問題の元凶はテレビだと言うのだ。


 テレビに問題がある、というのは全くの同感である。それについてはこのブログでも何度も、テレビに限らず日本のメディア全般に問題がある、という指摘をしてきた。しかし、問題はテレビであって、それを見て維新(または自民)を支持する人たちに問題があるとは言えない、のような主張には全く賛同できない。

 たとえば、テレビを判断材料として、その影響を強く受ける人たちが、充分な判断力が備わっていない未成年であれば、外側からの影響が悪い、という話も理解はできる。しかし、維新の支持者も、積極的か消極的かに限らず自民の支持者も、みな分別の備わった成人だ。つまり、テレビにも問題大アリだし、鵜呑みにする側にも問題大アリなだけだろう。
 自分の家族など近しい者、好きな芸能人などが、維新支持者になてしまって、しかしそのおかしさには気付いている  のような場合に、外的要因を求めてしまうのかもしれない。でもそれは、「うちの子はそそのかされただけで、そんなことするはずない」みたいなバイアスでしかない。

 1/27の投稿で、マンガやアニメなどのロリコン表現について、成人であっても未成年を性的に描いた作品に影響され、現実で真似る人が生じる恐れがある、と言う人もいるが、それはその種の作品の問題ではなく真似る人の問題だ、と書いた。念のために書いておくが、勿論ゾーニングが必要ということは否定していない。寧ろ積極的にすべきだと考える。
 その理由で表現自体を否定できるのであれば、空手などの武道を習うと、暴力行為に使う人が少なからず生じるので禁止とか、犯罪や戦争がテーマの映画やドラマやゲーム、そのような要素を含む映画やドラマやゲームなどは、感化されて真似る人が生じるので禁止、なんて話にも合理性があることになってしまう。 もっと言えば、現実を伝えるニュースだって少なからず人の行動に影響を与える。放火や通り魔事件が起きてニュースになると、大抵それを真似たとする同様の事件が発生してしまう。でも、だからニュースで報じることを禁止しよう、とはならない。成人であってもそのような性的な作品に影響され、現実で真似る人が生じる恐れがある、と言う人もいるが、それは作品の問題ではなく真似る人の問題だ、はそれと同じだ。
 つまり、テレビに問題があるのだから、それに影響されてしまう人よりもそちらが問題だ、というのは、ある意味では責任転嫁だ。

 戦前ドイツの例を考えたら、テレビが問題であり、それに感化される人に問題はない、が如何に無理筋か分かる。戦前のドイツではナチのプロパガンダが猛威を振るって、それによってナチは民主的な手続きで独裁を構築した。その結果、第2次世界大戦を引き起こしたし、ユダヤ人の大虐殺も行われた。もし今ドイツ人たちが、我々の親や祖父母の世代はナチに騙されただけで、つまり大半のドイツ国民には、ナチの非道の責任はない。寧ろ被害者だ。と言ったら、他の国の人たちはどんな反応を示すだろうか。とりわけユダヤ人たちはどんな反応を示すだろうか。そんなことはいちいち説明するまでもない。
 つまり、テレビに騙されて悪政を支持しているだけなので、有権者に問題はないとか、問題があるとは言えないなんてのは、そんな馬鹿げた話である。


 自分は安保関連法案の頃にテレビ報道に疑問を持ち始めた。それはテレビ報道全般についてだが、NHKを例に上げれば、まずは報道姿勢に疑問を感じたが、それでも報道以外は概ね問題があるとは言えない、というスタンスで、それでもテレビを普通には見ていた。しかしそれから徐々に、NHKの存在意義の大きな柱である報道の異様さについて、内部の人たちや関係者が全然異議を呈さず、無関係のようにふるまっている状態が続いた結果、報道以外にも不信感が生じ始めた。そして決定的だったのは。2019年夏に日韓政府の対立が深まった頃、NHKを始めとしたテレビ全般が、自国政府関係者の汚職よりも韓国法相候補のスキャンダルばかりに注目するような、嫌韓報道とも言える状態に染まった為、最早テレビは見る価値なし、という判断にいたり、報道だけでなく他の番組も含め、ほとんどテレビを見なくなった。
 つまり、テレビを何気なく見ていたとしても、その異様さに気づけない、騙されても仕方がない、なんてのは詭弁だ。騙される人もいるかもしれないが、自分の頭で考えようとせずにテレビの伝えることを鵜呑みにして、騙されてしまうことにも確実に問題がある


 最近、1/28の投稿で取り上げた、立憲の菅 直人が維新の元代表・橋下 徹をヒトラーのようだと批判した件に関して、テレビでは橋下の「欧米ではヒトラーに例えるのはご法度」とか、一部の有識者面した人が言っている「ヒトラーに例えるのはヘイトスピーチ」なんてデマを、あたかも事実かのように伝えているケースが複数ある。そんな話はデマである、ということは、欧米の報道に少しでも触れていたら、ヘイトスピーチとは何かを理解していたら、すぐにわかるはずだ。
 たとえば、実際には関東一体で雨が降っているのに、「外は晴れている」と言う人の主張を、否定もせず、窓の外の状況を見もせず、つまり検証もせずに電波に乗せるのは、フェイクニュース以外の何ものでもない。そしてそれは誰にでもすぐにフェイクニュースだと分かる。外を見れば雨が降っていることがすぐに分かるのに、テレビの「晴れている」という話を鵜呑みにして友人や知人にふれ回れば、その人は嘘つきと認識されるだろう。その際に「いやテレビがそう言ってただけ、自分じゃなくてテレビが悪い」という話が受け入れられるか? 少し考えれば分かるのに、そんなあからさまな嘘を信じる方もおかしい、と言われるだけだ。


 テレビ、そして現在の日本の報道全般に問題があることは間違いない。しかし、それにばかり責任を求めて、自分達はテレビに騙されただけ、みたいなことを言うのは、責任逃れでしかない。少し考えればわかるようなことを考えもせず、少し確認すればおかしいとわかるようなことを確認もせずに、鵜呑みにする側にも問題があることは間違いない。そんな受け身すぎる姿勢がそもそも問題の元凶ではないだろうか。



 トップ画像には、a man holds his head while sitting on a sofa photo – Free Therapy Image on Unsplash を使用した。

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