スキップしてメイン コンテンツに移動
 

謝意 ≠ 謝罪、謝意 = 謝罪+感謝


 シリアで武装勢力に拘束されたジャーナリス・安田純平さんが3年4か月ぶりに解放され、10月に帰国を果たした件について、これまで
を、このブログに投稿した。この件に関してはこれ以上書くことはもうないか、とも思っていたが、11/9に日本外国人特派員協会で安田さんが記者会見を開いた際に、11/2の日本記者クラブでの会見で示した「謝罪」の必要性について問う質問があったようで、その様子を撮影したテレビのニュースや、ハフポストの記事「「謝罪する必要あったと思う?」外国人記者の質問に、安田純平さんの答えは...」を読んで、これまでの投稿で示してきた自己責任論への批判とは別の思いが込み上げてきた。


 詳細は記事を読んで欲しいが、ハフポストの記事によると、質問した記者は「安田さんが会見で謝罪する必要はなかった」という思いから、「謝罪をするのではなく、帰国したことで歓迎されるべきでは」という疑問を安田さんに投げ掛けているように見える。これに対して安田さんは、
 ジャーナリストの仕事が、政府や権力にコントロールされるものではないことについて、全面的に賛成します。
 今回謝罪というか、私自身の行動にミスがあったのは間違いはないので、この点に皆様のご批判をいただいて、今後に生かしていくために、まずご挨拶というか、ご批判をいただくにあたって、「お詫び申し上げます」ということを申し上げています。
と返答したそうだ。
 外国人記者、言い換えれば海外・欧米の感覚が絶対的に正しいとも言えないし、逆に言えば絶対的に間違っているとも言えない。勿論同様に日本人の感覚が絶対的に正しいとも間違っているとも言えない。だから記者が疑問を持つことは何もおかしいことではない。ただ、日本での謝罪・謝意に対する感覚は、欧米のそれとは確実に異なるので、記者の疑問はある意味仕方がないかもしれないが、彼は日本人の謝罪に対する感覚への理解が足りないと自分は思う。

 安田さんも言っているように、シリア渡航のかなり早い段階で彼が判断ミスを犯し、多くの人に心配をかけたことには違いないので、彼が自身の落ち度について謝意を示した事は、自分は何もおかしいことではないと思う。不適切な発言や行為をしているにも関わらず、全然認めようとも謝ろうともしない、「謝ったら死ぬ病」などと揶揄される一部の政治家と比べたら、潔く自分のミスを認めて謝意を示した安田さんはとても誠実に見えた。
 何より、自分はあまり好ましく思っていないが、日本には「ありがとう」の代わりに「すみません」という謝意表現を用いる文化がある。また「謝意」という言葉にも、「謝罪」という意味の他に「感謝」のニュアンスもある。日本人にとって謝意はある意味で感謝であり、安田さんの「お詫び」には「心配してくれてありがとう」というニュアンスが少なからずあると思う。

 記者が質問の中で言っているように、必要以上に自己責任論で安田さんを責め立てている人達の行為・感覚は確実に適切とは言えない。しかしそれについて「謝罪する必要あったと思う?」という視点から論じてもあまり建設的ではないと自分は考える。安田さんにも落ち度があったのは事実なのだから、それはそれで素直に認め、彼の身を案じて心配してくれた人へ謝意(お詫びと感謝)を示した上で、今後も彼の信念に沿って、そして必要とされる活動等に携わってくれたらそれでよいのではないだろうか。
 何より彼の口から「謝罪の必要はない」とは決して言えないだろうから、彼に「謝罪は必要か」という疑問を投げかける事自体が建設的でないと自分には思えた。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。