スキップしてメイン コンテンツに移動
 

カンペが手放せないポンコツレコーダーが首相であり続けることが出来るのは…

 8/9、8/6の広島の式典と同様に、首相の安倍が挨拶を行った。安倍の挨拶は広島も長崎も殆ど同じ内容だと一部で指摘されている。この男の気持ちのなさが強く感じられるが、これは今年に限った話ではない。少なくとも2012年12月に安倍が首相に就任して以降、毎年のことである。


安倍首相の被爆75周年あいさつ、広島と長崎で“ほぼ同じ”だった。過去の例も調べてみると... | ハフポスト

 ハフポストの記事によれば、安倍が就任する直前の2012年の両式典で、当時首相だった野田氏も、安倍同様に殆ど同じ内容の挨拶をしたそうだが、だから安倍もおかしくないなんてことはなく、野田が安倍と同レベルの人物でしかなかったということに過ぎない。

 トップ画像に「カンペが手放せない」と書いたが、式典でメモを見ながら挨拶すること自体はそれ程おかしなことではない。それを指してそう言っているのではない。何を指しているのかと言えば、式典後に長崎で開いた記者会見だ。

【ノーカット】長崎原爆の日 安倍総理記者会見

 安倍の手元には、カンペを隠す為に盛大に花が置かれている。そう書くと「いやいや何を根拠に手元の花がカンペ隠しの為だと言えるのか」という人もいるだろう。そう言える理由は、安倍がカンペを花の上に出して、しかも内容が見えるようにこちらに向けたからだ。

 このスクリーンショットのように、安倍の前には手元を隠すように盛大に花が置かれ、しかも安倍は、かなり長い時間、視線をその花の手前に落としている。また終始何かをめくる素振りが見られ、メモか資料かがそこにあるのは明白だ。但し、メモや資料を用意して会見に臨むことも、メモを見ながら挨拶するのと同様に、それ程おかしなことではない。しかしながら、終始メモか資料を見ているのだとしても、それを隠すかのように盛大に花を置く、というのは果たして誠実な態度だろうか。誤魔化しをやっているようにしか思えない。

 これが、テレビ朝日のノーカット会見動画の16:54頃、つまり会見が終わり、席を立つ直前に資料の耳を揃えようとして、安倍が資料をこちらに向けた場面のスクリーンショットだ。
 文字が見えるように拡大したのが次の画像である。

 想定問答集を作るということは決してあり得ない話ではない。だが、質問の内容とそれに対する問がここまで事細かに書かれた、まるで台本のようなものは、最早想定問答集の域を超えている。こんなメモ/資料を読み上げているだけなら、手元を隠す為の花が盛大に用意されるのも合点がいく。そんなことをしていると知られたくない、という気になるのもよく分かる。もし恥ずかしくないなら花で手元を隠す必要もない。
 果たしてこれが質疑応答と言えるのか。勿論言えるはずもなく、単なる茶番劇に過ぎない。

首相会見に識者「政府の責任から逃げている」「質疑は『おまけ』という姿勢」 - 毎日新聞

 毎日新聞がこのような見出しの記事を昨日・8/9に掲載した。記事の中ではメディア側も責任を果たしていないことについての指摘はあるが、見出しでは首相の責任だけしか触れていない。前段で指摘した、最早想定問答集とすら言えないような茶番劇の台本は、政府や首相側だけでは成り立たない。つまり官邸記者クラブと政府や首相が癒着していなければ、あんな台本は無意味である。全てのメディア・記者が腐って癒着してしまっているとは言わない。だが、明らかな癒着が目の前にあるのに、それを許してしまっているなら、積極的に癒着していない記者クラブ加盟メディアや所属記者も同罪ではないだろうか。

 式典での首相挨拶の内容について、東京新聞は

「核の傘」に政府依存、核兵器禁止条約に触れず 長崎原爆の日、首相演説「橋渡し」繰り返すだけ:東京新聞 TOKYO Web

と書いた。一方で読売新聞は

長崎原爆の日、首相「核兵器ない世界実現に努力」…被爆者団体の都道府県代表は19人 : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン

としている。読売新聞のようなメディアが率先して茶番劇の台本に加担しているんだろう…としか思えない。

 だが、比較的現政権への批判を行う毎日新聞すら、こんな記事を掲載する。

自民・稲田氏、国会の早期召集拒否 「判断するのは内閣」 NHK番組 - 毎日新聞

この記事を紹介するツイートも「9日のNHK番組で、自民党の稲田朋美幹事長代行は、憲法53条に基づく早期開会を求める野党に対し、事実上拒否しました」としか書いていない。
 毎日新聞は何故「憲法を無視した」と、見出しやツイートにハッキリと書かないのか。書けないのか。このように積極的に政府や首相などの不備を指摘しているとは言い難い記事は、朝日や東京新聞にすら掲載される。それが日本メディアの現状を物語っている。報道機関が日本には存在していない恐れを強く感じる。

 カンペが手放せないポンコツレコーダーが首相であり続けることが出来るのは、それを積極的に、若しくは消極的にアシストするメディアがあってこそだ。勿論、そのようなことを疑問視も問題視もせず、他人事を決め込む有権者が少なくないことにも原因はある。日本はいつからこんな”にも”恥ずかしい国になってしまったのか。

 

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。