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浦島太郎に学ぶ

 桃太郎や花咲か爺、舌切り雀などは代表的な日本のおとぎ話だ。おとぎ話、童話の類は、日本に限らず、伝えようとしている教訓等の是非は別として、大抵何を言わんとしているのかが分かりやすい。こういうことはしてはいけないとか、こういう行いをするといいことがあるとか。しかしそんなおとぎ話が多い中で、浦島太郎は結構異質な存在だ。


 浦島太郎は、いじめられていた亀を助けた浦島太郎が、その恩返しに海中に連れて行かれ、龍宮城で乙姫らから酒や食事や踊りなどのもてなしを受ける。帰ろうとした浦島太郎は、「開けてはならない」と念を押されつつ乙姫から玉手箱を渡される。帰り着いた故郷では、龍宮で過ごした感覚よりも遥かに長い年月が経っている。それに愕然とした浦島太郎は、玉手箱を開けてしまう。すると中から煙が立ち上り、浦島太郎は白髪の老人と化す、というお話だ。
 浦島太郎 - Wikipedia によると、日本書紀や万葉集の頃から関連する要素は存在していたようだが、浦島太郎として話が形成されたのは、室町時代の御伽草子によってらしい。また、現在語られているのは、明治から戦前までの国定教科書に掲載された、童話作家の巖谷 小波が1896年に発表した「日本昔噺」版をアレンジして短縮したもの、なのだそうだ。
 明治から戦前まで教科書に掲載されていたということは、国が何らかの意図を持って掲載したのだろうが、では果たしてこの浦島太郎によって、当時の政府は国民に一体何を伝えたかったのか。どんな思想を国民に植え付けようとしていたのか、思想を植え付けると言うと少し大袈裟かもしれないが、どんな感覚を一般的なものにしようとしたのか、物語を読んでもその意図はよく分からない

 戦前の日本政府が何らかの意図を持って教科書に載せたかは別として、浦島太郎が言わんとすることに関する考察は様々だ。亀を助けた報いとして竜宮城に連れていってもらうことから、「善行をすれば報われる」と言っているという解釈もあるが、しかし竜宮城から帰ると絶望的に時間が過ぎ去っていて、自分の家族や知人が全くいなくなっているという状況に苛まれる。「善行をすれば報われるが調子に乗るな」ということだろうか。しかしならば、もっと分かりやすい罰があってもいいし、浦島が調子に乗る表現も薄い。乙姫がなぜ開けるなと玉手箱を渡すのかも不可解だ。普通は、絶対開けてはならない箱なんて、恩がある人に理由も告げずに渡さないだろう。
 因みに御伽草子版では、老人になった後、浦島は更に鶴へと姿を変える。鶴は長寿の象徴とされていて、鶴になって飛んで行った先で浦島は神となり、乙姫と再開するなど、御伽草子版は一応「めでたしめでたし」な終わり方だ(浦島太郎とは - コトバンク)。
 教訓ベースの話ではなくて宇宙人に連れていかれた人の話だとか、他国に行った人の話だとか、開けてはいけないと言われたのに玉手箱を開けてしまい老人になってしまったことから、「約束は守らないととんでもないことになる」という話だとか、「言われたことには従った方が利口」という、国に都合のよい考えを刷り込む為の説話だとか、色々な説があるようだが、どの説もこれが決定的だという要素に欠ける為、どうもしっくりこない。なぜ近代版では「めでたしめでたし」の部分が省かれたのか、も腑に落ちない。浦島太郎はそんなよく分からない話である。


 前述のコトバンクの解説の中に、

長期間その場を離れていたために、事情がよくわからずに戸惑う人のたとえとして用いられることがある。また、広く世間や時代に取り残されたような状態・心境を表す語としても用いられる

とある。つまり長距間現場から離れていたかどうかに関係なく、時代遅れなことを指して浦島太郎と言う場合もある。例えば、現在の社会では、肩や髪の毛などを触るのもセクハラに当たる恐れのある不適切な行為というのが共通認識になりつつあるのに、ワンマン経営者など他人に注意を受けることのない環境にあるとか、男性ばかりの職場にいる所為でそのような認識に乏しい人のことを、時代遅れの浦島太郎と揶揄したりする。
 そういう感覚を表現したのが今日のトップ画像だ。例えば、麻生太郎という、問題行動・放言を何度も何度も繰り返すのに、副首相の座に居座って威張り散らす爺がいる。この爺が、財務省の福田 前事務次官のセクハラ問題について「セクハラ罪っていう罪はない」と発言し、政府はその発言内容は不適切ではないと閣議決定を下した。閣議決定とは、内閣が全会一致で示すものである。

「セクハラ罪という罪はない」の答弁書、政府が閣議決定:朝日新聞デジタル

 その件に限らず、現在の政府と与党は時代遅れの浦島太郎だと言うべき事案は決して少なくない。諸外国では当たり前になっている選択的別姓や同姓婚を未だ認めず、積極的制度を創設しようという動きも見えない。また、日本の男女格差は世界でも最悪レベルである。コロナ危機対応でもかなり遅れをとっていて、未だに積極的検査が行われていないし、ワクチン確保も先進国内どころか新興国にも劣るレベルで、周回遅れも甚だしい。

 
 そんな政府が、これまで何年も信任されてきたことを考えると、政府どころか日本全体が、高度成長期やバブル景気などの過去の栄光が忘れられず、当時の感覚を今も引き摺っている、つまり竜宮城で浮かれている浦島太郎状態なんだろう、と強く感じる。復興だのウイルスに打ち勝った証のオリンピックだと言っている様、オリンピックの次は万博だと浮かれている様、世界から遅れに遅れ、今更カジノ立国だとか言っている人達を目の当たりにすると、竜宮城で現を抜かしているようにしか思えない。
 浦島太郎は竜宮城で遊んで暮らして生涯を終えることはなく、ふと我に返って現世に戻ってくる。すると時間だけが過ぎていて、所謂後の祭りの状態になる。そしてあっという間に老人と化してしまう。前段のように浮かれて現実から目を背けて、ある時ふとそれが虚栄だと気づいても、それは浦島同様に後の祭りにしかならない。馬鹿の強弁に騙され、付き合ってしまうと、浦島太郎以上に大変なめに合うだろう。

 

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