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日本が他国から失笑されてしまうような事を言う首相を選んでいるのは、紛れもなく日本の国民


 NHKの「首相「データ取り扱いの国際的ルールづくりスタートさせたい」」という見出しの記事が大きな話題になっている。

 G20大阪サミットを前に東京都内で開かれた各国の経済界のリーダーらが意見を交わすB20の閉会式で、安倍総理大臣は大阪サミットでデータの取り扱いに関する国際的なルールづくりをスタートさせ、自由貿易体制の進化につなげたいという考えを示しました。
どのように話題になっているのかと言えば、自分の管理下の組織・政府内で、データの隠蔽・捏造・改ざん・不適切な廃棄が横行しているのに、つまり管理下の組織ですら適切なデータの管理・開示=取り扱いを徹底させることが出来ない者が、どうしてデータの適切な取り扱いに関する国際的なルールづくりを主導できると思ったのか、そんな者による提案を他国が称賛すると思っているのか、賛同すると思っているのか、という内容が殆どだ。


 NHKのこの記事は官邸の発表を要約しただけの内容だ。この件に関する報道に関してはほぼどのメディアも横並びで、前述のような、主にSNS上で見られるような論調の、批判的な表現をしている記事は、自分が調べた限りでは見当たらない。「首相の発言を伝える」という意味ではそれでもいいのかもしれないが、SNS上で主に個人が発しているような厳しい論調までではなくとも、「自衛隊・防衛省での度重なる日報隠蔽、裁量労働制に関する厚労省によるデータの捏造、森友学園問題に関する財務省での公文書改ざん、法務省による入管難民法改正に関するデータの恣意的解釈、厚労省での毎月勤労統計調査不正、ほぼ全ての省庁で行われていた障害者雇用の水増し等を勘案すれば、国際的なデータの取り扱いの前にまず国内・政府内でデータの取り扱いを徹底させる方が先」くらいの論評は交えて欲しいと感じる。

 この件は昨日来にわかに注目を浴びているが、安倍氏がこの話をしたのは今回が初めてではない。1/28の、2019年の通常国会での施政方針演説の中でも、
 国際貿易システムの信頼を取り戻すためには、WTOの改革も必要です。米国や欧州と共に、補助金やデータ流通、電子商取引といった分野で、新しい時代の公正なルールづくりを我が国がリードする。その決意であります
と言っていたし(官邸「第百九十八回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」)、ブルームバーグの記事「安倍首相:データ流通の国際ルールづくり提唱-ダボス会議で講演」によれば、その直前に出席した世界経済フォーラム年次総会・所謂ダボス会議でも、
 個人や企業のデータ管理など「データ・ガバナンス」について国際的なルールづくりを議論する枠組みの創設を呼び掛けた
そうだ。ブルームバーグの記事には、安倍氏が「今後世界に「成長をもたらすものは、デジタル・データ」である」と指摘し、国境を越えたデータ流通の必要性を訴えた、ともある。これらの3つの発言を勘案すればつまり、安倍氏が言っているデータとは、経済・貿易に関するデータを主に指している。いつだったかは失念してしまったし詳しく調べてもいないので、もしかしたら自分の記憶違いかもしれないが、昨年・2018年にも、安倍氏はどこかで同じ様なことを言っていたように記憶している。

 このような指摘をすると「経済・貿易に関するデータと政治・政権運営に関するデータは別モノ」のような解釈で、安倍氏を擁護する者が出てきそうだが、それら2つは決して無関係ではない。例えば、裁量労働制や外国人労働者の受け入れに関するデータ、勤労統計調査に関するデータは、政治・政権運営に関するデータでもあり、そして確実に経済に関するデータでもある。また、経済と政治のデータは別モノだという解釈で安倍氏を擁護すれば、安倍氏は経済に関するデータの取り扱いは厳密なルールに基づくべきだと考えているが、政治・政策に関するデータに関しては厳密なルールに基づかず、なあなあでよい・都合に合わせて解釈を変えてもよいと思っているのだろう、と推定していることにもなりかねない。
 そもそも経済・貿易に関するデータだろうが、政治・政権運営・政策に関するデータだろうが、データはデータである。どんなデータだろうが内容を改ざん・捏造することが許されないのは大前提だし、不都合なデータを隠蔽したり、不適切に廃棄したりすることが許されないのも当然のことだ。勿論恣意的な判断に基づく解釈、実態に即しているとは言い難い歪曲した解釈をすれば、批判・指摘を受けるのも至極当然のことだ。
 前述した複数の例が示すように、現政権内で適切なデータの取り扱いが出来ていないのは誰の目にも明らかだ。その政権の長、つまり内閣総理大臣である安倍氏が公正なデータの取り扱いに関する国際的なルールづくりを主導する、と言っているのだから、国内外の多くの人の目に、「安倍氏が世界に向けた壮大なボケをかましている」ように映るのは当然だろう。

  そんなに世界中の笑いを誘いたいのなら、安倍氏は今すぐに内閣総理大臣を辞めてコメディアンにでもなるべきだ。首相の仕事は笑いを誘うことではない。もっとも、本人にボケているつもりはないだろうし、笑いを誘っているつもりもないだろうから、厳密には
 首相の仕事は世界から笑われることではない
と言った方が実態に即しているだろう。
 自分の知る限り、安倍氏はこれまでに2度、世界の笑い者になるような発言を公の場で、世界中に向けて行っている。1つ目は東京オリンピック誘致に関する演説の中で述べた「Fukushima was “under control”」だ。これは2013年の発言だが、現在もまだ汚染水は増え続けているし、メルトダウンを起こした原発の処理の見通しが立っているとは言えないような状況だ。現在でもそんな状況なのに、2013年当時の状況がアンダーコントロール・「制御下」にあったなどとは到底言えない。
 つまり安倍氏は、東京オリンピック招致の為に、世界に向けて嘘をついたというのが実情だ。更に言えば、その発言は原発事故やその処理に関して、日本政府が誠実な発表をしないことの表明でもあり、未だに世界各国が福島や福島産品、場合によっては東日本、若しくは全ての日本産の食品に関する不信感を抱く理由の1つにもなっているだろう。原発事故以降、台湾や韓国、中国、香港、シンガポールなどの国や地域は、福島県とその周辺5県産の食品など、日本産の食品に対する輸入規制措置を始め、それは事故から8年が経った今も続いている。米ワシントンポストも、2/20に掲載した記事「Eight years after Fukushima’s meltdown, the land is recovering, but public trust is not(福島のメルトダウンから8年が経ち、土地は回復しつつあるが、世間の信頼は回復していない)」の中で、再びこの発言を取り上げている。見出しだけを見ても、何が言いたいのかが分かる。

 2つ目は、2016年のG7・主要国首脳会議、所謂伊勢志摩サミットで、「リーマンショック前の状況に似ている」という見解を示した件だ。彼は、実施を宣言していた消費税の10%への引き上げについて、それ以前から「リーマンショック級に事態があれば検討し直す」という姿勢を示しており、実際にこの発言の直後に所謂「これまでのお約束とは異なる、新しい判断」に基づき、それまでの方針を覆して消費増税の再延期を発表した(ハフポストの記事)。つまり、消費増税の再延期という方針転換をする為の大義名分を得ようとして、G7の首脳らを前に「世界経済はリーマンショック前の状況に似ている」と素っ頓狂なことを言った結果、案の定誰も賛同しなかったというのがこの件の実状だ。
 ロイターの記事「安倍首相が消費増税の2年半延期を表明、自民役員会で異論出ず」によれば、安倍氏は、
 私がリーマンショック前の状況に似ているとの認識を示したとの報道があるが、まったくの誤りである
 中国など新興国経済をめぐるいくつかの重要な指標で、リーマンショック以来の落ち込みをみせているとの事実を説明した
という見解を示したそうだが、彼自身は「リーマンショック前の状況に似ている」という見解を示したとは思っていないのだとしても、会議に参加した各国首脳らや国内外のメディアが、彼が示した「中国など新興国経済をめぐるいくつかの重要な指標が、リーマンショック以来の落ち込みをみせている」という見解をどう捉えたのか、はまた別の話である。当時ニューズウィークも「安倍首相、消費増税再延期へ、サミットで経済状況リーマン級の危機と各国に説明」という記事を掲載しているし、同様の見解の記事は多い。寧ろ、そう捉える記事しかないと言っても過言ではない。つまりロイターが紹介した彼の釈明は、彼お得意の言葉遊びでしかないという評価が大半だ。国内外で「安倍氏がリーマンショック前の状況に似ているなんて言っているけど、それに頷く人なんて誰もいないよね?」という評価が広がったのに対して、安倍氏が体裁を整えようと慌てて強がって見せただけ、という評価がなされるという、恥の上塗りのような不細工な話だ。

 この他に、彼が世界のどの国の首脳よりも、米トランプ大統領との親密さをアピールしているのも世界から日本が失笑される要素の一つだし、これ以上日本の首相として世界中から笑われるような行動をしないで欲しい。彼は日本の現内閣総理大臣なので、日本を最も代表する人物の一人である。これ以上笑われたいのであれば、日本の首相としてではなく、安倍 晋三という一個人として振舞って欲しい。


 最後に1つ付け加えておくと、このような状況に日本が陥っている、つまり世界から失笑されかねない状況になっている原因は、安倍氏だけにあるのではなく、選挙の度に彼が総裁を務める自民党を与党に選び、実質的に彼を首相として信任している日本人全員にもある。つまり日本人一人ひとりの自業自得でもある。
 「私は自民党に投票していない」と言う人もいるだろうが、この投稿のような指摘を行い、自民党や安倍氏の振舞いに苦言を呈してきただろうか。苦言を呈していたとして充分だっただろうか。充分ではないから今の状況になっているのではないだろうか。つまり、自民党に投票していなくとも、つまりこの投稿を書いている自分のように、現政権への疑義を示していたとしても、少なからず現在の日本社会の状況に関する責任はあるということだ。
 単に批判・責任追及をするだけでなく、それと並行して、何事も自分事として受け止め反省し問題解決に努めなければ、状況の打開などできる筈はない。そのような姿勢が欠けているからこそ、現在の野党には支持が集まらないと考えるべきなのかもしれない。

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