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ヘリコプターの安全性


 昨日・2/5、自衛隊のヘリが民家に墜落した。当初、情報が錯綜し、着陸・炎上と報道され、防衛省も似たような見解を示していたが、その時点で既に、「ドーンと大きな音がした」という周辺住民の声や、民家が燃える映像も報じらていた。なぜ報道も防衛省も当初”墜落”という表現を使わなかったのだろうか。個人的には、報道機関が政府や自衛隊に対して過剰に忖度しているように見えたし、防衛省も出来るだけ話が大きくならないようにという姿勢で見解を示していたように思えた。
 確かに住民の証言があろうが映像があろうが、住民が誤認している恐れもなくはないし、火災の映像があっても実際に墜落する映像がなければ、墜落と断定することはできないが、逆に着陸炎上と断定することだって出来ない筈だ。 多くの人は特に何も感じていないのかもしれないが、自分は、日本では既に適切な報道がされないような土壌が出来上がっており、更に政府が都合のよい発表をしようとする傾向が強まっているように思う。昨年問題になったPKO部隊の日報隠蔽、加計学園問題に関する文科省内部文書の隠蔽疑惑、更に現在追及が続いている財務省の文書隠蔽疑惑・当時の担当者の虚偽答弁(疑惑?)なども加味して考えれば、今回、防衛省が当初示した事実と異なる見解も、出来る限り問題が大きくならぬよう、最大限過小評価しようとしていたから示されたもの、厳しく言えば、事実を隠蔽しようという動機があるように感じられた。

 
 一昨年来、米軍・自衛隊のヘリの事故・不時着が相次いでいる。頻度が高いのか低いのかは相対的にしか判断できないし、軍関連以外のヘリコプターやセスナ機の事故も複数記憶にはあるが、事故と頻度的には大差ないのだから、米軍・自衛隊だけの問題じゃないという見方も出来るのだろう。しかし、軍や自衛隊は元来市民を守る為の存在で、殊更事故には注意が必要な組織と言えるだろう。市民を守る存在が事故を頻繁に起こしていては、本当に市民を守ることができるのかが怪しくなりかねない。
 例えば、交通違反の取り締まりを実施し、交通事故から市民を守る存在である警察の、パトカーや白バイが相次いで事故を起こしたら、その頻度が市民の起こす事故より確実に少なかったとしても、確実に批判の的になるだろう。なぜなら、彼らは最も交通事故を起こしてはならない存在だし、取り締まる側の彼らが交通事故を起こすと、取り締まりの説得力も低くなってしまうからだ。だから、米軍や自衛隊など軍が事故を起こせば、民間が事故を起こした場合よりも更に強く批判されてもある意味仕方がない。しかも今回の事故では、たまたま墜落した民家には女児一人しかおらず、彼女も軽症で済んだようだが、タイミングがもっと悪ければ、一家全員死傷という最悪の事態もあり得ただろう。国民を守る筈の自衛隊が国民を事故に巻き込み怪我・死亡させるようなことになっていたら、今以上に大きな批判が起きていたのではないだろうか。
 
 そもそも軍・自衛隊か民間かを問わず、航空機の事故、特に墜落とか炎上事故というのは、頻度に関わらずあってはならないものだ。だから操縦ライセンスも自動車運転免許のような感覚では取得できないし、整備・検査もより厳密さが求められる仕組みになっているのではないだろうか。ツイッターなどを眺めていると、「米軍や自衛隊は我々国民の為に日々過酷な訓練をしているのだから批判するもんじゃない」とか「米軍や自衛隊は北朝鮮や中国の脅威に対峙してくれている感謝すべき存在、責めるなら北朝鮮や中国を責めろ」、「防衛費が少なくて適切な整備・訓練が出来ないのではないか」などと言う者がいる。国民を守る為の訓練で国民を事故に巻き込むようなら、訓練方法を見直すべきだし、日本の防衛費は世界でも10位以内に入る規模で、北朝鮮とは休戦中ながら、未だに戦争継続中で軍を持つ隣の国・韓国よりも多いのに、足りなくて適切な維持管理が出来ないのなら、規模を縮小するべきではないのか。というか、「資金が問題で整備が適切に出来ないならヘリなど飛ばすな」としか言いようがない。

 確かに、在日米軍や自衛隊のおかげで私たちの平和な生活が保たれているし、自衛隊に関しては災害で直接私たちを助けてくれる感謝すべき存在だ。しかし、それは事故を批判するなという理由にはならない。警察が犯罪者をパトカーで追跡中に、一般市民をはねて怪我させたり死亡させたりするような事故を起こしたとする。情状酌量の余地はあるだろうが、犯罪者を追跡中だったからという理由で事故を起こした警察官の責任が免除されることはないだろうし、追われていた犯罪者にその罪が全て負わされるということにもならないだろう。被害者や死亡者の遺族は運転していた警察官や警察組織に対して賠償を求めるはずだ。要するに、米軍や自衛隊が国防を担っていたとしても、事故は起こしてはならないし、事故を起こせば相応に責任を負わなければならい。
 
 こうも市街地への墜落・不時着が続くのなら、軍・自衛隊・民間問わず、市街地上空でのヘリコプターの飛行をもっと厳しく制限すべきではないのか。数年前にドローンの事故が相次いだ際にはそのような対策をとったのだから、それよりも更に大きく、墜落すれば確実に大事故になるヘリコプターについては、更に厳しい規制が必要だ、という話になるのではないだろうか。

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