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日本は隷属的な国民性の国

 多くの日本人が持つ「長い物には巻かれておくのが賢い生き方、大人の振舞い」みたいな認識があるが、それは全く賢くなく、実際には、「率先して長い者には巻かれるのは奴隷志願者の生き方、振舞い」と言った方が実態に即していると思う。
 というツイートを、2020年9月からタイムラインのトップに固定している。


 この種の「目上の者には従うべきだ」という考え方は、平安時代より前に大陸から伝えられた儒教の影響である、という話を聞いたことがある。それが正しいのか眉唾なのかはよく分からないが、確かに、知識や経験に秀でることの多い年長者や目上の者には基本的に従った方が賢い、という側面はあるものの、まず年長者や目上の者が、必ずしも知識や経験に秀でているとは限らないし、知識や経験に秀でていたとしても、だから常に正しい判断が下せるとも限らない。
 もし年長者や目上の者に従っておけば間違いないのなら、80年前の戦争が悲劇を生むことはなかっただろうし、10年前の原発事故も起きなかっただろう。そして日本におけるコロナ危機の状況が、他地域に比べて著しく悪いということも、その考え方が必ずしも正しくないことを物語っており、自分の頭で考えずに、目上の者や年長者を妄信することは、奴隷志願にも等しいことは明白だ。


 横浜中華街近くの模型製作場所のレンタルスペース店が「助けて下さい。コロナの影響で客足が遠のき、経営状況がやばいです。SNSでプラモの投稿などをしてなんとかフォロワーを増やして知名度を上げようとしても効果薄いです」とツイッターに投稿している。自分はこれを「横浜模型工房がツイッターで「助けて下さい。」 コロナで客足が遠のき風前の灯火 - ヨコハマ経済新聞」という記事で知った。

 この店だけではなく、コロナ危機の影響で深刻な事態に陥っている企業や個人事業主はかなり多い。そのような人達を助けるのは、そして、そのような人達が助けを求めるべきは、本来は自治体や政府など行政なのに、市民側に奴隷根性が染みついているからか、行政の信頼性が著しく低く期待感がないからか、助けは行政でなく客に求められる
 それは企業や個人事業主に限らず、そしてコロナ危機か否かに限らず、個人にも同じことが言える。例えば、日本では未だに生活保護への嫌悪感が根強く、使うべき状況に陥っている側もそれを見ている側も、生活保護を使うことは恥だと思っている場合が本当に多い。更には行政がその感情を悪用し、生活保護を申請すると家族や親戚に連絡する、なんてことをやってきた。昨今改善の兆しも見えなくはないものの、現場ではまだまだそのようなことが行われているようだ。
 人によって程度の差はあれど、日本人は概ね奴隷根性に満ちた国民性である、と言えるだろう。


 奴隷根性を発揮しているのは国民だけではない。首相の菅は4/23の会見で、「国民の命を守ることより、五輪開催が優先されていないか。開催を判断する具体的な基準を示すべきでは」と問われ、

  • 東京五輪開催の判断はIOCに権限がある
  • IOCが開催を既に決定している
  • だから開催する

と述べ、聞かれた「開催判断に関する具体的基準」に応えなかった。間接的にではあるが「開催はIOCが決めたことだから基準はIOCに聞け」と言ったことになる。責任感のなさが強く滲む。

菅首相記者会見、10回目で初めて東京新聞が指名されるも…:東京新聞 TOKYO Web

 しかしIOC側は4/14に、「五輪期間中や大会後に日本で感染が拡大したら、誰が責任を取るのか」という質問に対して、

Covidへの対処は日本政府、東京都の責任

と言っている(IOC重鎮に本音を聞いた「五輪は開催する」けど「感染拡大なら日本に責任」… 埋まらない世論との溝、海外メディアも悲観的なまま - 他競技 - Number Web - ナンバー)。こんな関係を日本の首相が否定しないのは、あまりにも隷属的過ぎる
 実際は、菅はオリンピックを何が何でも開催したい側であり、IOCが決めたから開催、というのは、単に自分にとって都合のよい詭弁である。そこにあるのはIOCへの隷属性ではなく、感染症対策の軽視、つまり国内の公衆衛生よりもIOC/オリンピック開催優先の姿勢である。しかし、他国から見れば「日本はなんて隷属的な国なんだろう」と見えるだろう。もっと言えば「日本は少し強気に出れば従わせることができるぞ」と思われるだろう。


 世界でも類を見ない程米軍駐留に金を割いて、米国から武器や装備品を購入しているのだし、前首相で決意芸が得意だったアベが、自分の在任中の北方領土問題解決を言いつつ、ロシアに支援金を取られるだけ取られて、ロシアに「北方四島はロシアの領土」と押し切られて、遂には「北方領土返還」ということすら言えなくなったことに鑑みれば、日本はコロナ危機以前から大国の言いなりになる国と見られていたのだろうが、コロナ危機で政府が国民に、充分な公助はせずに自助ばかりを求め、そしてその政府がIOCに隷属する姿勢を示したことは、

 日本は隷属的な国民性の国

ということを、これまでにも増して強調してしまっている。
 付け加えれば、日本は自分が見下した相手は奴隷扱いする国民性でもある。ブラック校則、技能実習制度、入管での虐待、男女格差などがそれを示している。儒教思想の悪い部分を長い時間かけて煮詰めたような国と言えるのではないか。


 トップ画像には、File:On Board a Slave-Ship, engraving by Swain c. 1835.jpg - Wikimedia Commons を使用した。

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