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RPGの舞台になぜファンタジー世界が多いのか

 近年、マンガ・アニメ界隈では、異世界転生ものが溢れている。主人公が、現実世界からドラゴンクエストやファイナルファンタジーのような剣と魔法の世界に転生し、その世界で物語が繰り広げられる、という設定の作品である。このような作品は、少なくとも1980年代には既にあった。

 たとえば、ガンダムと同じく富野 由悠季が手掛けた、1983年のロボットアニメ・聖戦士ダンバインも、第1話で主人公が異世界へ召喚され、それ以降その世界での物語が描かれる。マンガやアニメに限定しなければ、4人の兄妹がクローゼットから別世界の国・ナルニアに引き込まれる、ナルニア国物語7部作も異世界転生ものだ。ナルニア国物語の第1部・ライオンと魔女は1979年に英国でアニメ化され、第1部から3部までは1988年にBBCがテレビドラマ化し、2005年から同じく第1部から3部が順次映画化された。


 異世界転生ものは2005年頃から増え始めた。それからおよそ10年後の2014年頃から現在のブームが始まったと言えるだろう。2005年頃はオンラインゲームが一般化し始めた頃だ。世界初のMMORPGは、1991年の Neverwinter Nights とされているが、1997年にリリースされたウルティマオンラインが、オンラインRPGを世界中に広めた。その後エバークエストリネージュラグナロクオンラインなど、ウルティマオンライン同様に、従来のファンタジーRPGの世界観を用いたオンラインRPGがリリースされ、日本でも2002年にファイナルファンタジーXIが正式リリースされた。

 日本ではファイナルファンタジーXIによってMMORPGが一般化したと言っても過言ではなく、この頃から誰でも気軽に異世界転生を疑似体験することが出来るようになった、とも言えるのではないだろうか。
 また、ラノベが一般的に認知され始めたのも同時期だ。それ以前からライトノベルに該当するものはあったが、2000年頃にケータイ小説の流行があり、その影響で書き手が増えた側面がありそうだ。但し、ライトノベルはファンタジー世界を舞台にすることが多いのに対して、ケータイ小説では実社会を舞台にしたものが多いという差異もある。だが、ライトノベルにだって実社会を舞台にした作品はある。なんにせよMMORPGの一般化と同時期にライトノベル流行の波があり、その頃から徐々に異世界転生ものが増え始めた、というのは抑えておくべきポイントだろう。


 では、RPG:ロールプレイングゲームにはなぜファンタジー世界を舞台にしたものが多いのか、というと、その原点が1974年に発売されたテーブルトークRPG・ダンジョンズ&ドラゴンズにあり、その後のRPGは、テーブルトーク/ビデオゲーム共にその世界観から派生したものだから、というのが最も大きな理由だろう。

 1970年代後半からビデオゲームRPGは存在しているが、現在のビデオゲームRPGの礎になっているのは、1981年に発売されたウルティマウィザードリィだ。そしてその両方の要素を取り入れて作られたのが、日本産RPGの柱となるドラゴンクエストでありファイナルファンタジーである。

 RPGの舞台にファンタジー世界が多いのは、その大元が剣と魔法とドラゴンの世界を描いたものでその影響、ということもあるんだろうが、現代的な世界を舞台にしたRPGがないわけではない。たとえば、ファミコンで1989年にリリースされた Mother は現代アメリカの架空の街を舞台にした作品で、ファンタジーRPGの魔法に該当する要素として超能力が設定されていた。また、セガが1991年にメガドライブ用に発売したレンタヒーローでは、当時セガ本社があった東京都大田区周辺が舞台になっており、町と町(駅と駅、京浜急行の駅がモデル)の間の移動は電車で行う設定になっていた。

 しかし、現代を舞台にしたRPGは当時も今も主流ではない。リリースされる作品数も少ないし、ドラゴンクエストなどのように定番化した作品もなければ、同程度にヒットした作品もない。リリースされる本数が少なければ、そうなるのは当然の成り行きで、現代を舞台にしたRPGは、間違いなく今も昔も亜流である。


 なぜ現代を舞台にしたRPGは少ないのか。1980-90年代について言えば、当時のコンピューターのスペックは、現代の世界を表現するだけの能力がなかったからではないだろうか。たけしの挑戦状のようなアクションアドベンチャー、ポートピア連続殺人事件やオホーツクに消ゆのようなアドベンチャーゲームならば、少ない場面だけ描けばよいが、RPGでは箱庭的に現代の街を再現しなくてはならない。レンタヒーローのように駅と駅を電車でつなぎ、駅周辺だけを描くことで、現代の広くて縦方向にも広がりのある町を限定的に設定しつつも違和感を最小限にとどめる、という手法もあるが、密度の高い現代的な町を再現しようとすると、コンピューターにそれなりのスペックが必要になる。

 近年のコンピューターのスペックがあれば、例えばGTAシリーズのように現代的な街をある程度の広がりをもって表現することは可能だ。サイバーパンク2077は更に緻密に近未来の街を設定している。しかし、現代的な街は中世の街よりも密度が高いことは変わらないので、現代的な街を再現するのには中世世界を表現する以上のコストがかかる。だから、張りぼてで入ることが出来ない建物が大多数を占める、という結果になり、実際の街というよりも映画のセット的になりがちだ。

 また、現代の街を、どんなにきれいなCGで作り上げても、実際にその場所へ行ったことがある人、そこで日常的に生活している人にしてみれば、どうしても現実と比べてしまうだろうから、至らなさを感じてしまうだろう。日本人は、外国が舞台の映画の中で、街中でドンパチが始まっても、さほど非現実的だと思わない。なぜなら、そこでの生活経験がない人が殆どで、そんなこともあり得るのかもしれない、と思うからだ。しかし、日本が舞台の映画では、街中で大規模な抗争が起きると、いやいやそんなことあり得ない、そんなことになって警察が来ない筈がない、と思う人が多いはずだ。実際に見たことのない、体感したことのない世界の方がリアリティを感じやすい、といことだ。
 中世のようなファンタジー世界は、それを実際に目の当たりにしたことのある現代人はいない。誰も実際には見たことがない世界なので、粗いドット絵と少ない同時発色数で描かれた表現からでも、各個人が好きなようにイマジネーションを広げやすいことも、RPGの舞台にファンタジー世界が多い理由かもしれない。最初のドラゴンクエストの街は、一般人の家は殆どなく、武器屋と宿屋と道具屋がある程度の、はっきり言って町とは言えない規模でしかないが、そこがファンタジー世界であれば、それに違和を感じる人は多くなく、現実と乖離していても説得力を持たせられる、という意味でファンタジー世界が都合がよかったのだろう。


 そんな風に考えると、今、異世界転生ものが流行っている背景にも、超能力や魔法のような設定に説得力やリアリティを持たせやすい、ということもあるのかもしれない。どんな突拍子もない設定でも、あり得ないということになりにくい。
 たとえば、ヤングマガジンで連載中のパラレルパラダイスも、「異世界に迷い込んだ主人公が、仲間達とともに世界を脅かす存在に立ち向かう」というファンタジー作品の基本を踏襲した異世界ものだが、主人公はその世界唯一の男であり、他は全て女で、しかもその世界の女は崩月という呪いによって20歳で死んでしまうのだが、男とセックスすることでそれを避けられる、という設定になっており、主人公が次々とセックスしまくる様子がしばしば描かれる。

 このような設定は、舞台が現代でも成立しないわけではないが、舞台をファンタジー世界にすることで、そんなことが起きるはずがない、そんな世界はあり得ない、と読者が感じにくくする、という効果があるのではないだろうか。


 個人的には、何でもありのファンタジー世界の設定はあまり好きではない。勿論そのような作品を全否定するつもりはなく、あくまでも個人的な趣味に合わない、ということでしかないが、全くのファンタジー世界を描くことよりも、超能力などのファンタジー要素を、如何に現実になじませて違和感なく描けるか、の方が技巧的に上なのではないか? と考える。



 トップ画像には、おとぎ話 ビンテージ 年 - Pixabayの無料画像 を使用した。

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