ロリコン、児童ポルノとはなんなのか。その定義について、昨夜の DOMMUNE を見ながら考えていた。昨夜の DOMMUNE は、「『あんどろトリオ』完全復刻記念!!!!! 萌えアートの始祖・内山亜紀からの贈り物 - もうひとつの「非現実の王国」-」という企画だった。
■『あんどろトリオ』完全復刻記念!!!!!萌えアートの始祖・内山亜紀からの贈り物 - もうひとつの「非現実の王国」- - DOMMUNE
1980年代前半に週刊少年チャンピオンで連載された、あんどろトリオや内山亜紀についての説明は、ここでは割愛することにする。番組の中で、オリジナルは少年誌で連載されたが、同作品の復刻にあたって成人向けとされたことの解説があったが、DOMMUNE の番組ページから引用した、オリジナルコミックスの表紙などをまとめたこの画像を見ただけでも、現在の感覚ではそれは当然だ、という感しかない。
この解説を行った、美少女コミック研究家の稀見 理都と、漫画評論家(番組内ではエロマンガ評論家?とも自称していた)永山 薫は、同作品をお色気マンガと評しているようで、それは多分、1980年代の感覚でのニュアンスだったのだろうが、そう聞こえた所為で、復刻が成人向けとされたことは、ある程度仕方ないと思ってはいるものの、納得がいかない部分もある、のような感覚であるようにも見えた。
番組の配信が告知されたのを見て、またセンシティブな題材を取り上げたな、と思ったし、そんな思いから自分は同番組の配信開始直前に、「今日の #DOMMUNE 前半は、半分怖いもの見たさで見るとこある。ある程度の良識を逸脱しないことを祈っている」ともツイートした。だが、前段で書いたような危うさもあるにはあったが、全体として見れば、現在の社会的な規範を大きく逸脱するようなヤバさは殆どなく、概ね許容範囲に収まっていた、というのが自分の感想である。
番組の中では、内山亜紀がどのようなマンガ家・作家なのかの解説と共に、あんどろトリオが連載された1980年代初頭のマンガ/サブカル界隈の空気、それ以外も含め、この種のお色気/エロマンガを取りまく状況などの解説もあった。その解説が実態に即しているのかどうかはについては、自分は物心つく以前のことなので、厳密には評価できないものの、その頃と明らかに地続きだった1980年代後半から1990年代前半頃における実体験や、それ以降に行われたその頃の評価などから考えて、概ね妥当だったと思う。
1970年から1980年代の初頭に、日本では所謂ロリコンブームがあったとされていて、番組内では、それ以前の手塚 治虫の幼女の描写・表現なども、その頃のロリコンマンガに影響を与えている、という話があったが、確かにそんな要素もあったんだろう。また、Wikipediaの同項目には、宮崎 駿の描く女の子のキャラクターに関する言及もあって、一般向けのマンガやアニメと、ロリコンマンガは決して無関係でないことが分かる。
2021年9/17の投稿でも触れたが、オタクという表現・概念も、このロリコンブームと密接に関係している。
現在日本ではコミケなどの同人誌即売会が盛んに行われていて、同人誌文化が隆盛を極めているといっても過言ではない。同人誌とは決してエロに限ったものではないが、一般向け商業作品の設定とキャラクターを使った二次創作エロマンガは、同人誌のジャンルとして確固たる地位を築いていることは間違いない。その流れの大元は間違いなくロリコンブームとの関連性があって、その影響で、明らかに未成年のキャラクターにエロティシズムを投影した作品が現在も少なくない。というかそもそも、一般向け商業作品にも同じ傾向が確実にある。
その是非、それについての個人的な主張は、前述の2021年9/17の投稿や、2021年8/29の投稿、2020年2/15の投稿などでも書いてきた。しかし、そこで書いたことは、概ね多くの人の目に触れるおおやけの場所における、という条件だった。近年は児童ポルノへの問題視が強まっていて、中には、フィクションやマンガやアニメなどの創作であっても、未成年者を性的に描くことは許されない、のような主張をする人もいるが、児童ポルノの何が問題なのかと言えば、分別の充分でない未成年者が大人に騙されて、もしくは強引に性的に搾取される被害が生じることだ。しかしマンガやアニメ、そして小説などの創作作品ではその種の未成年者の被害は全く生じない。
勿論、その種の表現を快く思えない人が少なくないこと、その種の作品を未成年者が見ると、真似るなどの悪影響が及び兼ねないことなどから、所謂ゾーニングの必要性は理解できるが、被害を生まない表現そのものを否定する合理的な根拠があるとは言えない。
成人であってもそのような作品に影響され、現実で真似る人が生じる恐れがある、と言う人もいるが、それはその種の作品の問題ではなく真似る人の問題だ。その理由で表現自体を否定できるのであれば、空手などの武道を習うと、暴力行為に使う人が少なからず生じるので禁止とか、犯罪や戦争がテーマの映画やドラマやゲーム、そのような要素を含む映画やドラマやゲームなどは、感化されて真似る人が生じるので禁止、なんて話にも合理性があることになってしまう。
そのようなフィクションに限らず、現実を伝えるニュースだって少なからず人の行動に影響を与える。放火や通り魔事件が起きてニュースになると、大抵それを真似たとする同様の事件が発生してしまう。でも、だからニュースで報じることを禁止しよう、とはならない。成人であってもそのような性的な作品に影響され、現実で真似る人が生じる恐れがある、と言う人もいるが、それは作品の問題ではなく真似る人の問題だ、はそれと同じだ。
では、一体何がゾーニングされるべきロリコン・小児性愛表現で、どこまでは一般向けとしてOKなのか、ということについてだが、その条件は決して絶対的なものでなく、時と場合、それぞれのコミュニティ、社会などで微妙な、場合によっては大きな差があるんだろう、というのが自分の考えだ。
今日のトップ画像は、萌え、というタグのついたフリー素材を使用しているが、この画像だって見る人によっては、小児性愛の範疇ということになるかもしれない。ただ個人的には、それは過剰反応だと思える。しかし、この画像が明らかに性的に見える演出というのも確実に存在する。
たとえばこんな風に、背景の色をピンクにすると性的なニュアンスを感じとる人の割合は多分増えるだろう。少なくとも自分はアイボリーよりもピンクの方がより性的な要素を感じる。
もっと分かりやすくする為に、ラブホテルを連想させる薄暗い部屋のピンクのベッドを背景にした画像と、夏の縁側を連想させる背景を使った画像を用意した。前者は恐らく殆どの人が性的ニュアンスを感じるだろうし、逆に後者から性的ニュアンスを感じる人はかなり少ないだろう。
昨年末、「おしえて! ギャル子ちゃん」という、アニメ化もされた人気一般向けマンガの作者が、ドイツから児童ポルノ写真集を輸入したとして起訴された。
これについて一部で、ギャル高校生を描いてたのに児童ポルノ輸入か…、みたいな声があって、またそれに対して、18歳未満は児童だから、ギャル女子高校生だって性的なことをやらせたら児童ポルノだ、みたいな反応もあった。
日本では、青年誌マンガを中心に女性グラビアが一般的に存在していて、その中には未成年モデルを起用しているケースもあるし、下着にしか見えない衣装を水着と称して着せ、おおよそ水着が似つかわしくないシチュエーションで、明らかにエロを投影して撮影しているケースがある。また、成人向けではないのに、学校の制服がはだけて(水着と称した)下着が見えているような表現も決して珍しくない。
それらを見ていると、恐らく欧米の感覚で見れば問題になるだろう、という感があるし、基本的には中高生をターゲットにしており、そのターゲット層にしてみれば同世代の女性だから小児性愛には当たらないんだろうが、それを大人の編集者が企画していることを考えると、ある種の気持ち悪さも感じる。自分が10代-20代前半の頃は全くそんなことは思わなかったが、30代を過ぎた頃にそんな感覚が生まれた。
日本の性的に関する感覚は、良くも悪くも明らかに欧米に比べて緩い。人によっては、良くも悪くもなんてのは、女性や未成年を性的に搾取する側の言い分でしかない、と言う人もいるんだろうが、エロにまつわる表現等にも明らかに文化性があることは認めるべきで、日本の性に関する緩さが、欧米よりも性的な文化を発展させた側面は、良くも、にも該当すると考える。しかし前述のように、その緩さに全く問題はない、とも言えないから、良くも悪くも、としている。
日本人の全般的な英語能力はまだまだ低いために、未だに国内外の情報流通には一定の壁があるものの、ネットの発達などによって国外情報に触れることが以前よりも容易になった。そして、所謂大和民族以外の日本人・日本在住者が増えたことによっても、確実に日本にもグローバル化の波が押し寄せていて、エロの基準に関しても国外と歩調を合わせるべきだ、のような考え方が台頭している。
しかしこのグローバル化というのがまた曲者で、グローバル化の名を借りて欧米化を強要しようとするケースが決して少なくない。2017年2/27の投稿で和式便所について書いたが、和式便所は決して日本だけのものではなく、アジアではスタンダードなスタイルなのに、グローバル化の名の下で洋式が絶対的に優れているかのように言う風潮が確実にあるし、2021年11/24の投稿でまとめた、現在もてはやされている動物愛護感、2018年1/31の投稿でまとめた、顔を黒く塗る表現が全般的に黒人差別なのか、などの認識、2020年7/26の投稿などで触れた文化盗用に関する認識など、勿論欧米全体がそのような傾向と言うつもりは全くないが、一部に、自分達の感覚こそが至上だ、のような認識を押し付けようとする人がいて、また日本人の一部にも、西欧の感覚こそが優れている、と無条件に称賛する風潮も確実にある。そのような風潮は明らかに、グローバル化の名を借りた欧米化の強制だと感じている。
勿論、児童ポルノの被害者が生じることは看過できず、見習うべきは見習うべきだ。だが一方で、欧米で一般的な感覚が必ずしも優れているとは言い難いケースも決して少なくないし、欧米で一般的な感覚が欧米でベストであっても、それが日本でもベストとは限らない。また、エロの基準に関しても国外と歩調を合わせるべきだ、が概ね妥当だとしたら、欧米も、エロ表現について世界的に最も厳しいイスラムの感覚に合わせるべき、ということにもなるんだろうが、そのようなことを言う人は殆どいない。そんなことを勘案すれば、見習うべきは見習うべきだが、エロの基準に関しても国外と歩調を合わせるべき、とは必ずしも言えない、のではないか。
確かに、1990年代以降の日本では、大人のセクシーさ・色気よりも、幼いあどけなさ、所謂カワイイが好まれる傾向が強く、それはお色気表現やエロにも同じことが言える為、欧米人から見たら小児性愛に見えるケースも多いんだろうし、個人的にも日本人の性愛は幼さに偏っていて、それに少なからず懸念を感じてはいるものの、そもそも、東南アジア以東の東アジア系の人種の容姿は、欧米人の感覚では成人であっても幼く見えるようで、それに感覚を合わせろ、なんてのは決して適切とは言えない。
つまり、何がエロで何がエロでないのか、とか、何が小児性愛でどこまでが小児性愛ではないのか、に明確な線引きはなく、それは時と場合、そしてその行為や表現が行われる社会によっても違ってくる、としか言えないようなものだ。
最後に、今年新作アニメが製作される予定の
うる星やつら
に関する、自分の認識を示したツイートを参考として掲載しておく。これも冒頭で紹介した
DOMMUNE の番組を見ながらツイートしたものだ。1980年代以前の状況を理解する際には、今と人口の年齢構成が異なること、つまり何歳から何歳を性的に見たらロリコンに該当するのか、のようなことも勘案する必要があるだろう。
うる星やつらの初期の絵柄/設定も、今で言えばロリコンの範疇だと思う。でも確かに、当時の感覚で言えば、全然ロリコンって感じじゃなかった。
— Tulsa Birbhum / タルサ ビルハム (@74120_731241) January 26, 2022
1980年代初頭までマンガって子供のもんで、舞台も高校じゃなくて中学が多く、対象に対してロリコンって感じじゃなかった、って感覚かも。#DOMMUNE https://t.co/2RgFzgZvxf
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