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カタルーニャと沖縄を比較して考える


 10/1、スペイン・カタルーニャ州でスペインからの独立に関する住民投票が行われ、賛成が圧倒的多数だったことを各メディアが伝えている。この投票に関しては、投票日以前から混乱が伝えられており、スペイン政府は憲法違反を理由に投票自体の無効を主張し、投票を実力行使で阻止する意向を滲ませ、当日実際に実力行使に踏み切ったようだ。スペインのラホイ首相は「投票は行われなかった」というコメントをしているようだ。だがカタルーニャ州政府側は、投票日前から独立賛成派らが投票所に寝泊りしていたこともあって、スペイン政府が警察権力を導入して投票所を封鎖したにも関らず、42%の投票率で賛成が90%を超えるという結果を示しているようで、これを受けてカタルーニャ州のプチデモン首相は独立に向けた動きを進める姿勢を見せている。

 
 カタルーニャ州はスペインの中でも独自の文化が強く、言語もスペイン語ではなくカタラン語というスペイン語の方言というよりスペイン語とは異なる言語という側面が強い言葉を持っている。日本に置き換えて考えみると、琉球やアイヌなどの日本とは大きく異なる文化や方言の範疇に収まらない言語を持つ地域のようなイメージがある地域なのだろうと想像する。またカタルーニャ州には世界有数の観光都市・バルセロナがあり、大きな観光収入がある。今回の独立投票が行われた理由の一つに、そのような観光収入でスペインに大きな貢献があるのに、税制面でスペイン政府がカタルーニャ州を冷遇しているという主張もあるようだ。また、朝鮮や満州でも行われた日本の同化政策が沖縄でも行われ、明治政府による琉球王国の沖縄県化以降、沖縄弁(ウチナー語などと表現する場合も)を話すことを恥とするような教育が行われたり、戦中本土の軍人が理解できない言葉を使われること、沖縄弁で話すことをスパイ行為として弾圧が行われたのと同様に、カタルーニャ州でも第二次大戦下の1939年から1975年まで続いたのフランコ独裁政権下ではカタラン語の使用を禁止されたという歴史も、カタルーニャの独立志向の要因になっているようだ。
 
 先週のイラクのクルド人自治区で行われた独立投票と同様に、独立投票が何故行われるような事態になったのかも考えなくてはならないが、自分はスペインに行ったことがないので、スペインにおけるカタルーニャ州の扱いや立場がどのようなものなのかは厳密には分からず、本当にスペイン国内でカタルーニャ自治州が不当な扱いを受けているのか、それともカタルーニャ側が自分達ファースト的な志向で独立を求めているのか、実際のところは判断が出来ない。だから今回の独立投票が適切だったのかも分からない。
 しかしスペイン政府側が警察権力を導入して実力行使を行い、投票所を封鎖しようとしたり、投票箱を没収しようとしたり、投票所に集まり抵抗した市民に対してゴム弾や催涙弾を使用するというような行為を行ったことは大きな間違いだと思う。なぜなら、一部メディアで報じられているように、警察のこのような行為を見て、それまでは独立に賛成していなかった市民も一部独立賛成に変化し始めているという状況もあるようで、要するにそのような強硬な措置は全く問題解決には繋がらないとしか思えないからだ。暴力を振るう権力に積極的に服従しようと思う市民がいるかどうかを考えれば、そんなことは誰にでも分かることではないだろうか。
 
 同じような事態は日本でも起こっている。流石にスペインやカタルーニャほどこじれた関係になっているとは言えないかもしれないが、日本と沖縄の関係はそうなる一歩手前の状況ではないかと個人的に考る。確かに一口に沖縄と言っても、沖縄県内にも様々な考え方を持った人々がいることも事実だが、自分の知る限り多数は米軍基地の縮小を求めている、そして軍人の治外法権を認めている日米地位協定の改善を求めているようにしか見えない。勿論基地の完全撤退を望んでいる人もいれば、基地との共存が望ましいと考えている人もいるだろうが、共存が望ましいと考えている人も現在の状況が望ましいと考えていないことだけは確かだろう。そのような意味では、日本政府の対応に大なり小なり不満を持っているとも言えるような状況であることは間違いないし、90年代に起きてしまった米兵による幼女暴行事件のような決定的に最悪な事態が今起きれば、カタルーニャ州のように沖縄独立、琉球復活を求める声が急速に高まる恐れは決してないとは言えないと思う。
 
 そのような事態になってしまわないように、日本政府は沖縄知事らともっと積極的に対話をするべきだと思うし、機動隊などを本土から動員するなどの場合、強硬に見えるような対応にならないように細心の注意を払う必要があると思う。確かに辺野古への移設反対運動をしている人の中には不適切な方法で移設反対を訴えている者もいるだろうし、それに対してはそれなりの対応が必要であることも理解できるが、それが適切であることを裏付ける為にも、日本政府の指導者達はそう思われるような振舞いをするべきだろう。
 私達はカタルーニャやクルドの独立投票を対岸の火事として見るのではなく、それらを我が国の国内問題と比較しこれからの対策・対応に役立てる必要がある。そして国の指導者達がそのように捉えて対応に役立てようとしているかをしっかり見極める必要があると考える。

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