誰もが知っているように、現在日本では同性同士の婚姻は認められていない。国外では既に同性同士の婚姻を認めている地域は決して少なくない。G7参加国に限れば、法制度が何もないのは日本だけなのだそうだ。確かに、同性同士の婚姻が認められ始めてからまだ日は浅く、それが社会にどんな影響を及ぼすのか、厳密にはまだまだ分かっていない。しかし、自分の知る限り現状深刻な影響を及ぼすという研究結果・統計の調査結果もない。なのに何故か必要以上の懸念を理由に、否定的な主張をする人はまだまだ少なくない。少なくとも日本では。だから日本では今も同性同士の婚姻が認められていないのだろう。
2017.11月に、自民党の竹下議員が宮中晩餐会に関連して同性愛者を蔑視・軽視するような発言をして批判を浴びた(2017年11/24の投稿)。ハフポストはこれに関連して「同性婚を認めたらどうなる? 世界で賞賛された国会議員のスピーチ」という記事を掲載した。記事は、ニュージーランドで同性婚を認める法律ができた2013年に、モーリス ウィリアムソン議員が議会で行ったスピーチを紹介している。
このスピーチはとても秀逸だ。勿論人によっては秀逸とは思わないのだろうが、少なくとも自分はとても秀逸だと思っている。彼はスピーチの中でこう述べている。
この法案に反対する人に私は約束しましょう。水も漏らさぬ約束です。つまり「同性婚を認めたところで、同性愛者でないあなたの生活はなんら変わらないのになんで反対しているの?」ということだ。その裏側には「人の指向を合理的な根拠もなく否定していると、あなたの別の指向も合理性なく否定されかねないけど、それでもいいのか?」という疑問が見え隠れする。簡単に言えば、他人の基本的人権を侵してはいけないという、近代的な民主的国家の大前提を訴えているのだろう。これはとても秀逸なスピーチだが、状況が状況なら「何当たり前過ぎる事を言ってるの?」という話だろうし、「え?そんな事も理解出来ない大人が大勢いるの?」と言われてしまいかねない恥ずかしい話でもある。
明日も太陽は昇るでしょうし、あなたのティーンエイジャーの娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。布団の中からカエルが現れたりもしません。明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。
1/4に自民党の平沢議員が「LGBTで同性婚で男と男、女と女の結婚。これは批判したら変なことになるから、いいんですよ。もちろんいいんですよ。でも、この人たちばっかりになったら国はつぶれちゃうんですよ」「(同性カップルへ証明書を発行する渋谷区等を指して)先進区だとか自慢しているが、私にはその考え方はよくわからない」などと発言して大きな批判を浴びた(1/5の投稿)。平沢氏はその後「同性婚などの話題はタブー視され過ぎていて議論が進まない。これがおかしい」などと釈明したようだが(ハフポストの記事)、議論が進まないのは、彼のような議論のスタートラインにすら立てていない人達が間違った情報を発信するからではないのか。タブー視云々というのは責任転嫁とすら思える。
彼はどうも同性婚を法的に認めると同性愛者が増えると思っているようだが、同性愛は嗜好ではなく指向であり、法的に認められたから増えるというものではない。確かに、同性婚が法的に認められれば、それによって現在よりも同性愛者の立場が向上し、公言する・出来るようになる人が増えるかもしれないので、法的に認められる以前よりは、ある程度は増えたように見えるかもしれない。しかし数字上で増えたとしても実数が増えるわけではなく、あくまでこれまで見えていなかった数字が見える化するだけだ。つまり同性婚を法的に認めても、絶対に「この人たちばっかりになる」なんてことはない。平沢氏が「同性婚も認められたことだし、同性と恋愛してみようかな?」なんて考えるタイプなら、そんな懸念を抱くことも分からなくないが、そんな風に考える人がいるとしても決して多くない。そんな人達ばっかりになる事など絶対にありえないと断言できる。彼の主張・見解が如何に馬鹿げているかよく分かる。
1/5には川越市で男性2人が(ハフポストの記事)、1/16には横浜市の女性2人が(ハフポストの記事)それぞれ同性同士による婚姻届けを役所に提出した。「同性同士が結婚できないのは憲法に違反している」として、複数の同性カップルが2019年2-3月に、国に損害賠償を求める訴訟を一斉に起こすという動きがあるようで(ハフポストの記事)、その為の準備の一環で、これらの婚姻届けが提出されたのだろう。ハフポストが取り上げたこれらの件以外にも同様の動きがあるようだ。
同性愛者たちの権利主張に対して、相変わらず「LGBTは権利を主張しすぎ、法で認められてないんだから自重しろ」的な事を言っている人もいる。昨年大きな波紋を呼んだ自民党・杉田議員の主張「LGBT支援の度が過ぎる」や彼女を擁護する主張(2018年8/1の投稿)にも似た発想だ。自分は彼らにこう言ってやりたい。
あんたが今持ってる参政権・選挙での投票権も、大正14年までは一部の高額納税者にしか認められてなかったし、女性に限れば認められたのは戦後だ。多くの先人が権利を主張したことで、法で認められてなかった参政権という権利が得られた。LGBTらの権利主張を「法で認められていない」というだけで否定するならば、あんたは今持っている参政権・選挙での投票権を返上しなくてはならなくなると。いま民主的な国家で認められている権利の多くは、元々は認められていなかった権利だ。権利が認められず不当で非人間的な扱いをされる事に対して、多くの人が「それはおかしい」と声を上げ、大きな労力を割いて努力を続けた結果認められたのが、私たちが現在当然のように享受している権利だ。「法で認められていない権利を主張するのはおかしい」と言う人は、今持っている多くの権利を放棄しなければならなくなる。何故なら、大抵の権利は元来法的に認められていなかったのだから。
「LGBTは権利を主張しすぎ、法で認められてないんだから自重しろ」のような主張をする人達には、他人の権利主張を短絡的に否定すれば、結果的に自身が今持っている権利すら否定しかねないという事を是非肝に銘じて欲しい。