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紛争避難者は難民に該当しない、という嘘

 日本が他国に比べてどんなに難民を受け入れておらず、どれだけ適切に対応をしてないかや、ロシアのウクライナ侵略に際して、どのようにして与党と政府がこれまでのその非人道的な政策を正当化しようとしているかなどには、4/19の投稿でも触れたが、4/26に法務大臣が驚くべき発言をした。


    現在の自民政府は、紛争からの避難者は難民条約上の難民に該当しないという認識を示し、これによって、これまでの難民認定率の低さ、アフガニスタンやシリア紛争で生じた同国の難民や、イラク戦争などによるクルド人難民などを殆ど難民認定してこなかったことを正当化しようとしている。しかしその認識ではロシアによるウクライナ侵略で生じている避難者も難民認定できず、国内外からの批判に晒されかねないので、ウクライナからの避難者を受け入れることと、これまでの対応双方の正当化の為に、ウクライナ難民をウクライナ避難民などと難民と区別して表現したり、準難民なる概念を作り出して、難民ではないけど受け入れられるようにする、という制度を画策したりしている。

 そもそも、自民政府の紛争からの避難者は難民条約上の難民に該当しないという認識自体がおかしい。おかしいと言える理由は、UNHCR:国連難民高等弁務官事務所が2016年に示した、国際的保護に関するガイドライン で、紛争からの避難者は積極的に難民として保護すべきである、としており、つまり自民政府の認識は、明らかに現在の国際的な常識を逸脱している。

この時点で、日本はこれまで国際的な常識に反して人道的な観点にたって難民を認定してこなかった、と言えるだろう。だから、紛争からの避難者は難民条約上の難民に該当しないという認識を前提に、準難民なんて概念を作り出そうとしていることも、決して褒められたようなことではない。というか寧ろ、これまでの非人道的対応を誤魔化す為の策であり、非難すべき対応だ。
 世の中には ”未来志向” などの言葉を使って、これまでがどうであれこれからが良ければ、良くなればそれでいいじゃないか、のようなことを言う人がいるが、過去を顧みないなら、また同じ失敗・失態を繰り返すことにもなりかねない。失敗や失態を正確に認識し、その反省に基づいた対応をすることが、同じ過ちを防ぐ為の唯一の方法だ。恣意的な解釈で過去の過ちを捻じ曲げようとしたり、”これまでよりもこれから” などと言って有耶無耶にしようとする人たちに騙されると、結局ずっと騙され続けることにもなりかねない。


 自民政府の法務大臣である古川は、4/26の会見で、準難民の認定基準について、「今の時点では、詳細な説明は難しい」と述べた。つまり、現在の自民政府は、明確なビジョンもなく準難民という概念を新たに設けようとしている、ということになる。

準難民の認定基準「詳細な説明難しい」明言避ける 古川法相:東京新聞 TOKYO Web

 この東京新聞の記事にもあるように、自民政府は、入管難民法を改正し紛争避難民らを準難民として補完的保護の対象とする方針だが、ただし法務省や出入国在留管理庁幹部によれば、準難民の認定には難民認定と同様に「迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有する」という条件が付される可能性があるとのことだ。難民を支援する弁護士らからは、「この条件は難民認定の大きな壁の一つ。難民認定では難しいとされているものを、どう解釈すれば準難民では認定できるというのか」と疑問の声が上がっていて、それについて記者会見で質問された古川が、「今の時点では、詳細な説明は難しい」と述べたのだ。
 つまり、準難民についても難民同様に、「迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有する」という条件が付される可能性を否定しなかった、ということでもあり、もし法改正が成立し準難民という概念ができたとしても、その対応はこれまでの難民対応と何も変わらない、という恐れもある、ということである。
 しかも政府はこの法案を今秋の臨時国会に提出し成立を目指しているそうで、今紛争が既に生じているのに、迅速に対応するつもりはなく、単に避難者受け入れに後ろ向きではない、というポーズを取っているだけ、とも感じられる。

 それでいて、自民の政治家などが、ウクライナ外務省がツイートした各国の支援に感謝を示した動画の中に日本が含まれていなかったことを問題視し、昨日の投稿の件同様に、ウクライナ政府に外務省から抗議しろ!!!! とやっているのだから、恥をさらすのはやめてくれ、としか言いようがない。


 立憲民主・鈴木 庸介のツイートによると、法務大臣の古川は、4/22の衆院法務委員会にて、ウクライナ人へ出されている特定活動のビザを、アフガニスタンやロヒンギャ、シリア なとで人道危機にある人たちにも広げるのか、という質問に対して全面肯定の意を示したそうだが、特定活動の種類は多岐にわたり、果たして妥当な認定がなされるのかは疑問だ。難民は難民と認定し保護する、それが適切な対応ではないのか。

 鈴木は、アフガン、ロヒンギャ、シリアからも特定活動ではありますが、積極的に受け入れることとなる、古川法務大臣の英断には心から敬意を表す、と言っているが、本当に積極的に受け入れていくかには、これまでの自民政府がどれだけの話を反故にしてきたか、を考えると手放しで信用できない。また、難民受け入れは人道的観点に立てば当然だし、難民認定ではなく特定活動ビザを認めるという話だけで英断とは、認識が甘すぎるのではないか。悪さばかりしている不良が、ちょっと良いことをしただけで褒められているような感覚に陥る。


 この難民の件、特にウクライナ難民に関する件については、幾つかのメディアは自民政府の対応に批判的な記事、欺瞞に満ちていると指摘するような記事を掲載しているものの、市民の間では、いまいちこの件に対する批判は盛り上がりに欠けているように思う。

 4/22の投稿でも書いたことだが、ロシアへのウクライナ侵攻が始まった当初は、日本でも多くの人がロシアへの非難、ウクライナへの連帯を示したが、なぜか難民受け入れの問題にはあまり興味を示さない人が多い。日本人には思いやりがあるとか、日本はおもてなしの国であるとか、そのような自負があるのなら、漠然と戦争反対を訴えるだけでなく、自民政府の消極的な難民受け入れを、ウクライナの件に限らずに積極的に批判しなければ、そんな話には全く説得力がなくなる。


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