スキップしてメイン コンテンツに移動
 

テレビの定義


 ツイッターのタイムラインに昨夜、「【突撃】ソニーが「NHKが映らないテレビ」を発売へ → 本当に受信料を払わなくていいのかNHKに聞いてみた結果…」という見出しの記事が流れてきた。ロケットニュース24というブログ系メディアの記事だ。調べて見ると「NHKが映らないテレビ」という表現を使用した記事は、他にも弁護士ドットコムなども記事を掲載している。詳しくは調べていないが、どうやら2ちゃんねる改め5ちゃんねるへの投稿、若しくはそのまとめサイトが記事作成の為に自演的に投稿した表現のどちらかが発信源のようだ。この発信源についてはあくまで、自分がいい加減に調べた上での推測なので断定はできない。
 NHKが映らないテレビと評されたのはソニーのBZ35F/BZシリーズだ。プレスリリースによると、この機種が発表されたのは3/19の事のようだが、弁護士ドットコムの記事には、

 「民放もBSも見られるが、NHKだけ見られないテレビをつくってほしい」ーー。ソニーの株主総会で、こんな質問がされたのは6月19日のこと。
そのソニーが7月6日に発売予定の商品が、要望とは違うものの「NHKが映らないテレビ」だとネットで話題になっている。

という表現がある。 厳密には弁護士ドットコムの論調は「そんな話がある」程度の書き方だが、「NHKが映らないテレビ」という表現も、株主総会の質問を受けて商品化されたかのような表現も、あまり好意的には受け止められない。”弁護士”という看板を掲げるなら、もう少し誠実に記事を書いて欲しい。センセーショナルな表現でビュー数を稼ごうという意図が感じられて残念だ。


 確かにソニーのテレビのブランド・Braviaシリーズを冠してはいるが、BZ35F/BZシリーズはテレビではない。正しくはモニター(又はディスプレイ)だ。何故なら、この機種はテレビチューナーを搭載していないからだ。なのでまず、この機種を指して「テレビ」と表現することがそもそもおかしい。この機種を「NHKの映らないテレビ」と表現するなら、パソコン用のディスプレイは全て「NHKの映らないテレビ」になる
 この機種を「NHKの映らないテレビ」と評した理由は他にも、Android OS(Android TV)を搭載しており、TVerなどのアプリをインストールすれば民放番組の一部が見られることにもあるようだが、それでこの機種をテレビと表現するのはかなり無理がある。厳密には大型スマホ・又はタブレット、若しくは簡易的な一体型パソコンと表現する方が実体に近い。このような観点でこの機種を「NHKの映らないテレビ」と評するなら、スマホもタブレットもパソコンもTVerなどを利用して、民放番組が視聴できるので、それらも「NHKの映らないテレビ」になる
 また、NHKだってアプリや視聴サイト「NHKオンデマンド」を公開しており、それを利用すればNHKの番組が視聴できる。なので「NHKの映らない」という表現はあまり適切ではない。BZ35F/BZシリーズを指して「NHKの映らないテレビ」とするのはそれらの理由で適切とは言えず、正確には「ソニーがブラビアブランドでリリースしたモニター 」というだけだ。

 「NHKの映らないテレビ」という表現を最初に用いた者、その表現を好意的に捉えた者らには、オーディオビジュアル分野屈指のブランドが、NHK受信料の徴収の在り方に苦言を呈したかのような印象を広めたいという思惑があるのだろう。確かに自分も、NHKの番組には面白いものも多いが、CS系のチャンネル、ネットの動画配信サービスの利用料よりも受信料は割高で、オンデマンドでは更に料金が掛かり、高いレベルで満足しているとは言い難い。しかし、チューナーを内蔵しないモニターを指して「NHKの映らないテレビ」とし、NHK批判につなげようという思惑には全く賛同出来ない。
 モニターはまずテレビでないし、無理矢理テレビという枠に入れるとしても、チューナーを内蔵しないのなら「NHKの映らないテレビ」ではなく「NHKも民放も映らないテレビ」だ。要するにテレビの映らないテレビでしかなく、やはりそれはテレビではない。確かにAbemaTVのように、ネット放送がテレビを標榜することはあるが、現時点ではそれは厳密にはテレビ放送ではない。今後定義が変わる可能性がないとは言えないが、現時点では地上波/BS/CSのいずれかのチューナーとディスプレイを備えた機器が、所謂テレビ受信機だ。

 この件を取り上げているのは、面白おかしい記事を書く一部の読み物的な新興メディアだけで、所謂大手のメディアは見向きもしていないということは、その程度の評価の案件ということでもある。しかし、このようないい加減な解釈・定義がまかり通る世の中が健全だとは当然思えない。ただ、森友加計問題などに関する政府側の説明を見ていると、そのような風潮がまるで問題ないかのような状況になってしまうのも仕方がないのかもしれない。勿論仕方がないで片付けられるような話ではないので、自分はこれからも、大した人数は見ていないだろうが、このブログなどで指摘する。自分が所属している社会から目を背けることは出来ない。それは政府だろうが、野党勢力だろうが、どんなメディアだろうが、SNSで主張する個人だろうが同じで、おかしいことにはおかしいと出来る限り言えるように努力したい。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。