スキップしてメイン コンテンツに移動
 

自民党は日本の有権者の縮図

 SNSが流行して以来、インフルエンサーという言葉が一般的になった。インフルエンサーとは、Influence + er で影響力を持つ者という意味だ。SNSなどで多くのフォロワーを抱え、情報を発信すると多くの人がそれを目にする環境を有している人をインフルエンサーと呼ぶ。但し、そもそも Influence だけでも影響を及ぼす者、転じて有力者、権威のような意味もある。


 Web/SNS普及以前、最も影響力を持っていたのはテレビだった。テレビに頻繁に出演する人は、SNS普及以前のインフルエンサーだった。勿論今でも大きな影響力はテレビに残っていて、Web/SNSの利用率が低い高齢者などに対しては、未だにテレビの方がWebやSNSよりも影響力は強い。
 昨今、いつからそんなマナーが出来たの? というような謎マナーが、しばしばテレビの情報バラエティー番組などで取り上げられて話題になる。単に個人的な「こうするのが望ましい」という主観を、マナーと偽って一般化したいだけだろ? と感じるケースが少なくない。何故、私はこうして欲しい、というだけのことを、世間一般の共通認識かのように言うのだろうか? 自分の普通が世の中全般の普通だと考える人なんだろう。勘違いも甚だしいし横柄で、寧ろその類の人の方がマナーが悪い。以前の職場で、自分の気に入らないことがあると「俺みたいに感じる人もいるの!」と、だから俺の言う通りにしろ、それが正しい、とする上司がいた。「そう感じない人もいるだろ、寧ろそっちの方が多いだろ」ということばかりで、自分の個人的な感覚を、あたかも世間一般の総意かのように押し付けてくるパワハラ野郎だった。

 WebやSNSを使う人なら「いつからそんなマナーが出来たの?」という疑問を他の人も感じていることが分かるのだろうが、テレビが最も強い影響力を持つ権威的なメディアだった時代を生き、そして今もまだテレビに依存してい生きている人の中には、「テレビで言っているんだから間違いない」と考える人も少なくない。しかし「テレビで言っているんだから間違いない」は間違いなく権威主義的だ。自分の頭でその妥当性を考えずに、テレビという権威がそう言っているんだから、それが正しくない筈はない、と考えるのだから。

 安倍自民党政権の7年半と現在の総裁選を見ていて、自民党ってのは、長い物には巻かれろで、自分の頭で考えない者が半分を占める日本の有権者の縮図なんだろうなと、とても強く感じる。最早確信の域だ。「長い物には巻かれておくのが賢い生き方、大人の振舞い」みたいな認識を、決して少なくない日本人が持っているが、それは全く賢くはなく、実際には「率先して長い者には巻かれるのは奴隷志願者の生き方、振舞い」と言った方が実態に即している。
 日本では、多くの政党がほとんどの案件に党議拘束をかけている。それは決して自民党に限ったことではない。党方針に反すると制裁が加えられることが多く、議員は党首脳に逆らえない仕組みが構築されている。他方アメリカの議会では、殆ど党議拘束はかけられない為に、議員それぞれが各法案の正否を判断する。それはフランスなどでも同様だ。但し欧米の議会が軒並み党議拘束がない/緩いかと言えばそうでもなく、イギリス議会、特に下院では党議拘束がかけられている。
 政党というのは、基本的には政治理念を共有する者の集まりだろうから、大筋の党方針が掲げられ多くの議員がそれに沿うのはある意味で当然であるが、党議拘束がかけられ逆らうと制裁を加えるなんてのは、民主主義に反するのではないだろうか。政党が議員に隷属を求めることの一体どこが民主主義だろうか

 自民党ってのは、長い物には巻かれろで、自分の頭で考えない者が半分を占める日本の有権者の縮図、と感じる理由は山ほどある。直近で言えば、まずは

菅氏、デジタル庁創設検討 黒田日銀総裁の手腕「評価」  :日本経済新聞

異次元の金融緩和をけん引した黒田東彦日銀総裁について「手腕を大変、評価している」と語った

という件だ。2年で物価上昇率2%達成を目標に掲げるも、達成時期の延期に次ぐ延期で7年経っても叶わずに、任期中の達成不可能が確定している日銀総裁を評価するというのだから、それだけで「こいつ何言ってんだ?」とならないければおかしい。だが、自民党内5派閥が支持する新総裁の最右翼がこの菅なのである。どう考えても道理よりも長い物には巻かれろを優先している人達の集まりとしか思えない。
 「菅官房長官、消費減税を否定 「社会保障に必要」 | 共同通信」も、「増税するだけして福祉は低下させてきた政権の官房長官が何言ってんだ?」とならなければおかしい事案だ。この類の話は本当に枚挙に暇がない。

 またこんな件もある。

「ミサイル阻止、年内に結論」 安倍首相、談話発表へ:朝日新聞デジタル

安倍政権が検討する「ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針」について、安倍晋三首相は4日、年内に結論を得ると記した談話を出す方針を固めた。

これは所謂敵基地攻撃能力に関する話で、敵基地攻撃能力とは、現憲法に規定されている専守防衛に反する先制攻撃のことだ。戦後どの内閣も一貫して「憲法上認められていない」としてきた集団的自衛権を、閣議決定だけで解釈を歪曲したり、国会招集要求がなされても、憲法53条の規定に反してそれを無視するということを再三に渡って行ってきたのが安倍自民党政権だが、更にまた憲法に反する談話を示すのだそうだ。これについて、自民党内で異論が出ないことがそもそもおかしい。なぜ自民党内から憲法の精神を蔑ろにしてはならない、という声が全く聞こえてこないのか。そもそも安倍、そして自民党は憲法改定に積極的だが、法治をなんと心得ているのだろうか。
 更に、安倍は8/28に

病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました

として、つまり「病気が理由で正しい判断ができなくなる」と説明し辞意を表明した。なぜ正しい判断が出来ない者が、憲法にもかかわる重要なことに関する談話を示すのか。こんな男を7年半も担いできたのが自民党とその所属議員(と支持者)である。

 このようなことを勘案すれば、自民党議員や党員というのは、政治的以前に一般的な大人としても著しく分別に欠けていると言わざるを得ない。適切な分別を有しているなら、このような人物を支持/容認など決して出来ないはずだ。そしてその傾向は、今年の初頭まで内閣支持率が50%を超えていたこと、安倍が辞意を表明しただけで、コロナ対応で下がっていた支持率が戻ること、メディアが菅を持ち上げ始めると途端に、それまでの評価とは異なる「最も次期首相に相応しい」という評価に変わることなどを考えると、自民党議員だけでない、日本の有権者も同様だと言える。
 つまり、自民党ってのは、長い物には巻かれろで、自分の頭で考えない者が半分を占める日本の有権者の縮図、ということになる。

 トップ画像は、ElisaRivaによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。