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MeToo・セクハラ問題のその後と、性産業差別の愚かさ


 昨年・2017年10月に、今年・2017年の10月にハリウッドの大物プロデューサーの信じがたいレベルの恒常的なセクハラ・パワハラが、複数の被害者が声を上げたことで明きらかになった。この件について泣き寝入りしていた者への告発を促す為に #MeToo というハッシュタグが生まれ、それはこの件に限らずこれまでセクハラ被害について泣き寝入りしていた人たちに声を上げさせる大きな動きに繋がった。
 日本でもその影響はあったものの、当初は声を上げた者を揶揄する所謂セカンドレイプ的なSNS投稿も多く、他地域程の強い動きにはなっていなかった。しかし今年・2018年4月に、財務省事務次官がテレビ朝日記者に対して女性記者をバーに呼び出し、「おっぱい触っていい?」「手しばっていい?」などのセクハラ発言を繰り返したことが発覚すると、にわかにセクハラに関する話が日本でも盛り上がりを見せた。


 それから半年以上が過ぎ、テレビや大手新聞ではセクハラに関する話題が大きく取り上げられることはほとんどなくなっているが、Webメディアなどでは現在もセクハラに関連する社会の動き取材して記事化している。自分が最近気になったのは
の2つだ。
 前者・BuzzFeed News の記事は、ハラスメントを未然に防ぐために女性を排除して男だけで飲む会、略して「ハラミ会」に関して、女性の視点で書かれたマンガを取り上げた記事だ。自分はこの記事を読んで以下のように感じた。
 どこからがセクハラか分からないから、女性の同僚らと飲むのを止める

というのは一見合理的な対処方にも見える。しかし、何がセクハラか分からない人というのは、他人の気持ちを推し量れない、若しくは推し量ることを諦めたコミュニケーション能力に欠ける人なのだと思う。そんな人は、男女問わず客にも失礼な事を言ったり、したりしてしまいかねない人ではないだろうか。
 何がセクハラか分からない人は、概ね「何がパワハラか」も分からない人達でもあると自分には思える。セクハラ防止の為に女性同僚とのコミュニケーションを避ける事が必要であれば、彼らはパワハラ防止の為に男女にかかわらず部下とのコミュニケーションを避ける必要もあるように思う。

 そんなコミュニケーション不全の状態で成り立つ仕事は一体どれ程あるだろう。営業職はまず務まらないだろうし、非営業職だって他人とのコミュニケーションなしに成り立つ仕事などない。そんな観点から考えれば、ハラミ会の参加者は基本的に「仕事が出来ない人」の集まりだろうから、避けておいても問題はないだろう、寧ろ積極的に避けるべきではないだろうか。
ハラミ会に関して厳しい批判をしたが、勿論当事者は適切な距離を保つための手段だと思っているだろうし、極端さは感じるもののそのような側面を全面的に否定することも出来ないので、流石にハラミ会が差別的とまでは思わない。例えばセクハラ防止だけを念頭に女性を雇用しないという事を多くの企業が始めれば、それは確実に女性差別になり得るので看過できないが、飲み会というプライベートな活動に関してはその限りでなく、個人の自由にすればいいとも思う。ただ、このような事を言いだす人達は適正なコミュニケーションを諦めた人達、という自分が下した評価が事実に即していない・全くの事実誤認等とは思えない。


 後者・ハフポストの記事の見出しは、財務事務次官のセクハラ問題について、麻生財務相が「セクハラ罪っていう罪はない」と発言したこと、4/18の閣議で「現行法令において、セクハラ罪という罪は存在しない」とする答弁書を決定したこと(朝日新聞の記事)が前提になっている。女性に関する法律に詳しい研究者4人による座談会の文字おこしをする形式の記事で、記事の中に「「自分は何も悪いことをしていないのに」。被害者のほぼ全員が退職」という一節がある。この部分を念頭に自分は次のようなコメントを投稿した。
 いじめられた子が学校を変えなければならない状況、セクハラ・パワハラを受けた側が仕事等の環境を変える事を強いられる状況は確実におかしい。
いじめにしろ、パワハラにしろセクハラにしろ、被害を受けた側が環境を変えなくてはならない事案の方が確実に多い。それは何故かと言えば、いじめに関して「傍観する者も消極的にいじめに加担しているのと同じ」という話があるように、深刻ないじめ、セクハラ・パワハラが発生した周辺には確実に多くの傍観者がいる筈で、いじめ・セクハラ・パワハラに主体的に加担した者でだけでなく、それを見ていながら、若しくは薄々気が付いていながら救いの手を差し伸べなかった周囲の者に対しても、被害者が不信感を募らせるからだろう。いじめ・セクハラ・パワハラという被害を受けたのに、更に環境を変えるというコストを強いられるのは果たして妥当なのだろうか。自分はコスト・代償を払うべきなのは加害者側だと強く感じる。

 女優でタレントの蒼井 そらさんが12/11、第一子を妊娠したことを発表したそうだ。自分はこの件を、社会学者の西田 亮介さんのツイートで知った。


彼は自身が出演したAbema TVの昼のニュース・けやきヒルズの中でコメントした事についての記事へのリンクを添付している。番組では蒼井さんのこの件に関するブログ投稿を引用してこう紹介している。
 子どもが将来【絶対】にいじめにあう。そういう確率は高いと【思う】。絶対とか、考えれば分かるみたいな話ってあなたの価値観だよねって

 『私は風俗嬢の母親だったから分かりますが、私は不幸でした。だから子どもなんて産まないで下さい』みたいなことを昔、ブログかなんかのコメントかメールで言われたことがあるのね。でもそれは、あなたの環境であって私の子どもの環境では無いよね。って思うの
彼女はこの投稿の冒頭で、「AV女優が子供を作るなんて子どもがかわいそう。結婚発表をした時、そんな言葉を目にしました。いや、発表する前から、そんな言葉を目にすることは多々あったかな。」とも書いている。果たしてAV女優や風俗嬢を親に持つ子どもを不幸にするのはその親なのだろうか。
など、このブログでは過去の投稿で、性産業・所謂水商売を見下す風潮、言い換えれば職業差別が如何に愚かで滑稽かを指摘してきた。元AV嬢や風俗嬢を親に持つ子どもが不幸な境遇に置かれてしまうのは決して親だけの所為ではない。勿論だらしない親が全くいないとは言わないが、他の職業に就く親でもだらしない者はいる。逆に言えばプライドをしっかりと持って性産業・水商売を生業とする・していた者も確実にいる。確かにだらしない親の元に生まれたら子どもは苦労するし、それは不幸とも言えそうだが、AV女優・風俗嬢は総じてだらしなく、だからその子どもは総じて不幸になるかのような考えは、性産業・水商売を見下す風潮、言い換えれば職業差別に基いているとしか言えない。つまり、元AV嬢や風俗嬢を親に持つ子どもが不幸な境遇に置かれてしまうのは、性産業や水商売に偏見を持つ・差別する大人が原因だ。その大人の影響でその子どもたちもいじめに走るのだろう。
 「私は風俗嬢の母親だったから分かりますが、私は不幸でした。だから子どもなんて産まないで下さい」というのは差別を肯定、肯定は言い過ぎだとしても容認・黙認してしまっている。そんな主張には全く賛同することが出来ない。

 親が養豚業兼肉屋を営んでいる知り合いがいる。自分は実感したことがないが、小学校の道徳の授業の中で、屠殺を理由に畜産業者や肉屋を差別する人達がいることを習った。その知り合いに差別・偏見やいじめがあったかを聞いたことがある。ひどいいじめではなかったが、喧嘩になった際などに「お前の家は豚を沢山殺しているから地獄に堕ちる」のようなことを言われた事はあるそうだ。しかも子ども同士だけでなくその親からも似たような事を言われたことがあるらしい。その親子は菜食主義というわけでもなく、その子は給食でポークカレーを普通に食べていたそうだ。
 結局のところ、性産業従事者の子どもは不幸という話も、この畜産・精肉業への偏見・差別と同様に親の職業が問題なのではなく、職業差別を公然と行う大人や、それを黙認する社会全体が子どもを不幸にするとしか言いようがない。セクハラ被害者が何か我慢を強いられたり、環境を変えるというコストを強いられるのがおかしいのと同様に、差別・偏見を受ける側の性産業従事者が「子どもを産むな」なんて言われるのも明らかにおかしい。

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