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コンビニがエロ本取り扱い中止にする理由について


 セブンイレブン、ローソン、ファミリーマートのコンビニ3強が、1/21-22にかけて相次いで成人向け雑誌の販売を今年・2019年8月末で取り止めると発表した。コンビニでの成人向け雑誌、所謂エロ本の取り扱いに関しては数年前から話題になっており、大手3社以外ではミニストップが2017年11月に千葉市内の店舗での取り扱い中止を発表し、その際に2018年1/1から全国で取り扱い中止すると発表していた(ITmediaの記事)。他にも地域的な動きや、各店舗の判断による動きはこれまでにもあったが、大手3社が全国的に取り扱いを中止するということは、今後は概ねどのコンビニからもエロ本は無くなる事になりそうだ。


 自分が最後にコンビニでエロ本やアダルトDVDを買ったのはいつか、を思い出す事が出来ない。厳密に言えば、コンビニに限らず本屋等を含めても相当前の事だし、アダルトに限らず映像のネット配信サービスを利用し始めて以来レンタル店にも行かなくなり、最後にアダルトDVDを借りたのも少なくとも5年以上前だ。アダルトに限らず出版は総じて規模縮小が指摘されて久しく、自分の周辺からも本屋がどんどん消えている。それはビデオレンタルショップや販売店も同様で、以前は自分の家の最寄のレンタル店(兼本屋)は最大手のツタヤだったが、3年前に閉店してなくなった。
 そんな事を勘案すると、コンビニがエロ本の取り扱いを止める理由の一つには、売り上げの鈍化があるのでは?と推測できるが、BuzzFeed Japanの記事「セブン、ローソン、ファミマが成人誌の販売中止へ 雑誌協会「基準が曖昧、危惧を覚える」」によると、各社とも「女性やお子さまのお客様に、安心してお買い物をしていただける店舗づくりをさらに進める」「2020年のオリンピック・パラリンピック、2025年の大阪万博等の開催を控え訪日外国人の大幅に増加している」ことなどを取り扱い中止の主な理由としているようだ。他の報道でも売り上げ鈍化が理由に挙げられたという話は見ないので、実際に各社そこには言及していないのだろう。

 前述のBuzzFeed Japanの記事によれば、「女性やお子さまのお客様に、安心してお買い物をしていただける店舗づくりをさらに進める」「2020年のオリンピック・パラリンピック、2025年の大阪万博等の開催を控え訪日外国人の大幅に増加している」という理由での取り扱い中止という各社の説明に対して、日本雑誌協会は「『成人誌』の基準が曖昧で、選別方法が不明瞭であることに危惧を覚える。一部雑誌の取扱中止に関しては、慎重な判断を求めたい」という見解を示したそうだ。BuzzFeed Japanは関連した記事「そもそも「成人誌」って何? 「anan」の特集は大丈夫? 疑問をぶつけてみた」も掲載している。
 これらの記事を読んで自分は、単純に「売れ行きの良くない商品の販売を止めます」と
言えばいいのに、配慮云々なんて言うから線引き問題が出てきてしまう、と感じた。恐らく一部で以前からなされていた、子どもの見える場所にエロ本やアダルトDVDを陳列することへの批判、それらの商品が目に入る事自体が不快だという指摘等、所謂ゾーニング問題への対応アピール、つまり半ば各社が点数稼ぎをする為の宣伝的に利用した側面があるように自分には感じられた。勿論「売れ行きが鈍化した事による取扱中止」と発表していたとしても、前述のような理由なのにそれを隠しただけという批判が寄せられるかもしれないが、売れ行きが良くない商品が入れ替えられるのは何も不自然なことではなく、エロ本を含む雑誌の売り上げを確実に減少している為明らかな嘘でもないので、線引き問題への指摘よりも合理性を説明しやすかったのではないだろうか。率直に言って、各社が点数稼ぎに走らなければこの手の指摘も起きなかったのだろう。

 また、この各社の取り扱い中止の表明が適当か否かという議論は、別方面からもなされている。一部に「コンビニがエロ本の取り扱いを止めたら性犯罪が増えるかもしれない」という見解があり、エロ本の取り扱い中止をするべきでないという主張がある。一方でそれに対してこんなことをツイートしている人もいる。
性犯罪については、性欲よりも支配欲が主な動機になるケースもあるそうだから、性欲を解消すれば性犯罪が減るかと言えば、そうとは言い切れないのだろうが、概ね男性は定期的に射精しないとフラストレーションが溜まる動物だし、低能という言葉は気に入らないが、実際その程度の存在だと思う。その程度の存在ということは、コンビニで手軽にエロ本を買える状況には相応の抑止効果がある、あるは言い過ぎだとしてもないと断言することも出来ないのではないだろうか。
  「ネットにはこんなにもアダルトコンテンツが溢れているのに、コンビニのエロ本が本当に必要か?」と言う人もいるだろうが、現時点では少なからずネットを殆ど利用しない者も、高齢者を中心にまだまだ存在している。特に高齢者による介護者等へのセクハラはしばしば問題になっており、そんな事を勘案すれば、ネットの外側のアダルトコンテンツにはまだまだ必要性がある、あるは言い過ぎでもないとは言えないのではないか。前述のようにレンタルビデオ店も本屋も減少傾向にあり、それを考えたらコンビニのエロ本の必要性は全くないとは言えないのではないか。AVや風俗が充実している日本の性犯罪の件数が、性に厳しい一部のキリスト教国等のそれより少ないのも事実だ。
 女性やお子さまのお客様や、訪日外国人客に配慮するのなら、同時にエロ本の取り扱いを必要としている層の客への配慮も必要ということになるだろう。現在日本のコンビニには確実に社会インフラ的な側面があり、全ての利用客への配慮が必要だと自分は考える。ただ社会インフラ的な側面があるとしても営利企業である事には違いないので、売れない商品だから取り扱い中止という事であれば否定することは難しくなる。だから、コンビニが取り扱い中止を表明するなら売り上げ減少を理由にするべきだとも言えるそうだ。

 また女性は兎も角、お子様への配慮と言うが、前述のようにネットにはこんなにもアダルトコンテンツが溢れているのに、コンビニからエロ本を排除したところで焼け石に水ではないのか。個人的には、2017年3/10の投稿2018年3/5の投稿でも触れたように、過剰に性的な表現について嫌悪する風潮に疑問を感じている。勿論積極的に子どもにアダルトコンテンツを見せろなどとは全く考えていないが、あまりにも性的なものを隠そうとし過ぎれば、性的な事・もの=嫌悪すべきもの、という誤った認識を子どもに与えかねないと感じる。つまり、一部の者が見たくない・見せられたら不快だから排除という現在の傾向には疑問を感じる。確かにエロ本やアダルトビデオの中には真似てはならない性表現も多い。しかし臭い物に蓋をするのではなく、性教育等で積極的にそれに触れ、あれはフィクションであり、犯罪者を描いた映画や小説のようなものだと教える事で悪影響を抑えるべきではないのか。子どもが真似たら困るという理由でエロ本やアダルトビデオが排除されるべきなら、泥棒が主人公の映画や戦争で人が殺される映画なども排除しなくてはならなくなりそうだ。勿論その手の映画にもアダルトコンテンツ同様にレーティングの仕組みがあるが、それらはテレビCMもされておりアダルトコンテンツ程に嫌悪の対象にはならない。文学作品などはこの限りでない。「見せない」ではなく「どんなものか説明」をしなければ、子どもに的確な判断力が備わらないのではないだろうか。
 何より子どもが徐々に性的な事・ものに興味をもつのは明らかに自然な事で、過度に制限するべきではないと自分は思う。2018年11/16の投稿でも触れたが、アダルトビデオがセックスの教科書化してしまっているという指摘もあり、遠ざければ遠ざける程、逆にその傾向が進むようにも感じられる。

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