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子どもの貧困問題は子どもの貧困問題ではない


 最近は下火になっているが、一時期「生活保護受給者は甘えているだけ」という趣旨の言説が目立つ時期があった。例えば、J-Castニュース「使用禁止「保護なめんな」ジャンパー  ネットでは「何が悪いのか」激励相次ぐ」/ Wikipedia:小田原ジャンパー事件 や、ハフポスト/朝日新聞「「PCは人から借りられる」生活保護費の返還命じる判決 東京地裁」などが伝えているように、行政や司法がそんな風潮を煽っている側面も確実にあった。それら一連の流れを見ていて感じたのは、
 決して少なくない日本人が、憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」を適切に理解出来ていない
 ということだ。
 生活保護受給者への心無い中傷が減ったこと自体は良いことだが、当時そのような主張をしていた人達が、今は同姓愛者や障害者、選択的夫婦別姓制度を設ける人、韓国全般にその矛先を変えただけのようにも思う。つまり、それらへの攻撃がひと段落したら、再び生活保護受給者や貧困層への攻撃が始まるのではないかとも危惧している。


 ハフポストは8/19に「夏休みになったとたん、やせ細る子どもたち。貧困状態にある彼らにとって「生命線」は給食だった」という記事を掲載した。
 まず、給食が絶対的に必要なものと言っているようにも見える見出しが少し気になる。確かに、貧困家庭の子どもにとって給食が生命線になるケースというのはしばしばあることだろうが、しかし一方で、全ての子どもが一律に同じ食事をするということにはデメリットもある。例えば、特に小学校高学年以上になると、それぞれ食べる量は大きく異なる。多くの日本人の高校生当時の記憶に、運動系の部活に所属する男子生徒のデカい弁当箱と、それを昼休み前に食べてしまい、昼は学食で更に食事をしたり、購買でパンを買って食べる様子、一方で手のひら程の弁当箱で充分な女生徒、などの姿がある筈だ。また、朝日新聞「給食でアレルギー源やめます 栄養価も費用も一緒 大阪」などを見ると分かるように、全ての子どもが一律に同じ物を食べる給食だと、アレルギーに配慮して卵、乳、小麦などのごく一般的な食材を止める必要性が生じてしまうという側面もある。記事には「代表的なアレルギー源を使うのをやめた」とあるが、アレルギーは人によって様々だ。つまり代表的なアレルギー源とされる卵、乳、小麦の使用を止めても、問題が全て解消するわけではない。弁当のように個々に食事を用意すればアレルギーの問題は解決する。というか寧ろ個々に食事を用意しなければアレルギーの問題は解決できない。個人的に、これは給食の短所だと感じる。
 当該記事がそのような側面を度外視していると言いたいわけでもないし、度外視しているとも思ってはいないが、昨今どうも「給食は全面的に弁当持参よりも優れている」かのような認識が広がっており、自分は記事を読んで「給食にも短所はある」という事を指摘したくなった

 しかし、
  • 日本では服装などの身なりが整っていないと親が仕事に就きづらく、子どももいじめにあってしまう可能性がある
  • 収入の少ない母子家庭では、少ない手取りから携帯代や洋服にかけるお金を捻出し、その分食費を削る場合もある
  • 小ぎれいな外見でスマートフォンを持っている子どもでも、貧困家庭で育っている場合がある
  • ダブルワークやトリプルワークをしている家庭では、親が早朝に家を出て帰宅は深夜になってしまうことが多く、子どもの食が蔑ろにされがち
という話など、記事の内容には概ね賛同する。まさに「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か、について考えさせられる内容だ。だが、同記事が「何が問題なのか」について、「子どもの貧困問題」として論じていることには違和感がある。
 これはもうそこら中で指摘されていることだが、子どもの貧困問題は子どもの貧困問題ではない。子どもに限らない家庭の貧困問題、つまり単なる貧困問題、もっと分かり易く言えば、拡大する格差社会の問題だ。記事にある「厚労省の調査によれば、ひとり親家庭を中心として、子どもたちの7人に1人、約280万人が貧困状態にあるという」という文言からも分かるように、ひとり親家庭、特に母子家庭の貧困が顕著であることが問題の中枢だろう。つまり、正規/非正規の収入格差・男女格差が問題の実態だ。
 記事はそんな家庭に育つ子どもに焦点を当て、支援制度の不十分さを訴える内容だ。勿論、現在そのような立場の家庭・子どもへの支援が不十分であることを訴えることにも大きな意味はある。短期的視点で考えればまずそれをするべきだろう。だから記事の内容を否定しようというつもりは全くない。しかし一方で、拡大する格差社会の問題なのにもかかわらず、それを子どもの貧困問題と表現すると、結果的に問題を矮小化してしまいかねないようにも思う。意図せず問題の本質を見え難くしてしまう恐れがあるのでは?とも感じてしまう。厳しく言えば、拡大する格差社会の問題を子どもの貧困問題として扱っても、結局は問題の根本を解決するには至らず、付け焼き刃的な対応になってしまうのではないか、と危惧する。
 但し、全面的に「子どもの貧困問題」と扱うなと言いたいわけではなく、問題解決の糸口として「子どもの貧困問題」とするのはよいが、記事の最後の1文だけでも良いので、問題の本質は正規/非正規の収入格差・男女格差等、拡大する格差社会の問題・子どもだけでなく大人も含めた貧困問題であることを指摘して欲しい。確かに子どもの貧困状態に対する支援は必要だが、問題を根本的に解決する為には、男尊女卑傾向の解消、正規・非正規での収入格差の解消、年齢による雇用格差の解消などが不可欠だ。


 貧困や格差問題に関して、もう一つ気になる記事をハフポストは掲載していた。それは「公衆トイレでの性行為など、強制的に防止へ。イギリスの新システムに、なぜ批判が集まっているのか」という記事だ。イギリス・ウェールズのとある公園のトイレに、ホームレス状態の人などがトイレの中で長時間寝たり過ごしたりすることを避けるため、 一定の長い時間トイレの中にいると照明と冷暖房が切れる仕組みが導入されたのだそう。このトイレには、トイレ内での性行為や暴力行為などを強制的に防止するためとして、2人以上が同時に入ったり、暴力的な行為を検知すると反応するセンサーを取り付け、異常が検知されると冷水が噴き出す仕組みも備わっているらしい。
 これに対して、
  • 非常にばかけている。障害を持っているなど、助けが必要な人のことを考えてなさすぎ
  • ホームレス状態の人が公衆トイレで寝ることを余儀なくされるくらい困っているなら、ハイテク技術で追い払うのではなく、支援の手を差し伸べるべきではないか?
などの意見が寄せられたそう。
 日本でも同じ様に、ホームレスが横になれないようにベンチにひじ掛けを設けたり、オブジェと称してホームレス除けの構造物を設けたりするケースがある。人間が愚かなのか、日本人が特に愚かなのかは定かでないが、敗戦直後に戦争孤児を邪魔者扱いした頃と大差ない、つまり進歩がない、ないは言い過ぎだとしても「経過した年月に見合った進歩がないな」と感じる。


 トップ画像は、Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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