スキップしてメイン コンテンツに移動
 

授業のつまらない先生


という、東京学芸大学の大学院生・Marinaさんが、高校生当時に感じた授業に関する疑問をマンガにしたツイートが話題になっている。自分は、このツイートの事をハフポストの記事「「なぜ話しかけてくれないんですか?」教科書を写すだけの授業、先生に質問した体験をマンガに」で知った。このマンガを読んで、自分の小学校の時の体験を思い出した。


 小学校5年生になったのを機に担任が、新たに赴任してきた先生に変わった。自分が通っていた小学校では、1・2年/ 3・4年/ 5・6年 と担任が変わるのが通例(勿論産休等で途中で先生が変わる例外もあったが)だった。この先生は、このマンガで描かれている先生と似ており、教科書を丸写しで板書するだけのような先生だった。少なくとも自分にとってはそう見えていた。そう見えたのは、何か質問をしても「理由は考えずに覚えるのが最も効率的」のような説明が多かったのもその大きな要因だった、と振り返ってみて思う。兎に角、自分はこの先生のつまらない授業と、「考える必要はない、覚えろ」というような態度が大っ嫌いだった。
 1学期が始まって数か月が過ぎたある日、自分は学校に行くことをボイコットした。といっても登校拒否のような深刻な話ではなく、先生が嫌だから、授業がつまらないから学校に行きたくないと親にも宣言して、たった1日だけ学校を休むという一種の抗議行動のようなものだった。このマンガでは、板書を書き写すだけの授業に疑問を持ったMarinaさんに対して、同級生からは冷ややかな視線が向けられたという話になっているが、自分の場合は、同じように感じた同級生が「あの先生の授業はつまらないよね」とか「兎に角覚えろはおかしい」と賛同してくれた。その結果、他の子も、クラスの半分以上が不満を持っていることが分かったし、クラスの一部はボイコットを始めてしまった。ボイコットと言っても学校に来ないというわけではなく、先生を教室から締め出したり、小学生なのに授業をサボって屋上で過ごすなんて状態だった。ただ単に授業をサボりたいだけの奴も中には居たのかもしれないと、今考えれば思えることを一応付け加えておきたい。

 この状態は1学期の間ずっと収まらなかった。夏休み明けの2学期の始業式に、その先生の姿はなかった。体調を崩して療養の為に休職するというような話だったと思う。体調を崩したというのが本当なのかそうでないのか、また、本当だとしても自分たちがボイコットをしたことによる精神的な不調だったのかは定かでないし、当然他の先生がそれについて語ることもなかった。自分たちのクラスの担任はどうなったのかといえば、4年生までの担任で概ね慕われていた先生が、4月から教育委員会に転勤していたにも関わらず、学校に戻ってきて再び担任になることになった。これによって2学期からは、また日常的な状況が自分たちのクラスに戻った。
 その休職した先生がどうなったかと言うと、2学期の途中に療養から復帰し、一応副担任のようなポジションに収まったように記憶している。しかし、前述のような事があったのでクラスとの関係性は全然よくならなかったし、6年生になっても担任に戻ることはなかった。自分は、2学期の始業式にその先生の休職を知った時、「自分たちがボイコットした所為かも」という一抹の罪悪感を感じはしたものの、自分が1日ボイコットをした後も、先生が締め出しを食らうまで方針をほぼかえなかったのだから、自業自得だとも思った。

 自分は、つまらない授業をする先生が担任や教科担当になるとかなり苦痛だったし、その教科に対するモチベーションに大きく影響するタイプだった。授業が面白い先生の教科の成績は軒並み10(最高評価)なのに、つまらない先生の教科は1(最低評価)で学期末の追試だけでなく中間試験の追試も含めて、追試皆勤賞というような極端な生徒だった。授業が面白い、つまらないと表現したが、勿論先生を人間的に好きか嫌いかのような感覚的な要素も含まれていただろう。
 人間は親を選んで生まれてくることはできない。それは生物学上仕方のないシステムなので、「生まれてくる親を選びたかった」と感じることはあっても、それを実現することは不可能で、不仲な親子や、感覚が合わずに辛い思いをする親子が出てしまうのは仕方のないことなのかもしれない。しかし、先生は子供側が合う合わないで選べてもよいのではないだろうか。
 小中高の担任・担当教員は基本的に選ぶことが出来ない。公立の学校はそもそも学区で行く学校がほぼ決められており選択肢がない。引っ越すとか越境とか力技を行使できないわけではないが、強引に学校を選べても、先生は学校側に決められてしまうので選ぶ余地はない。小中高も、大学や予備校のように、ある程度先生を選ぶことが出来ればいいのにと、このマンガを読んで感じた。基本的には学校側が担任を決めるようでも構わないが、一度決まったら最後まで、少なくとも年度末までそれを変えられないというような仕組みには改善の余地があるのではないだろうか。

 予備校講師は授業がつまらないと生徒が集まらず食べていけない。現在、学校教員の肩に載せられている責任は重すぎるとも思うが、教員の本分である授業がつならないようでは元も子もない。学業以外の過重な責任の軽減を検討するのと共に、授業がつまらないと食べていけない、食べていけないは過剰でも、リスクになるような仕組みにする事も、もう少し必要ではないのか?と思う。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。