スキップしてメイン コンテンツに移動
 

稲田大臣の信頼性


 所謂南スーダンに関する日報の問題が大きな波紋を呼んでいる。現在までの流れは、

・ジャーナリストがPKO部隊の昨年7月の日報の開示を請求
・防衛省は日報は破棄済みで開示できないと説明
・河野太郎議員などの働きかけで日報について再調査
・陸自は破棄済みだが、統合幕僚監部にあったとして日報を開示
・いわゆる”戦闘”についての議論が加速
・防衛省幹部が日報は陸自でも保存してあったと暴露
・陸自に残っていた日報データの消去指示があったとも告白
・稲田大臣が事実関係の調査・特別防衛監察を命令

といった流れだ。誰かが不都合な日報を隠そうとしていることは誰の目にもわかることだが、その誰かである疑いがある稲田大臣が命令をした調査に果たして信頼性があると言えるのだろうか。実質的には誰が特別防衛監察を命じても結果に差はないのかもしれないが、森友学園問題などで権力者への忖度が取り沙汰されていることなどを勘案すれば、誰がということにはそれなりの意味があるとも言える。首相は稲田大臣をかばっている印象があるが、稲田大臣が調査を命じるより首相が命じたほうがまだマシ、最も調査に説得力を出すためには稲田大臣には辞めて頂いて、新しい防衛大臣のもとで調査を行うのが最善策だったように感じる。


 先月の日報開示についても、民進党ら野党は政府にとって不都合な”戦闘”という表現のある日報を、政府・首相や稲田大臣が隠蔽しようとしたのではないかと追及していたが、当時、自分には「隠蔽の疑いがないとは言えなくもないが、それを確信できるような状況とは言えない」というように見えた。南スーダンでPKO5原則に反するような”戦闘”があったのかどうかに関しては、政府や首相・稲田大臣の言い分は相当無理があると感じてはいたが、野党が日報の隠蔽について追及することも、やや無理があると思えた。しかし今回の件の後は「政府・首相や稲田大臣が日報を隠蔽したという疑いは相当強い。それは”戦闘”という日報の表記は政府にとって都合が悪いかったからだ」と思えてしまう。

 このように自分の見方が変わった理由は次のようなことからだ。

・稲田大臣・首相の”戦闘”に対する自分たちに都合のよい見解
・日報に関しての隠蔽疑惑の表面化が2度目であること
・稲田大臣の森友学園との関係に関する発言のいい加減さ

要するに最も大きな要因は、稲田大臣の発言の信憑性の著しい低下だ。昨年7月に南スーダンで起こったのは、武力衝突なのか・戦闘なのかについての答弁で、日報には戦闘と書かれているし、南スーダン政府・政府軍も信頼がおけるかどうか疑わしい状態になっているにも関わらず、「戦闘とすると法令に合致しないので、”法的には”戦闘ではない」というような主旨の?が100個くらい付きそうな論法で説明したことにより、既にその発言の信頼性がグラついていたにもかかわらず、森友学園の顧問弁護士をしていたかどうかなどについての発言をたった1日で撤回・謝罪する事態になったこと、それについて自身のことなのに、元弁護士だったからかもしれないが、まるで他人事のような言い回しをしたこと、先月の日報開示・森友学園との関係についての発言撤回・今回の件と3件全てが、河野太郎議員が再調査のきっかけだったり、報道によって先に話が明らかされたりと、稲田大臣が完全に後手後手であることなど、彼女の発言について信憑性を感じられなくなっている理由は多数ある。中にはその部分だけを見れば印象が悪いだけとも言えるような要因もあるが、彼女が大臣という重要な立場であることや、それだけが信頼性の低下の理由ではなく他の要因を裏付けるような要素になっていることなどを考えたら、印象の悪さを指摘されるのもある意味仕方がない。そして”戦闘”についての議論が進まない中で、まるで事態の沈静化を狙ったかのように首相が発表した南スーダンからの撤退、さらに撤退と戦闘問題は関係ないという見解なども、この件との相互作用により作為的に感じられる。

 昨年の舛添都知事の政治資金不正流用疑惑の時も、舛添元都知事曰く”第三者委員会”、実質的には彼自身が雇った所謂お手盛りの弁護士による調査を多くの人が信頼しなかったのと同じで、いくら特別防衛監察は中立性が高いなどと言われても、既に稲田大臣自身の信頼が低下しているのだから、その仕組みがどうであれ彼女が調査を命じた時点でその調査の信頼度に多くの人が疑問を抱くのは仕方がないことだろう。安倍首相や政府関係者が稲田大臣を擁護するのは構わないが、それは結局政府自体の信頼性まで低下させてしまうことに繋がると思う。個人的には、部下の不始末の責任を管理者が極度に負わされることはあまり好ましいとは思わないが、一般企業ならこのレベルの事案が起これば、経営者・管理者も責任を問われることは免れないだろう。政府や防衛大臣には日報を隠蔽する意図はなく、防衛省の官僚や自衛隊・統合幕僚監部が防衛大臣を軽く見ている為に起こった事案とも考えられるが、一方で稲田大臣自身に軽く見られてしまうような問題があるのではないか、軽く見られてしまうような人物を防衛大臣にしたのは誰なのかなど、隠蔽があろうがなかろうが、稲田大臣・安倍首相・政府にはこの件に関して一定の責任を負わなければならないと思う。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。