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差別表現


 Make America great again. 元々はレーガン大統領が使用した選挙スローガンで、トランプ大統領も選挙戦から掲げているスローガンだ。文面だけを見れば愛国心に溢れるスローガンと肯定的に受け取ることもできるが、彼の言動を見ていると、アメリカは今まで偉大な国じゃなかったのかとか、彼の言うアメリカとは彼を支持するアメリカ白人だけなのか?とか揚げ足を取りたくなってしまう。

 メキシコ国境に壁を作るという公約は好ましいとは到底思えないが、100歩譲ればまだ容認できる。しかしその建設費をメキシコに払わせると言っているのは横暴だとしか思えない。メキシコを日本に置き換えてみると、隣の大国・中国が東シナ海を警備するための警備艇の購入費を日本に全額負担させると言っているような状況だろう。他国に対して横暴な政策を押し付けることがアメリカ人にとってgreat/偉大なことにだったのかとも言いたくなってしまう。このようなことから、Make America great again.というスローガン自体が嫌悪される言葉となり、更に事情が悪化すればMake ___ great again.が差別的表現とされてしまうかもしれない。実際、自分は先週の会見で小池都知事がこのスローガンを引用し、Make Tokyo great again. と言ったのを聞いて、彼女に全く悪意がないことも分かっているが、少し嫌な気分になった。今はまだそこまで気にならないが、___ファーストに対しても同じような感覚を感じてしまいそうな気がする。


 差別用語とされているものには、言葉自体が明らかに差別的なニュアンスを含んでいる場合と、元来差別的なニュアンスがないのに使用された背景などから差別用語とされる場合がある。上記の件は後者の例の一つと言えるかもしれない。このような例は日本語で言うと支那や外人という表現が当てはまる。支那は元は単純に中国を表す言葉だった。その語源は中国の古い国号・秦か、中国の民族の一つチャン族を意味する言葉がインド経由で訛ったのが由来だという説がある。支那と英語のChinaは同じ由来を持つ言葉だ。Chinaという英語は中国人にも差別用語という意識を持たれることなく広く使われるが、支那という日本語は差別的と受け取られることがあり、現在は積極的には使用されない。これは日清戦争移行、戦前の日本で軽蔑の意味を込めて中国を指す場合に支那と表現する場合があったことが原因である。また、外人という表現は、過去は分からないが現在は日本人の多くが単に”外国人”の省略という感覚で使う。だが外国人が外人と聞くと単に外国の人ではなく”よそ者”的なニュアンスで聞こえる人もいて、発する日本人が意図しない余計な疎外感を感じることがあるらしい。戦前少なからず差別の対象だった在日中国人・朝鮮人などは、それに加えて”害人”という当て字を想像する場合もあるようだ。外人という言葉を発する側と聞く側に大きな感覚の差がある。

 自分が小学生の頃、同級生に突然苗字をもじったあだ名(例えば山田ならマヤダ)をつけられて、泣くほど嫌だった記憶がある。今そう呼ばれたとしても、その文字列自体には悪意を含む要素が全く感じられず気にならないと思う。当時何がそんなに嫌だったのかと言えば、多分その同級生の人を小ばかにした声の発し方やその表情などだったのだろう。しかし自分の記憶には”変なあだ名”が嫌だったというイメージが強く残っている。

 直接的な差別表現を使うことは多くの人が避けるが、差別的意味を含まない言葉を使って、差別していませんというスタンスを見せながら相手を侮辱することも可能だ。自分が無意識的にそういうことをしていないか気をつけることも必要だ。だが逆に、対立する相手を必要以上に差別的だと騒ぎ立てることがないようにも注意しなければならない。些細なことも差別的だとしていくとコミュニケーションをとることに臆病な社会になってしまう。それもそれで息苦しいし、コミュニケーション不全は他人への不信感を不必要に生むおそれがある。何事もバランスを欠けば健全な状態ではなくなる。互いに思いやる気持ちを持たなければならない。

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