昨日の投稿は、7/29に放送されたAbemaTV・千原ジュニアのキング・オブ・ディベートでの議論を前提とした、乙武 洋匡さんの「愛国心」についてツイートを基にして書いた。投稿を書くにあたって、番組の当該回を見ずに書いている、と書いたが、AbemaTimes がこの回「#41 日本はもう終わっている!? 乙武、Niki、国会議員らが激論」に関する記事「自民・谷川とむ議員「同性婚や夫婦別姓は趣味みたいなもの」 同性婚・選択的夫婦別姓に慎重姿勢示す」をを掲載していたこともあり、番組内容が気になって見逃し配信で昨夜確認した。
率直に言って、谷川議員のいくつかの発言を見る限り、自民党は既に根腐れしているんだろうな、というのが視聴後の感想だった。所謂杉田発言、批判も処分もしない党幹部ら、おかしな擁護を繰り広げる所属議員たち、そして、そもそもまともな議論が出来ない議員の多さ。勿論、野党の中にもまともな議論が出来ない議員はいる。しかし、それと政権を担う与党がどんぐりの背比べで いいのだろうか。
前段で示した事について、連日のようにこのブログで書いてきた。
- 7/23 堂々と偏見を垂れ流す議員の存在(所謂杉田LGBT差別発言への批判)
- 7/25 自民党が差別容認政党であることの根拠(杉田氏の発言を容認・黙認する党への批判)
- 7/26 憲法の理解度、SNSの理解度共に低い政治家(小野田氏の権利と義務に関する理解不足への批判)
- 7/28 まともに議論出来ない国会議員(討論番組で都合の悪いことを無視し、都合よい解釈だけを展開する松川氏への批判)
- 7/30 自民党が内包している”ヤバさ”(小林杉並区議、稲田元防衛大臣のツイートに対する批判)
話をキング・オブ・ディベートの#41に話を戻すと、この回に出演していた自民・谷川 とむ氏も同じ穴の狢でしかなかった。記事で紹介されている谷川氏の発言、
同性婚や夫婦別姓といった多様性を認めないわけではないんですけど、それを別に法律化する必要はないと思っているんですね。趣味みたいなものではまさにその典型例だ。認めないわけではない、などと「理解はしていますよ」というスタンスをとってはいるものの、その後に「趣味みたいなもの」なんて言ってのける。差別する側というのは、差別しようという明確な意思を持っていることは稀で、大概無意識、もしくは自分は差別していないと正当化しながら差別をするものだ。彼や杉田氏、そして杉田氏の発言を擁護・容認・黙認する者がその典型例だろう。日本の学校では、いじめについてそういうことを指摘し、それではいけないと教育している。また、そのような行為を見過ごしたり、傍観することも、いじめに加担するも同じことと教えているはずだ。学校でいくらこのように教えようが、国会議員、しかも政権を担う与党の議員がそんな態度を示し、そして党が批判・処分どころか、違和感すら表明しないようなら、大人より確実に適切な分別がなく、人権意識も低い子どもの社会からいじめがなくなる筈などない。
彼は更にこんなことも言っている。
僕の"谷川とむ"も本名ではなく通称ですが、それで活動できています。夫婦別姓についても、法律化してなんでも枠を拡げていくと、大変な労力がかかってくる。マイノリティの人たちを救いたい気持ちもあるが、すべての国民から税金をいただいてますから、"マイノリティの人たちが、マイノリティの人たちが"と枠を拡げてしまうことを認めたくない国民がいれば、基本的に裏付けをしないと。政策として実現するために必要な国民の理解を得るためにはもう少し議論が必要だと思いますし…ハッキリ言って、よくこんなバカげた話を複数含む発言が出来たものだ。
まず、自分が通称で活動出来て不便がないことを理由に、選択的夫婦別姓の法制化は必要はないなどと言っている。自分の経験を下に議論することは何も悪いことではない。しかし、それが概ね全てのケースに当てはまるかのように解釈するのは大きな間違いだ。自分の周りが世界の全てだと言っているようにしか思えない。これは7/30の投稿で紹介した、小林 ゆみ杉並区議の「私の周りには小学生の頃から同性愛者の友達がおり、同性愛者の方々に向けての差別が日本にあるなんて考えたこともなく、」という発言とも共通しているし、事の発端となった杉田氏も同じように、自分の周りにそんな人はいないからLGBT差別も男女格差もない、というような持論を展開している。こんなに視野が狭い人達は政治家としての資質に著しく欠けているとしか言いようがない。
また、「すべての国民から税金をいただいてますから、"マイノリティの人たちが、マイノリティの人たちが"と枠を拡げてしまうことを認めたくない国民がいれば、基本的に裏付けをしないと。」という話もかなりヤバい。マイノリティの何たるか、多様性の尊重の何たるかを全く理解していない。マイノリティとは少数派のことで、多数決になれば必ず負けてしまう存在だ。「認めたくない国民がいれば」なんて観点で考えたら、結局のところ多数派至上主義に陥る。言い換えれば少数派冷遇・弾圧主義になってしまう。いかにも多数派側にいる自民党の議員の思いつきそうな発想で、ため息しかない。
この発言に対する乙武さんの反論が実に的確だった。
参議院の6増案にどれだけの国民が賛成しますか?全然議論が尽くされていない中でアナタ達は法案を通しているじゃないですか。それがなんで夫婦別姓・同性婚の時だけ『議論が尽くされていない』って言い訳をするんですか。おかしいでしょ参議院6増案だけではない。自民が幕引きを図ろうとしている森友加計問題だって世論調査に対して納得できないと言う人が決して少なくない。自公維新が押し切ったカジノを容認するIR法案も同様だ。また、働き方改革法案で導入を決めた高度プロフェッショナル制度に関しても、たった数人への聞き取りでその必要性を論じていたことが明らかになっている。谷川氏の言っていることは、7/28の投稿で批判した松川氏の主張と同様に、自分に都合の良い解釈でしかない。自民党にはこんな議員しかいないのだろうか。松川氏と谷川氏だけなら、たまたま出来の悪い議員が出演していただけ、勿論それだけでも国会議員としての資質に欠けることは間違いないが、自民党全体と言い切るには要素が多いとは言えず、”だけ”と言えるかもしれないが、前述したように、直近だけでも他に例は複数ある。要するに腐っているのは一部だけではなく、表面化した腐った政治家は氷山の一角と推測するのが妥当ではないだろうか。
最後にもう一つだけ。谷川氏は記事では取り上げられていない番組冒頭の「有名人の炎上はただの妬み?」というテーマに関して、「そう思う」という見解を示し、批判を受けた豪雨の夜の赤坂自民亭の話を持ち出していた。彼は参加者の脇の甘さを指摘しつつ「言わなくていい本心もある」と話を着地させていた。豪雨の夜のあの酒の席に、首相や防衛大臣、翌日に死刑執行を控えた法務大臣らが参加していても問題ないというのが本心ならば、それこそ批判を受けて然るべきだし、そもそも批判は妬みではないのに、その話を持ち出すということは、彼は「赤坂自民亭への批判は妬み」と思っているのか?と思えてしまう。「脇が甘い」という見解を示しつつも、彼の発言を通して見ていると、結局 「赤坂自民亭への批判は妬み」という彼の、彼の言葉を借りれば「言わなくてもいい本心」が滲み出ているように見えた。