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先制攻撃を専守防衛と解釈できるか


 昨夜(6/22)のNHK・クローズアップ現代+では「岐路に立つ防衛政策- ”敵基地攻撃””防衛費”は」と題して、これからの防衛政策について取り上げていた。番組タイトルでも触れている敵基地攻撃というのは、北朝鮮によるミサイル発射などを背景に、例えば我が国に対するミサイル攻撃が行われることが明白ならば、ミサイルが発射される前に敵基地を攻撃することも専守防衛の範囲と認め、憲法違反にならないという考え方を指している。個人的にはこれについては先制攻撃になる恐れを強く懸念するし、憲法違反にあたる恐れも限りなく強いと感じる。確かに周辺国が確実に日本に武力攻撃をしようとしているのに、攻撃されるまで指をくわえて見ているだけでよいのかということに関しては、それでよいとは思えない。何らかの対策を講じる必要性あるだろうが、それが先制攻撃(合憲だとする考え方ではそう呼ばないかもしれないが敢えてこう表現する)の検討というのは確実に憲法の精神に反すると考える。先制攻撃を検討する以前にそのような懸念が高まらならないような国際関係を築くことに注力するべきだ。太陽と北風の童話を思い出して欲しい。専守防衛を理由に相手より先に手を出すことは抑止でもなんでもない。相手は単なる先制攻撃として確実に非難するだろうし、結局武力紛争を加速させることに繋がるだけとしか思えない。


 近代以降起きた戦争・紛争の殆どは、自国(または自勢力)の領土や利益などを守るということを大義名分に行われてきた。日本が太平洋戦争に至ったのも、自国の安全を守るためには米軍を牽制しておくことが必要で、その効果を最大限にするにはやられる前にやっておかねばならないという考えの下で真珠湾攻撃が行われたからだと自分は思っている。我が国に対する攻撃が行われることが明白ならば、攻撃される前に敵基地を攻撃することも専守防衛の範囲だと認めてしまえば、その明白という表現の解釈が拡大していくことも考えられる。そういった懸念が現実化すれば、現在の北朝鮮が日本海に向けミサイル発射を連発している状況も、北朝鮮の我が国に対する攻撃の意思は明白だと捉えることも可能だろうし、究極的には相手が武力を保持しているだけでも、攻撃の意思が明白という解釈が出来ると感じる。
 もし先制攻撃を専守防衛の範囲として実際に認めるにしても、当然そこまで過激な解釈が直ぐに支配的になるとは思わないし、何かしらの歯止め策は合わせて検討されるのだろうが、我が国は日本国憲法で武力行使の放棄を定めているのだからそれを尊重するべきだと思う。個人的には権力の性善性に頼った論理であり、先日可決された共謀罪法案と同様の懸念があると考える。

 このような論調で検討を行っているのは、憲法9条による武力の抑止を緩和しようとしている勢力でもある。確かに自衛隊の立ち位置を明確化し、確実に合憲だとする必要があるのも理解できる。だが約70年前に終わったの戦争の結果として、日本は明確に戦力の不保持や武力行使の放棄などを謳った憲法を定めた。押し付け憲法という考え方もあるが、何から何まで押し付けられた憲法だとも思えないし、当時の国民の多くに「もう戦争に巻き込まれたくない」という思いがあったからこそ実現した憲法だとも思う。そしてその憲法の下で我が国が約70年間ほぼ戦争に関与しないという状況が続いたのも事実だ。勿論これまでの約70年間がそうだったから、これからも同じ状況が続くとは言えないが、それでもこれまで続いた望ましい状況を尊重することも重要だと思う。未来に何が起こるのかは誰にもわからないが過去を軽んじれば再び同じ過ちを犯す恐れがある、これは明白な事実だ。約70年前の戦争がどのようにして引き起こされたのかを考えれば、日本人が過敏とも言えるほど戦争への懸念を注意深く考えるのは当然のことでもあると感じる。

 防衛力の強化や専守防衛の拡大解釈、憲法9条の改正(改悪)を主張する勢力の中には、平時であるからこそ緊急事態に備えなければならないのに、何もしないのは所謂平和ボケであるというようなこと主張をする人もいる。同じように自分は平時であるからこそ、今後日本が戦争への道を再び歩むことのないように、小さな懸念も摘み取っていく必要があるとも言えると思う。

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