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社会を覆う悪しき風潮

 テイラー スウィフトがそれまでの沈黙を破り、2018年に政治的な態度をハッキリと示した際に、「なぜ日本の有名人はこんなにも政治から距離を置くのか」と思った(テイラー・スウィフト、ついに政治を語る。投票先も明言、決め手はLGBTの権利 | ハフポスト)。昨年 #BLM運動が盛り上がりを見せていた頃、F1運営組織のCEO バーニー エクレストンの「黒人の方が人種差別的な場合も」という発言に対して、ルイス ハミルトンが「無知で教養に欠ける」と強く批判した際にも、同じことを感じた(ハミルトン、「黒人の方が人種差別的」発言のエクレストン氏を批判 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News)。


 そして数日前に「お笑い芸人が政治に肩入れしてもええけど、なんでどいつもこいつも権力に媚びるやつしかおらんねん」というツイートを見て、テレビに媚びないと食ってけないから。政府批判すると排除されるから。だと思った。

 冒頭に「なぜ日本の有名人はこんなにも政治から距離を置くのか」と思った、と書いたが、日本にも政治的な発言をする有名人がいないわけではない。例えば、2018年にローラは、辺野古基地建設のための土砂投入に関して、建設中止を求めるネット署名への協力を呼び掛けた。それを伝える記事「辺野古の土砂投入、中止署名10万人達成。ローラさんも呼びかけ「沖縄をまもろう!」 | ハフポスト」にもあるように、アジアンカンフージェネレーションのGotchこと後藤 正文、俳優の東 ちづる、映画監督の塚本 晋也、想田 和弘、芥川賞作家の平野 啓一郎も署名参加を呼び掛けていた。
 直近で言えば、聖火リレーに関して、多くの有名人辞退者が「スケジュール上都合」とお茶を濁したのに対して、俳優の黒木 瞳は「沿道などで密集が生まれ、新型コロナウイルス感染対策が困難」と、対策の不備をしっかりと指摘して辞退していた(女優の黒木瞳さん、聖火ランナー辞退 コロナ対策理由に:時事ドットコム)。お笑いコンビ ロンドンブーツ1号2号の田村 淳も、東京オリンピック組織委員会 会長の森 喜朗の発言「オリンピックはコロナがどんな形であっても開催する」は理解不能だとして、聖火ランナーを辞退している。

 ではなぜ「日本の有名人が政治から距離を置いている」ように感じられるのか。それは、政府批判をすると、例えば、ローラさんのように「よく分かってない若い女タレント風情は黙ってろ」のような言説が飛び交ったり、そのような言説が飛び交うことを理由に、政府批判をする芸能人を、日本のメディア、特に彼らが主戦場としているテレビ界が煙たがり、つまり前述したように政府に批判的な意思表示をする者を排除してしまうからだろう。テレビの影響力が弱まっていると言っても、テレビに出ている人程有名になる、有名に感じられる状況はまだ確実にある。
 前段で例に挙げた、政府に批判的な態度を示す有名人の中で、直近でもテレビ界で精力的に活動していると言えるのは、田村 淳くらいだろう。

 テレビ局は政府に批判的な態度かどうかにかかわらず、過激な擁護をする芸能人も敬遠している様子はあるものの(在阪局ではその限りでない)、それでも吉本所属芸人を中心に、政権寄りの政治的主張をする有名人の方が、批判的な態度を示す有名人よりも露出が多いように感じる。つまり、テレビ界は出演者らの政治発言を敬遠しているのではなく、政権批判を敬遠しているように見える。芸能人の主戦場も昨今徐々にネットにシフトしつつあるものの、それでもまだテレビの方が強い状況ではあるし、テレビ出演を目標に活動している者も多く、その界隈で食っていくためには、政治的な発言、特に政権に批判的な態度を避けざるを得ないのだろう。
 個人的には、それは目先の利益に偏り過ぎた姿勢のようにも思うが、強引で過激な政権擁護をするようなのは除いて、流石にそんなのは全く言語道断であるとまでは言えない。

 なぜかと言えば、有名人が政治的な発言をし難い環境を作っているのは、日本のメディアやテレビ局だけではない、と考えるからだ。
 例えば、大坂 なおみは日本人だが、政治的・社会的な問題に関して日本政府やアメリカ政府に忖度せずにしっかりと意思表示をする。またローラが政治や社会問題について意思表示し始めたのも、活動の拠点を日本からロサンゼルスにシフトしてからだ。渡辺 直美は、体型や容姿を侮辱するような企画が広告業界の重鎮によって提案されていた件について、ワイドショーで長年番組の顔役を務めていたMCらが、「渡辺さんは何とも思ってないはず」「仕事の幅が狭まったらマイナス」という見解を示したことについて、「私は絶対断ってますし、その演出を私は批判すると思う。目の前でちゃんと言うと思う」と、明確に否定的な見解を示したが、彼女も活動の拠点をアメリカに移すことが決まっていた(【否定】渡辺直美さん「絶対断るし、批判する」。容姿侮辱演出「芸人なんだから」「なんとも思ってない」の声に | ハフポスト)。
 つまり、日本の有名人が政治的な発言をしない理由は、やはり日本のメディア、特にテレビ界にあるが、テレビ界とのしがらみがなければ日本の有名人でも政治的な発言、政府に批判的な態度を示せる、という受け止めは妥当だろう。

 しかし、なぜ日本のメディア・特にテレビ界はそんな状況にあるかを考えてみて欲しい。日本人の多くが、そんなテレビ局の状況を問題視せずに、嫌悪感を示しもせずにテレビ番組を見続けるから、そんな状況がいつまでも改善しない、という側面は確実にあるし、ローラの例でも触れたように、「よく分かってない若い女タレント風情は黙ってろ」みたいなことを平然と言う人がいて、勿論それに対するカウンターを示す人もいるものの、彼女が安心してその種の言説を無視できる、気にせずに政治や社会の問題について主張できるような、社会の環境がないから、有名人が政治的な発言を避ける傾向にあるとも言えるだろう。
 テレビ局だって、政治発言をする有名人を排除するなら見ない、という人が増えればそんなことは出来なくなるし、「よく分かってない若い女タレント風情は黙ってろ」みたいなこと言う人が相応のしっぺ返しをくうような社会なら、政治的な主張をする有名人も増えるだろう。

 つまりは、日本に有名人が政治的な発言をする土壌がない、日本人がそれをつくらないから、有名人が政治的な発言をしないという側面がある。というか、有名人に限らず、政治の話をする奴は面倒くさい奴、みたいな空気感が日本には間違いなくある。要するに、日本人全体の政治や社会問題に関する感度の低さが、有名人の態度や姿勢に表れている、と言えるかもしれない。


 民主的な方法で選ばれる政治家は、有権者の政治的レベルを反映するのと同じで、メディアや有名人にも、その社会に属する市民の政治や社会問題に関する感度が反映される。だから、有名人が政治的な発言をし難い環境を作っているのは、日本のメディアやテレビ局だけではない、と言えるのだ。

 

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