スキップしてメイン コンテンツに移動
 

恥と恥じらいの差


 ハフポストは2/14、「スーパーモデルがナプキンと自撮りした深いワケ 『何も恥ずかしいことなんてない』」という見出しの記事を掲載した。ロシア出身のスーパーモデルが女性用ナプキンを持って撮った自撮り写真が、Instagramで大きな反響を呼んでいる。という書き出しで始まる記事で、これは、#PadManChallengeというハッシュタグを用いた、生理や女性の身体への理解と尊厳を訴えるという動きの一つで、元々は低コスト生理用品を開発したインド人起業家の反省を描いた「パッドマン」というインド映画の宣伝キャンペーンから始まった、数年前に流行ったアイスバケツチャレンジと似たような取り組みであること、現在インド以外でもこのタグが流行し始めていることなどを紹介している。
 インドで最も信者の多いヒンドゥー教には、生理中や出産後の女性を不浄な存在として、隔離監禁するチャウパディという風習が今でも一部に残っているそうで、記事によれば、先月、インドの隣国ネパールで、チャウパディで監禁された女性が亡くなり、大きな問題となったそうだ。

 
 生理を不浄とみなす風習は何もヒンドゥー教に限った話ではない。昨夜放送のTBS・クレイジージャーニーでは、対馬で1300年もの間、禁足地(宗教的・風習的な理由で立ち入り禁止とされた領域)とされてきた場所が、近代化の影響などで土着の信仰が薄まり、30年程前から一部立ち入りが許され始めたことを紹介していた。立ち入りが可能になってからも、年配者の中にはそれでも近寄るべきでないと考える者は多いこと、立ち入る際には幾つかの古来からのしきたりを守らなければならないことも紹介していた。その内の一つに「月経中の女性は入れない」というしきたりもあるそうだ。このしきたりの理由が生理=不浄という認識に因るものなのかは分からないが、その場所の神聖さが強調されていたので、個人的には、そんな意味合いも背景にはあるのだろうと感じた。日本の禁足地の中には女人禁制という場所も少なくない。元々は、道のりが険しく女性を危険から守るという理由だったのかもしれないが、長い時間を経て、女性=不浄という認識に変化、完全に変化していなくても、そのような意味合いが足されている場合もあるだろう。
 ただ個人的には、女人禁制という風習を全否定するつもりはない。意味合いや背景は大きく異なるが、現在も女性専用とか男性専用という場所・サービスは多々ある。男性と女性の物理的な差は確実に存在する。それを無視した極端な男女平等感には違和感を感じる。しかしそれでも、生理や女性=不浄とするような認識に基づく風習は、伝統であるのかもしれないが、今後はそれを改めて新たな伝統を築いていく方が好ましいとも考える。伝統は伝統だから守らねばならないのではなく、続ける合理性があり、踏襲する必要性があるから伝統になるのだと思う。
 
 しかし、そう思う一方で、ハフポストの記事の「生理の話をすることは、恥ずかしくない」という結論付けには、やや違和感も感じる。個人的には、生理は排泄や射精と同じような、恥ずかしいと感じる典型的な行為の一つだと思う。
 この記事が言わんとすることも分からないでもない。確かに現在の日本でも、性に関することについてタブー視する風潮は必要以上に強く、その影響で十分な性教育が行われていないと言っても過言ではない。その為には生理に限らず、「性の話をすることは、恥ずかしくない」という認識を広める必要性があるだろう。性に興味を持つこと自体が教育上よくないとか、汚らわしいというような認識は確実にある。例えばコンビニから性的なニュアンスのある雑誌を不快だから一掃しようというような動きも、そのような理由からだけではないが、関連する話だと自分は思う。また、以前はテレビでも必要性のある場面では普通に女性の胸が映っていたのに、最近は絶対に映さない。昨今は子供を性的なものに触れさせない、興味を持たないように極力仕向けるのが好ましいという認識が支配的なのだろう。この記事を書いたライターが、どのように考えているのかは定かではないが、そんな観点で考えれば、「生理の話をすることは、恥ずかしくない」と訴える必要性は確実にあるし、#PadManChallengeのような試みが必要だ、という話も理解できる。

 ただ、”恥ずかしい”と”恥じらい”はまた少し別で、生理については相応の恥じらいは必要で、そんな意味で言えば、「生理の話をすることは、恥ずかしい」とも言えるだろう。ハフポストの記事の最後の段では、

「生理」の話は、オープンにしにくい。

「コンビニで生理用品を買うと、わざわざ紙袋に梱包される」
「トイレに生理用品を持ったポーチを持っていくと、気まずい視線を送られる」
「生理痛で会社や学校を休むとは言いにくいから、別の理由を探す」

生理はこんなに身近なものなのに、それ自体を「恥ずかしいもの」として目をそらしたり、隠したりしてしまう。


と述べている。個人的には、ある意味ではその通りと感じるし、ある意味では一側面だけをクローズアップし過ぎた偏った視点にも思える。勿論記事の結論に関して、全面的に否定するようなつもりはない。
 コンビニでー という話は、生理用品だけ紙袋に入れるなら、女性が紙袋入りのコンビニ袋を提げていたら一発で生理用品であることが想像でき、全く意味がないと思う反面、単に不要に他人の目を惹く恐れに対する配慮に過ぎないとも考えられる。他人の目を気にする理由は、生理=恥ずかしい、とも考えられるが、歪んだ性的趣向を持った者によって性的な被害を与えられる恐れを懸念しているからとも考えられるので、恥ずかしいか否かとは少し異なる話のように感じる。トイレに生理用品をー という話も、気まずい視線云々は確かに、生理=恥、という認識に基づいているかもしれないが、生理中であることを悟られたくない理由には、前述のような懸念もあるだろうから、これも同様だと自分には思える。
 最後の、生理痛でー、という話については、確かに生理痛に対する、男性中心社会における全体的な理解の低さなど、今後改善されるべき側面の方が強く、生理痛と言い難い社会は好ましくないと言えるだろう。しかし、男性だって性病の治療の為に通院するので欠勤するとは言い難い。「生理痛と性病は根本的に異なる」というお叱りを受けるかもしれないが、どちらも性に関わる問題という意味で考えて欲しい。要するに生理痛はどうやっても性に関する話であることには違いない。生理痛は恥ではないが、確実に恥じらいを感じてしまう対象でもある。そんな意味で言えば、生理痛で欠勤するとは言いにくく、別の理由をでっち上げるのは、そんなにおかしいことだとも思えない。
 
 生理や女性を不浄な存在と考えることは確実に好ましくない。好ましくないどころか差別的と言っても差し支えないような考え方だ。そして、性的なもの・ことを必要以上に”恥”とか”不謹慎”とか”悪影響”などと捉え、タブー視することも適当とは言えないと自分は考える。ただ、性的なこと・ものを恥らうことは何もおかしくないし、それはある意味では、身体能力の上で明らかに男性に対して弱者である女性が、自己防衛する上で確実に必要な感覚だと思う。勿論ハフポストの記事はそんなことは大前提で、いちいち触れる必要もないこととして書かれているのだろうが、「生理の話をすることは、恥ずかしくない」という見出しでは、極解したり、勘違いしたり、恥と恥じらいを混同する者も出てくるだろうと自分は感じる。例えば、
 
生理の話をすることを、恥じる必要は全くない

という見出しで結論が書かれていたら、もっと素晴らしい記事になるだろう、と自分は感じた。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。