スキップしてメイン コンテンツに移動
 

首相が3日で2度も、1年に26回も不適切発言を繰り返す国


 「仏の顔も三度まで」ということわざがある。舐めた真似を3度もされたら、いくら心の広い仏様でも腹を立てるという話に由来する、慈悲深い人でも無法なことをたびたびされると怒ることを表現したことわざだ(仏の顔も三度(ホトケノカオモサンド)とは - コトバンク)。自分は子供の頃、ある時母に叱られた後に、祖父にこの言葉を教えられた。祖父は「仏様なら3回までは大目に見てくれるが、普通の人はそうはいかない。同じ失敗を2度すれば大抵の人は怒る」と言っていた。同じ注意を受けるような失敗は繰り返えさないようにするのが利口だ、という話だった。
 仏様と言えば大抵柔和な顔をしているが、明王のように憤怒相の仏様もいる(明王 - Wikipedia)。自分は全く信心深くない為、詳しい話はわからないが、間違いを許す柔和な心だけでなく、間違いを正すのには怒りも必要だ、ということかもしれない。


 11/7の投稿で書いたように、安倍氏は11/6の衆院予算委員会・集中審議の中で、立民など野党共同会派に所属する今井議員が、加計学園問題に関する文部科学省内で作成されたメモについて、「誰かが作った」と指摘した際に、挙手もせず自席から「あなたが(作ったんじゃないの?)」とヤジを飛ばし、審議が中断した。この行為に対して衆院予算委員長が「不規則発言を慎むように」と苦言を呈し、安倍氏はしどろもどろになりながらその不規則発言を詫びていたのだが、11/8の参院予算委員会・集中審議で再び、挙手せずに自席からヤジを飛ばしたことが話題になっている。
 「安倍首相またやじ 立憲議員に「共産党」:北海道新聞 どうしん電子版」によれば、安倍氏は、立民・杉尾議員が放送局に電波停止を命じる可能性に言及した2016年の高市早苗総務大臣の発言について質問した際、自席から杉尾氏を指さして「共産党」とヤジったそうだ。これによって安倍氏は再び、参院予算委員長が「不規則発言は厳に慎んでほしい」と注意を受けている。
 次の動画は杉尾氏の質問全体だが、当該部分から再生されるように設定してある。




 安倍氏はたった2日で同じ不適切行為を繰り返している。冒頭でも示したように、仏の顔も三度までと言うが、それは仏さまだから3度までなのであって、大抵同じ失敗を2度すれば「反省がない」と言われる。というかそもそも、11/7の投稿でも指摘したように、安倍氏はしばしば自分の答弁に際して「ヤジは止めて頂きたい」と発言しているのだし、そんな発言がなかったとしても、首相が自席からヤジを飛ばす行為なんて1度目からアウトな行為だ。
 しかも安倍氏がヤジを飛ばすのは決してこの2回に限った話ではない。「やまぬ安倍首相のヤジ 今年だけで不規則発言20回超「民主主義の危機」 - 毎日新聞」と報じられている。間違ってはいけないのは、政権成立後の約7年で20回超ではなく、今年だけでも26回の不規則発言をしている、つまり挙手せずに自席からやじを飛ばしているのである。「安倍首相の「ヤジ」遍歴を振り返る 過去には発言撤回も : J-CASTニュース」も似たような記事を掲載している。これでは仏様だってぶちギレるだろう。明王の炎も太陽の紅炎の如く燃え盛ることだろう。
 この件からは、安倍氏が「責任を痛感している」とか「国民にお詫びする」なんて言ったとしても、概ね彼に反省はなく何度でも同じことを繰り返す人物であることもよく分かる。


 11/7の投稿同様に、この11/8の首相によるヤジについても、テレビ報道はどう伝えたのかを調べてみた。

問題続出の国会、“首相のヤジ”でまた紛糾 TBS NEWS


【報ステ】英語試験の問題…「就任時に感じていた」テレ朝news


 11/6の首相のヤジについて報じたのはテレビ朝日・報道ステーションだけだったが、今回はTBSもNews23の中で取り上げた。しかし、NHK・日本テレビ・フジテレビ・テレビ東京は一切触れておらず、1度ならず2度も首相が同じ部類の失言を行ったのに、何故かそれを報道するテレビ局の方が少ない状況には変わりがない。
 他の政治家の失言は大体どのテレビ局も取り上げるのに、なぜ首相のこんな体たらくな失言を過半数のテレビ局が取り上げないのか。指摘を受けて謝罪した行為を、そのたった2日後、舌の根の乾かぬ内に再び繰り返しているのに取り上げないのは全く理解に苦しむ。意図的に沈黙しているとしか思えない。

 日本のテレビ報道、特に政治報道は既に死んでいる。

表現の不自由展の助成取消後、辻褄合わせの側面もありそうな幾つかの似た事案が起きているが、このように首相の失言を取り上げないことの辻褄合わせの為に、テレビの政治報道は今後他の政治家の失言も積極的に報じなくなる恐れがある。
 テレビ局関係者、特に政治部以外の報道局関係者は、同種扱いされたくないのなら声を上げるべきだ。政治報道とは報道の大きな柱の一つであり、それが死んでいるならテレビ報道、というかテレビ局全体が死んでいると見なされても仕方がないのではないか。



 トップ画像は、File:Seated Aizen Myo'o (Ragaraja), Kamakura period, 13th-14th century, wood with polychromy, cut gold leaf, and inlaid crystal eyes - Tokyo National Museum - DSC05377.JPG - Wikimedia Commons を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。