スキップしてメイン コンテンツに移動
 

大手メディアにまで蔓延するコタツ記事

 コタツに入ったままでもお手軽に書ける内容の乏しい記事、という意味で、実体験もなく取材や調査もせず、有名人や芸能人のテレビやラジオ、ネット配信などでの発言を文字起こししただけで考察も指摘もない記事は、コタツ記事と呼ばれている。更に酷く、有名人や芸能人が、ブログやSNSでああ言っています、こう言っていますとしただけの記事を、コピペ記事と呼ぶ。読んで字のごとく、他者のネット投稿をほとんどコピー&ペーストしただけの記事という意味だ。


 その手法は著作権的にもまずい。他者の発言やネット投稿などを、自説を解説するのに用いるのならば、ケースバイケースではあるが概ね引用に該当するだろう、だからその種の転用の問題性は高くない。だが、引用に当たらない転用は転載になる。他人の著述等を転載する場合には本人の許可が必要になる。つまり考察も批判もなく「誰々がこう言いました」とするだけの記事は、他人の著述を無断で転載しているという指摘を受ける恐れがある。
 因みに、「ツイートを引用する場合はご連絡下さい。ご連絡がない場合は然るべき対応を致します」のような旨を、ツイッターのプロフィールで警告している人をしばしば見受けるが、引用に該当する場合は本人の許可は必要ない。許可が必要なのは転載に該当する場合である。そのような警告があっても、自説を解説する為に引用するのであれば何も気にする必要はない。
 コタツ記事は一応文字起こしという一手間が加えられているが、ブログやSNS投稿をコピペして「ーと投稿しました」というだけのコピペ記事は、十中八九転載に該当するだろう。

 当初このような記事は、まとめサイトやトレンドブログと呼ばれるようなサイトによく見られる手法だった。しかし昨今はスポーツ新聞や一部の週刊誌の記事などにもその種の手法が散見される。その種のサイトを見ながら育った世代が記者になっているとか、出版不況の影響でコスト削減が進み記事/記者の質が落ちた、など様々な理由があるのだろうが、そのような人の褌で相撲を取る記事が間違いなく、所謂マスメディアでも目立ち始めている。

 フリーのジャーナリスト・志葉 玲さんがこんなブログ投稿を書いている。

麻生「147連勤」発言タレ流し、フェイクメディア化するマスコミ―今日の話題 - 志葉玲タイムス

8/18の投稿でも触れた、副首相の麻生が記者団に対して「首相が147日間休まず働いている」と主張したことに関する記事だ。志葉さんは、

日本のメディアの問題点として、事実関係の確認や注釈もなしに政治家の発言をそのまま「◯◯はこう述べた」というように報じてしまうところがある

としている。官邸などの記者クラブに属するメディアの記者たちは決して、コタツ記事やコピペ記事を量産する者らのように全く取材をせずに記事を書いているわけではない。しかしこの志葉さんの記事が指摘しているように、首相動静を数か月分チェックするだけで分かる、「首相が147日間休まずに働いている」という実体にそぐわない麻生の主張を、そんな指摘も批判もなく伝えるだけなら、彼らの記事は実質的にはコタツ記事だ。
 つまり粗悪なまとめサイトなどに端を発するジャーナリズムとは到底呼べないような手法が、既に大手メディアにまで浸透してしまっている、というのが日本の実状だ。

 昨今日本のメディアでは中立公正な立場を大義名分にして、権力者に無批判でいることを正当化する、若しくはそうなってしまっているメディアが少なくない。テレビなどは概ね最早権力への忖度を隠さなくなっているが、新聞は一部を除いてそこまでではないものの、それでも積極的におかしいもの/コトへの批判がなされているとは評価し難い。
 眼前におかしな言動・行為があるのに無批判でいること、口をつぐむことは中立公正と言えるだろうか。例えば偶然痴漢の現場に遭遇したとする。そこで何もアクションを起こさないのは果たして中立公正だろうか。無関心の第三者は痴漢被害者からすれば、積極的な共犯ではないものの、痴漢行為に及ぶことのできる環境作りに加担したという意味では、加害者に加担したように見えるはずだ。つまりおかしな言動・行為に無批判であることは、決して中立公正とは言えない。
 今の日本の大手マスメディア、特に大半の政治部記者の姿勢は、痴漢や強盗現場で110番せずに「痴漢ではない・強盗ではない、と容疑者は言っています」と、まるで他人事のように振舞う姿勢だ。

 マスコミがマスゴミと揶揄され始めて久しい。自分はその種の揶揄の仕方は好きではないし、その表現を用いる人はどこか恣意的に使うので全く良い印象はない。だがしかし、こんなメディアの姿勢を目の当たりにすると、マスゴミと揶揄する人の気分が少し分かるような気もする。

 トップ画像は、Photo by 卡晨 on Unsplash を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。