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映画「ひろしま」を見て思う。65年前から変わらぬ自己責任論


 昨夜のNHK Eテレ・ETV特集では映画「ひろしま」を放送した(2019年8/16 ETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」)。自分はこの放送を知るまで、この「ひろしま」という映画の存在を知らなかった。
 この放送を見て再確認させられたのは、確かにNHK報道は、特に政治報道に関して、報道機関でなく政府広報機関に成り下がっており、組織の大きな柱の一つである報道がそんな状態であるNHKには改革の必要性が確実にあるが、スポンサー企業や視聴率にとらわれない(昨今は視聴率にとらわれている面もあり、その改革も必要ではあるが、)NHKをぶっ壊すのは、市民にとって決して有益とは言い難い。それは水道などのライフラインを私企業に売り払ってしまうのにも等しいということだ。
 確かに民放でもこの映画を放送することは出来る。しかし、民放が放送したとして、NHKが放送する程の注目が果たして集められただろうか。同じコンテンツを放送するにしても、NHKの影響力は民放よりも大きく、だからNHKにしか出来ないことはまだまだ存在するし、NHKには、それを適切に利用して、その役割を果たして貰わなくてはならない。




 Wikipediaによると、この「ひろしま」という映画は1953年に製作された作品だそうで、1955年には第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞したそう。映画が製作された1953年は、1950年に始まった朝鮮戦争が休戦に至った年だ。その2年前・1951年はサンフランシスコ講和会議が開かれている。この映画がベルリン映画祭で賞を受賞した3年後の1958年は、東京タワーが完成した年である。また1954年には、日本第3の被爆・第五福竜丸事件が起きている。この映画が製作された1950年代はそんな時期だ。
 この映画の撮影には被爆者を含む広島市の中学・高校生、教職員、一般市民等約8万8500人が参加したらしい。白黒で画質も決してよくはないのだが、逆にそれがこの映画のリアリティを高めているようにも見える。厳しく言えば粗を隠している部分もあり、原爆による被害の恐ろしさがそれによって強調されているようでもある。鑑賞しながら、もしこれに着色を施してカラー化したらどう見えるかも考えてみた。もしかしたら被爆者らの血や傷がより生々しく見えるかもしれないし、当時の生活がより感じられるようになるかもしれず、カラー化されたバージョンも見てみたい気はするが、見るにしても白黒のオリジナルを先に見ておくべきだと考える。
 

 この映画の大半の部分は、原爆投下以降の描写に費やされているが、自分が最も印象的に感じたのは、この映画が導入部分で描かれている映画製作当時の現在の様子だ。
 映画の冒頭部分は1950年頃、朝鮮戦争が始まった頃という設定のようで、とある中学校の教室の様子が描かれている。ある被爆者の女生徒が白血病になって倒れるシーンから始まり、その後、別の被爆者の女生徒が教室で「最近暑くてだるい・調子が悪い」と訴えるシーンが描かれる。それに対してある男子生徒が「暑ければだるいのは当然」のように茶化すのだが、それを受けて別の男子生徒がそれを批判する。その批判するシーンはこの予告編の冒頭でも描かれている。



 そのシーンで用いられたセリフ「(被爆者が不調を訴えたり、偏見を持たれていると訴えると)君たちはすぐに原爆を鼻にかけているとか、原爆に甘えていると言って笑うんだ」は、この映画の中で、自分にとって、最も印象に残った。勿論その後で多くの時間をかけて描かれている被爆直後の悲惨な様子や、政治家や軍人のそれでも戦争を継続しようという馬鹿げた会議や啓蒙などの様子も、全く心に響かなかったわけではないが、それははだしのゲンなどのマンガや映画等、そして毎年8月初旬に放送される原爆や広島に関するドキュメンタリー番組でも多く紹介されているので、被爆者らが被爆者を演じている映像を目の当たりにしている、というリアリティはあるものの、前述のシーンとセリフの方が印象に残った。

 「被爆者は原爆に甘えている」という話は、映画の中で教師が「自分もよく実態が分かっていなかった」と被爆した生徒らに詫びているように、当事者の事、置かれた状況をよく知らないから吐けるセリフだろう。これを聞いて真っ先に頭に思い浮かんだのは、現在の日本にも蔓延っている「自己責任論」だ。
  • 生活保護受給者は甘えているだけ
  • 就職氷河期世代は甘えているだけ
  • 鬱病は甘えているだけ
  • 「年金だけで生活できない」というのは甘えているだけ
どれも似たような話である。また、「同性愛者への差別や偏見は殆どないのに、差別されている/偏見があると主張し甘えている、同性婚を認める必要はない」「女性は男性よりも立場が低いと甘えている。選択的夫婦別姓制度など必要ない」「障害者が仕事や学業の際の介助まで国に負担しろというのは甘えだ」のようなことを堂々と言ってのける人も少なからず存在しており、昨今のSNSの発達によって、そのような声が一部で大きくなっている。その中には、残念なことに政治家・国会議員という立場の人もいる。
 勿論、被爆者の中にも、生活保護受給者の中にも、就職氷河期世代にも、自分は鬱病であると言っている人の中にも、「年金だけでは生活できない」と言っている人の中にも、同性愛者にも障害者にも、甘えている人はいるかもしれない。しかし、様々な理不尽に絶望してしまい、その状態に陥っている人も確実にいるし、甘えではなく出来る限りの努力をした上で、若しくは今も続けているにもかかわらず、そのような状況に陥った人だって確実にいる。「甘えている”だけ”」と短絡的に断定するのは、絶対に妥当とは言い難い。
 「○○は甘えているだけ」と言う者の中には、たまたま運よく生活保護に頼る必要がないだけの人、たまたま就職氷河期世代に生まれなかっただけの人、幸運にも鬱病になっていないだけの人、運よく老後の蓄えをできる状況だっただけの人、偶然にも障害を持たずに生まれなかっただけの人、たまたまこれまで大きな怪我・病に見舞われなかっただけの人が多く含まれているだろう。
「○○は甘えているだけ」という人に言いたい。
 あなたは自分の努力だけで今の自分の状況に至っていると思っているのかもしれないが、それはたまたまあなたは運がよかった”だけ”だ


 再確認だが、この映画「ひろしま」が製作されたのは1953年で、今から65年以上前だ。未だに一部の日本人のメンタリティーは65年前と大きく違わない。極端に言えば、一部の日本人は60年以上も経つのに進歩がない、若しくは65年の間に一度は進歩したが昨今再び退化している、と言えるのではないだろうか。

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