スキップしてメイン コンテンツに移動
 

普通という表現はとても曖昧、普通は普通でない


 以前にも書いたかもしれないが、「普通」という言葉を出来る限り使いたくない。普通という表現が好きじゃない。寧ろ嫌いである。勿論普通という概念を全否定するつもりはない。だが、この定義の曖昧な普通という表現を、自分に都合よく使う人、特に自分が10代の頃に、先生や親を含めそんな大人が多数いたので、普通という表現自体に嫌悪感を抱き始めた。


 前述のように普通というのは非常に曖昧な概念だ。例えば、日本では夫婦は同じ姓を名乗るのが一般的であり、そういう意味で言えば夫婦同姓が普通である。だが、すぐ隣の韓国や中国などでは、従来から夫婦別姓が一般的であり、つまり夫婦別姓が普通である。このように条件が変われば普通も変わる。
 それは日本国内だけを見ても言えることで、例えばそばやうどんの「たぬき」は地域によってその仕様がかなり異なる。つまり地域によって普通は変わる(たぬき (麺類) - Wikipedia)。また同じ地域の出身者でも、人によって普通の定義は変わる。ある人は「目玉焼きには普通ケチャップだ」と言うが、別の人は「いや醤油だ」「ソースだ」と言うだろう。各家庭にそれぞれの普通があるし、家庭内でも個人によって目玉焼きに普通かける調味料は変わる。
 普通とはそれ程曖昧なものであり、一人一人それぞれの普通は微妙に、場合によっては大きく異なり、全く正反対な普通だって同時に存在する可能性もある。

 なので、「普通は○○」と言ってくる人には、

 あなたの言う普通は、あなたにとっての普通であって、私には私なりの普通がある

と言ってやりたくなる。


 元ウルトラマンだった俳優の男性が数日前に


とツイートした。引用されたツイートは既に投稿者が削除したようだが、次のような内容だった。

声高に平和を訴える人ほど攻撃的
声高に差別反対を訴える人ほど差別的
声高に誹謗中傷を責める人ほど言葉が汚い
普通の声で言おうよ、正しいことなら

これに対して次のような指摘がなされた。










 週刊誌・女性自身は次の記事を掲載し、
トーンポリシングとは社会問題などに関する主張に対して内容ではなく、その話し方や態度を批判することを指す。「口調や所作が正しくない」という理由で、主張内容の妥当性を損なう。そうすることで目を背けさせたり、主張を封じ込めることにも繋がるため問題視されている。
と指摘している。

つるの剛士「普通の声で」投稿が波紋…トーンポリシングとは | 女性自身


 複数の指摘がされているトーンポリシングとは、tone policing と書く(トーン・ポリシング - Wikipedia / Tone policing - Wikipedia)。前述の堀江 宗正さんがツイートで、直訳すると「言い方警察」と説明しているのがとても簡潔だ。つまり論点をすり替える手法の一つである。

 つるのさんが引用したツイートは、 今野 英明さんという音楽家によるものだが、彼は当該ツイートの削除理由を次のように説明し、


その後更に、


とツイートしており、つまり自分の主張は決して間違っていなかった、と言いたげだ。勿論、期せずして主張が拡散したことで、多数の中傷のような口撃にも晒されてしまい、やむを得ず当該ツイートを削除したという可能性も考えられなくはない。だが、なぜ間違っていないと思っているのに当該ツイートを削除したのか?という矛盾も強く感じる。というか寧ろそちらの方を強く感じる。

 自分は、つるの 剛士さんが普段どんな主張をしているのかは相応に知っているので、彼がどのような思いで当該ツイートをしたか、は容易に想像が出来るが、この今野さんという人がどのような人なのかは良く知らない。一応ツイッターのタイムラインは少し遡って見たので、つるのさんと同種の思考をしていそうだな、とは思うものの、ツイッターを見ただけでは、あまりにも攻撃的な物言いをする一部の人達に向けて「普通の声で」と主張した可能性も否定するまでには至らない。
 だが、逆に言えば、なぜいかようにも解釈できる主張の仕方をしたのか、もっと明確に主張していれば、彼が言う「言いたかったこと」が明確に伝わったのではないか、つまり、曖昧な「普通」という言葉を用いたからこんなことになったのではないか?という風にも、というかそう強く感じる。もし彼が罵詈雑言に晒されているなら、その点には同情する。だが、ツイッターの文字制限が厳しいのにかまけ、曖昧な「普通」という表現を用いなければ、そのようなことにはならなかったのではないか。そもそも、彼の「普通の声」という表現よりも前の部分の主張は、被害者をバッシング、過剰に権利を主張する者と決めつけて非難する態度としか思えない。つまりそもそも彼の主張も「普通の声」ではないのではないか? 彼にとってはそれが普通なのかもしれないが
 彼は「普通の声で」、つまり「言葉には気を付けろ」「言葉選びを間違えば問題が起きる」のようなことを言っているが、そもそも自分の言葉選びが不十分だったという矛盾した状況に陥っている。歌を作る者、つまり言葉を生業にしている者として、それは結構致命的なのではないか。

 最後にCNNのこの記事を紹介しておく。

CNN.co.jp : フェイスブック従業員が仮想スト、トランプ大統領の投稿放置に抗議

フェイスブックのデザインマネジャー、ジェイソン・スターマン氏は先月30日、ツイッターへの投稿で、明らかに暴力をあおるトランプ大統領の投稿に対して何もしないザッカーバーグ氏の決定は支持できないと表明。「FB社内で私は1人ではない。人種差別に中立の立場はない」と訴えた。
人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない
人種差別に中立の立場はない

人種差別に中立の立場はない



 トップ画像は、ファイル:Osaka Loop Line Syubetsu Maku.jpg - Wikipedia を使用した。

このブログの人気の投稿

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。