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防衛は自制的でなくてはならない


 治安を”守る”為、という名目・大義名分の下で振るわれ、正当化される暴力がある。#BlackLivesMattar ムーブメントの中では、警察による、黒人やそれ以外の抗議活動者への、過剰で不当な暴力が何件も指摘された。先日、国家安全法が成立してしまった中国・香港でも警察権力による暴力行為が既に常態化してしまっている。それらも全て治安を守る為という名目で行使される暴力だが、どう見ても”守る”為ではなく”攻撃”の為の暴力だ。


 日本には自衛隊という組織がある。日本は太平洋戦争に敗戦した結果、戦争の放棄と戦力不保持、交戦権の否認を定めた日本国憲法を成立させた。つまり、軍事力の行使のみならず保持もしない、というのが戦後日本の国としての方針である。
 だがその憲法が成立してからたった3年後、朝鮮戦争が勃発し日本に駐留していた米軍が出動することになった。日本の武力的な空白を埋める為、当時日本を統治していたGHQの主導で、防衛と治安維持を理由に自衛隊の前身である警察予備隊が創設される。警察予備隊はその名こそ”警察”だが、実質的には小銃や戦車などを有する武装組織で、つまり軍隊だった。
  警察予備隊は保安隊への改称を経て、1954年に陸上自衛隊となった。因みに海上自衛隊は旧海軍>海上保安庁>海上警備隊>警備隊を経て、同じく1954年に海上自衛隊となった。自衛隊は、日本では憲法との整合性を保つ為に、軍隊ではなく防衛専従組織ということになっている。しかし諸外国は自衛隊と他の国の軍隊を明確には区別していないし、その生い立ち、保持している装備や規模等から言っても、間違いなく自衛隊は事実上の軍隊である。

 自衛隊は、軍隊ではなく専守防衛、つまり攻撃は行わず守りに徹する防衛組織である。というのが建前である。そもそも実質的な軍隊なのに軍とは呼ばずに自衛隊と呼んでいること自体が言葉遊びの類だが、他にも例えば、自衛隊では戦車を戦車と呼ばずに特車と呼んでいた。現在は警視庁の特車(特殊警備車=装甲車)と区別するという理由で戦車に呼称を戻しているそうだ。


 自衛隊関連の言葉遊びで記憶に新しいのは、2016年に起きた自衛隊南スーダンPKO派遣日報隠蔽の問題だ。PKO協力法によって定められているPKO五原則
  • 紛争当事者間で停戦合意が成立していること
  • 当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること
  • 中立的立場を厳守すること
  • 上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること
  • 武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること
を満たさない場合、自衛隊は海外で活動を行えないことになっている。自衛隊は日本の防衛に徹する機関であり、他国の紛争に軍事力を行使して介入することはできない、という憲法の規定に沿ってPKO協力法は定められている。つまり、戦闘が行われている地域へ自衛隊が介入すれば、結果的に戦闘に加担してしまうことになりかねず、戦闘が勃発、つまり停戦合意が破られれば、自衛隊は即座に撤収しなくてはならない。
 だが、南スーダンでの自衛隊日報の中で「戦闘」という文言が多用されていた。自衛隊と防衛省はそれを隠す為に日報を隠蔽した、というのがこの問題である。

 この件が注目されると、2003年から2009年まで行われていた自衛隊のイラク派遣に関する日報の中にも「戦闘行為」という文言があり、それを隠す為に日報が隠蔽されていたことが発覚した。これらの件について、現内閣で当時防衛大臣だった、稲田氏や小野寺氏、そして首相の安倍を始めとして、現内閣は「法的な戦闘行為ではない」「戦闘ではなく武力衝突」などと言い張った。これは間違いなく言葉遊びの類である。

日報の「戦闘」、法的な「戦闘行為」でない 政府答弁書:朝日新聞デジタル



 現内閣の自衛隊・憲法9条絡みの言葉遊びは他にもある。 2014年には、武器を防衛装備品と言い換えることで、1976年に三木内閣が掲げた(最初に示したのは1967年の佐藤内閣だが、解釈をより厳格化したという意味で三木内閣を挙げた)、日本は武器の輸出を慎む、とする・武器輸出三原則を、防衛装備移転三原則とし、武器輸出を厭わないという方向転換をした。
 また、 同じく2014年に、これまで戦後一貫してどの政権も、日本国憲法では認められていないとしてきた集団的自衛権について、憲法の解釈を一方的に変更する、という強引な手法で集団的自衛権は容認されているとし、それに基づいて安全保障関連法案を2015年に成立させている。
 時事通信は昨日、

「敵基地攻撃」名称変更も 先制攻撃と混同回避―政府・自民:時事ドットコム


 政府と自民党は陸上配備型迎撃ミサイルシステム・イージスアショア導入断念に伴い、弾道ミサイルなどの発射拠点をたたく「敵基地攻撃能力」の名称を、憲法や国際法に違反する「先制攻撃」と区別し、専守防衛に徹する政府方針を強調し、国民の理解を得ることを目的に「自衛反撃能力」とすることを検討しているそうだ。「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨だとは考えられない」という、1956年の鳩山首相答弁などに基づき、敵の攻撃を防ぐために他に手段がなければ、敵基地攻撃は自衛の範囲内とするのが、現政府の立場である。


 攻撃と防衛に明確な線引きはない。しかしだからこそ防衛はより自制的でなくてはならない。日本国憲法には
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
とある。相手が攻撃してきそうだから、攻撃を防ぐ為に先に攻撃するのは果たして防衛か。それは言葉通り”攻撃”であり防衛とは言えないのではないか。現政権はそんな行為を”自衛””反撃”と呼ぼう、というのである。言葉遊びも甚だしい。


 この政権は自衛隊・憲法9条関連以外でも、都合の悪いことは言い換える、ということを何度もしてきている。2019年には非正規労働者という表現を使うなと厚労大臣が指示したり、就職氷河期世代を人生再設計世代と言い換えたりもしている。過疎の代替語を総務省が検討している、という話もあった。
 2018年には、毎日新聞が

特集ワイド:安倍政権の言い換え体質 - 毎日新聞


という特集記事を掲載している。現政権の主な恣意的言い換えの例をまとめた記事だ。
 このコロナ危機下においても、「医療崩壊と書かないで」と政府から記者勉強会への要請があった、という話がある
その真偽は定かでないが、確かに3月にはメディアや専門家らが盛んに医療崩壊の懸念を示し、それを理由にむやみにPCR検査に手間を割くべきでないと論じられていたが、この記事が掲載された頃には、メディアは積極的に医療崩壊という文言を用いなくなっていた。だが医療現場からは複数の悲鳴が上がっていた。


 こんな政府を容認していると、その内もっと恣意的で強引な言い換え、表現規制に及ぶのではないだろうか。アメリカや香港の、治安を守る為という名目で市民に暴力を振るう警備権力のように。


 トップ画像は、Photo by Alec Favale on Unsplash を加工して使用した。

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