スキップしてメイン コンテンツに移動
 

部活動の理想像


 自分が中高生だった1990年代、365日毎日寝る時間と授業時間以外はほぼ練習という部活動は、特に強豪校と言われるような学校ではまだまだごく普通の存在だった。自分が当時所属していた部は、中高共に当時既に月曜は部活動休み制度があり、週1日は休みがあった。また、夏休みと冬休みの冒頭5-7日には、部活以外の活動をする為の休みが設定されていた。中高共にごく一般的な公立校だったし、どちらの学校も全ての部活動でそのような方式を採用していたこともなく、何故か自分が所属した部は、たまたま中高共に同じような休みの方式を採用していた。
 今はどうなのか詳しく知らないが、当時は確実に練習量の多さ=強さの最低条件のような風潮が確実にあった。しかし自分が所属していた部は、中学校は県で相応の成績を収めるような、ある程度実績のある学校で、高校は地区予選突破できるかできないかのごく普通の部だった。なので、個人的には練習量の多さ=強さの最低条件とは言えないと思っている。


 6/30、朝日新聞が「 中学運動部「週2日休み」広がる 32都府県教委が方針」という記事を掲載している。ここ最近、中学校の部活動で週2日は練習しない日を作る方針の部が増えている、部や学校単位ではなく、県教委単位でそのような方針が掲げられているという話だ。県によっては、朝練を原則禁止する地域もあるそうだ。部活動の練習日や朝練の実施については、生徒側の問題だけでなく、顧問を担当する教員の負担に関する問題もあるが、教員側の問題よりも生徒側に注目して考えてみたい。
 記事によると、スポーツ庁は3月に「週2日以上の休養日(土日は1日以上)」という基準を、中学校の運動部活動に関するガイドラインとして示したそうだ。また、活動の時間についても「平日2時間、休日3時間程度」と時間の上限を提示したそうだ。各県の県教委単位での動きが先だったのか、スポーツ庁の動きが先だったのかは分からないが、要するにこのような傾向は全国的なもののようだ。勿論スポーツ庁が提示したのはガイドラインであり、絶対守らなければならない規制ではない。最終的な判断は各校や各部活に委ねられるのだろう。

 この記事を読んだ自分の率直な感想は「確かにブラック部活動と揶揄されるような、我慢・根性を過剰に求めるような風潮の部活動がこれまで多く存在していたことは知っているし、当然そのような状況への対応策・改善策は確実に必要だが、単純に活動時間を制限しようという方針は、別の意味で極端だ」だった。
 自分が学生だった頃冒頭に書いたような活動時間の部に所属していたが、それに強い不満はなかった。しかしそれは確実に3月にスポーツ庁が示したガイドラインの範疇を超える活動時間だった。強制ではなく自主練扱いだったが、始業前の朝練もしていた。あくまで自主的にだが、勿論顧問の先生はその為に朝早く学校に来てくれていた。自分のようなタイプが多数派だとは言わない。また自分のような部活動スタイルが誰にでも適しているとも思わない。しかし自分にはそのスタイルの部活動は確実に適していた。少なくとも自分は今でもそう思っている。
 自分と同じ様なスタンスで部活動をしている生徒は今でもいるだろうと想像する。万が一、スポーツ庁やいくつかの県教委が示しているガイドライン・方針が、建前上強制力を持たなくとも、自分が所属する学校の部活がそのような方針になれば従わざるを得ない。自分が入った学校の部活が、自分のスタンスと合わない場合には、生徒は諦めたり我慢しなくてはならない。それはこれまでも同じことで、部活を重視する子どもは部活動で学校を選ぶなんてことも珍しくはなかったが、誰もが部活だけを重視して学校選びができるわけでもないし、学校に入ってから自分にあった活動スタンスに気付く場合もあるだろう。
 ブラック部活動的な練習量至上主義の蔓延からの脱却は確実に必要だ。しかし、逆に練習量否定主義に極端に傾くようでは、結局ベクトルが逆方向に振れただけで、本質的には問題は解消されないようにも思う。個人的には、学生がスポーツをする際の活動の場が、所属校の部活動にほぼ限定されていることが様々な問題を生んでいるように思う。

 活動スタンスの異なるいくつかの同じ競技のサークル(同好会)、若しくは所謂体育会系の部活動から、個人が所属先を選択できるようにすることが望ましいと自分は考える。流石に中学・高校で一つの学校に幾つも同じ競技の部や同好会を作ることは現実的ではないだろうから、大学のインカレサークルのように、所属できる者の所属校を限定せずに、同じ地域の数校単位で複数の部・同好会を共有すればいいのではないだろうか。言い換えれば、部活動を学校から極力切り離し、クラブチーム化すれば、それぞれの生徒がそれぞれの活動スタンスに合わせて所属先を選べるようになるし、万が一最初に選んだ組織に馴染めなくても受け皿を見つけやすい状況にもなる。公立の小学校・中学校も、基本的に住んでいる場所で通う学校が決まる。だからいじめにあったり馴染めなかったりしても、我慢するしかないという状況に陥りやすい。学校自体も幾つかの選択肢が必要だろうし、それは部活でも同じだろう。

 朝日新聞は同じ6/30に「1年夏から一人きりの球児「やめたいと何度も。でも…」」という記事も掲載している。9人集まらない野球部が全国的に増えており、連合チームが組まれることも珍しくないという記事だ。記者は部員が1人という学校の生徒に取材しており、彼の

 一人きりのつらさが耐えられなくて、やめたいと何度も思った。でも、最後は野球を続けて良かったと言えるようにしたい

というコメントを紹介している。1人で野球をするつらさに耐えることに意義はないとまでは言わないが、そんな状況に耐えるよりも、少なくとも1チーム分の人数で日ごろから活動することの意義の方が大きいと自分は考える。このような状況に対応する為にも、部活動の学校からの分離が必要なのではないだろうか。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。