スキップしてメイン コンテンツに移動
 

エモい 人たち

 1980年代、VHSビデオデッキが普及しレンタルビデオが一般化した頃に、アニメに興味を持っていた人なら、このロゴを一度は見たことがあるだろう。これは、バンダイの映像部門・映像レーベルである、エモーションのロゴだ。

バンダイビジュアル エモーション ビデオロゴ ロングバージョン (1984年) - YouTube

 エモーションが誕生したのは1983年なので、これは最初期のロゴだが、これまでに何度か作り替えられて更新され、今も同様のロゴが使われている。ハリウッドの映画会社などのロゴにならって作成され、担当者の渡辺 繁が高校生の時に見た、NHKのドキュメンタリーで取り上げられていたモアイを採用したらしい。

 エモーションという名称は、バンダイが1982年に始めたアンテナショップの屋号に由来しているそうだが、Emotion / エモーション は感情を意味する英単語である。

 エモい という表現が流行っている、ということについては、2020年5/29の投稿でも触れた。それから約2年が経ち、今はその頃程 エモい という表現を耳にしなくなったが、その投稿でも書いたように、エモい という言い方は少なくとも1990年代後半には存在していて、決してここ最近に登場した言葉ではない。

 Wikipedia にも エモい のページがあって、エモい という日本語表現のベースとなる、Emo、音楽ジャンルとしての Emo が用いられ始めたのは1980年代だそうだ。ちなみに Wikipedia では、エモい を「感情が揺さぶられた時や、気持ちをストレートに表現できない時、「哀愁を帯びた様」「趣がある」「グッとくる」などに用いられる」などと解説している。確かに エモい は、原義では喜怒哀楽全てを含む感情的、だが、 Sad / 物悲しい の代わりに用いられることが多かった。ただ、この数年のブームによって、ヤバい 同様に、スゴイのように単純に肯定を示す場合に使われるケースも増えた。


 格闘技やアングラなどを得意とするジャーナリスト/ライターの片岡 亮がこんなツイートをしていたことが、この投稿の冒頭で エモーショナル / エモい を取り上げた理由だ。

 このツイートを見てこう思った。少し前に エモい という言葉が流行ったが、整合性や合理性をよく考えもせずに、感情のままに思いつきで好きなことを言い散らかすさまは、まさにエモーショナル だ。実際にはエモーショナルと言うよりもチャイルディッシュか。エモい というか チャい。childish は、子どもじみた、大人げない、という意味である。

 同じ様な話は他にもある。たとえばこのツイートも同じだ。

 この話の背景には、3/17の投稿で書いた、ゼレンスキーが米議会での演説で、ロシアのウクライナ侵攻を真珠湾攻撃になぞらえた件がある。それに憤る一部の愚か者たちが、真珠湾攻撃はロシアのウクライナ侵攻とは違う!と正当化しようと、日本が真珠湾攻撃をやったのは、そうせざるを得ない状況に追い込まれたからだ! と言っているのだ。つまりABCD包囲網によって日本を追い込んだ米英中蘭が悪い、のようなことを言っている。しかしその種の人たちは大抵、ミサイルによる威嚇を止めない北朝鮮には経済制裁で対抗しろ! とも言っていて、その矛盾を指摘している。


 昨日、東京電力が、今晩の電力需給が厳しいとして節電を呼び掛けた。16日深夜に発生した、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震の影響で、一部の発電所が運転を停止したのと、気温の低下による暖房使用が重なることが予想された為である。

東電、節電を緊急要請 18日夜、福島沖地震・気温低下で:時事ドットコム

 地震による発電所の運転停止によって、東電が節電を呼び掛けたのを理由に「停電したら反原発の人たちはどうするんだろうねwww」とか、「停電が起きたら原発を止めろ!と言っている反原発派のせいだ!」みたいなツイートが複数見られた。
 よく考えたら分かることだが、原発だって地震の影響を受ければ止まるのに、なぜ原発は地震の影響を受けない前提なのだろう。少し考えたら分かることなのに、整合性や合理性をよく考えもせずに、感情のままに思いつきで好きなことを言い散らかしている、としか言えない。


 一般的な意味とは少々異なるものの、エモーションの原義を勘案して言えば、今の日本には エモい 人たちが決して少なくない。SNSで目立つだけで、実際はそれほど多くないのかもしれないが、同種のことを政治家の一部も言っていることを考えたら、少なからずその種の人を支持する同類の有権者が存在している、ということだ。テレビもその種の人をお笑いやバラエティでなく情報番組に平気で出演させていて、好き勝手言わせている。


このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。