- 『いだてん』喫煙シーンに受動喫煙撲滅機構が抗議(申し入れ書全文)(ハフポスト)
- ブレークダンスをオリンピック新種目に、パリ2024提案(CNN)
- 「五輪」を商標登録 IOC、東京大会の便乗商法防止(日経)
オリンピックに絡む3つの記事が気になった。まず自分のオリンピックに対する認識を示しておきたい。昨今オリンピックの為に建設された施設が大会後廃墟化することも決して珍しくない事、大会招致に関して毎回賄賂の問題が浮上する事などから、スポーツが政治的・商業的に利用されている懸念が感じられ、また国別対抗戦という形式上、決して少なくない国で国威発揚の場に利用されている事などからあまりいいイメージがない。サッカーワールドカップにも似たような印象を抱いている。ただ1/15の投稿で触れたように「競技種目に採用されるとその種目の振興に繋がる」という側面もあり、全く否定的なわけでもない。
2020年の東京オリンピックについては、
などの様々な理由で、全く楽しみでも何でもない。寧ろ今からでも東京オリンピックを中止して欲しいとすら思っている。
「オリンピックによる恩恵も少なからずあるのだから、市民にある程度の不便があっても仕方がない」と考える人もいるだろう。しかし、招致の段階で推進する人達がそんなことを言っていただろうか。美味しい話ばかりしていなかったか。「決まったんだからやるしかない」のような空気を作り、開催を決めてから後出しジャンケン的に都合の悪い話をしだすようでは仕方がないなんて思えない。また「決定後に検討した結果だから仕方がない」という人もいるかもしれないが、つまりそれは当初から計画が杜撰だったという事に他ならない。
このように自分は東京オリンピックに対してとても懐疑的で、NHKが今年の大河ドラマで、明らかに東京オリンピック開催を盛り上げようと放送しているいだてんにもあまり良い印象はない。1/30の投稿などで指摘してきたように、NHKの報道がかなり政府広報的になっていること、首相があからさまにオリンピックを政治利用する傾向であることなども、いだてんに良い印象を抱けない大きな理由だ。しかし一方で、明治大正が舞台の時代劇の再現度などを見るのは個人的に好きだし、いだてんはNHKならではのふんだんな予算を使って当時を再現しているという面があり、視聴料を払ってもいるので毎回複雑な気分で見ている。
いだてんが大河ドラマ歴代ワーストレベルで低視聴率(産経新聞の記事)なところを見ると、明治大正期が舞台という大河ドラマとしての特殊性もその理由だろうが、自分と同じ様に東京オリンピックそのものや、NHKと政府の距離の近さ、その2つがほぼ一体となって政治的に利用しているように見える事への違和感がある人が、少なからずいるんだろうとも感じている。
前置きが長くなったが、冒頭で示した記事の1つ目「『いだてん』喫煙シーンに受動喫煙撲滅機構が抗議(申し入れ書全文)」について指摘したい。公益社団法人 受動喫煙撲滅機構なる組織が、
同機構は喫煙シーンが好ましくない理由の一つに未成年者への影響を挙げているが、喫煙シーンを一切見せたくない親は、テレビを家に置かなければよいのではないか。また、禁煙治療中の人たちへ悪影響も挙げているが、そこまで深刻なニコチン依存症の人もテレビを見なければよいのではないか。何よりテレビで喫煙シーンが放送されても、煙は画面の外へは出てこないので視聴者に健康被害はない。この手の悪影響・不謹慎という指摘こそ2/8の投稿でも触れた、テレビ朝日・マツコ&有吉 かりそめ天国の中でマツコ・デラックスさんが述べた、「(今のテレビ等では)100人中2人に向けたことをやる人が多い。それでつまらなくなってる」「(文句やクレームを)ネットに書き込むような人はその2人。応援してる98人はわざわざ書かない」の典型例だと感じる。
20年程度前までならば「テレビは生活に必要不可欠」という話も理解できたかもしれないが、ネットが発達した結果、今は相対的にテレビの必需性は下がっている。自分は2000年から2009年頃までテレビを自宅に置かずに殆ど見ない生活をしていたが、生活に支障をきたすほどの不便など無かった。
90年代まで自動車の後席はシートベルトをしないのが当然、取り締まりが行われる前の80年代以前は前席でも殆どシートベルトをしていなかったので、当時が舞台のドラマや映画の中でしっかりシートベルトを締めていると強い違和感がある。何故かと言えば再現性が低いとしか言えないからだ。現在が舞台のドラマであっても急いで逃げている筈の凶悪犯が、しっかりシートベルトを締めてから発進するというカットがあると、途端に不自然さが増して辟易させられる。現在が舞台のドラマなら辟易させられるだけだが、80年代以前が舞台のドラマや映画であまりにもシートベルトをしっかり締めるように描くことは、厳密には歴史の改ざんにすら当たるのではないだろうか。
同機構は抗議分の中で、
少し過激な視点かもしれないが、個人的には、どこでも喫煙出来た時代が舞台となるドラマや映画ですら喫煙シーンを描くな、他の現在好ましいくないとされる表現も一切用いるな、というのは、南京事件はなかったとか、慰安婦や徴用工などいなかった、台湾や東南アジアで日本軍は好意的に受け入れられたなどと主張する歴史修正主義にも等しいのではないか、と感じる。
子供への悪影響云々という話も、テレビドラマやバラエティ番組をそのまま真似することには問題があるもの、あれはあくまでフィクション・テレビの中の話という事を教えられない大人が責任転嫁しているだけではないのか。1/24の投稿「コンビニがエロ本取り扱い中止にする理由について」でも触れたが、あれもこれも好ましくないと、覆い隠し漂白した環境に子どもを置けば、自分で適切な判断が出来ない大人に育ってしまう恐れがあると考える。性教育などが良い(悪い?)例だ。隠したり遠ざけたりすることでは何も解決しない。
長くなったので、冒頭で挙げた後者2点に関しては明日の投稿・後編で書くことにする。
- 首相が招致活動スピーチの中で「(福島第一原発や汚染水は)アンダーコントロール」と明らかな嘘をついたこと
- 首相がリオ大会の閉会式でパフォーマンスを行ったこと、東京大会でも同様の行為が懸念されること、関係性があるとは思えないような事でも何かにつけてオリンピックや2020年を引き合いに出し、あからさまに政治的に利用していること
- 招致活動の中で頻繁に叫ばれていたコンパクト五輪というコンセプトが、開催決定した途端に一気に吹き飛んだこと
- そのツケが国の予算や一部種目の会場になっている自分が済む自治体の予算に回されていること
- 招致活動で怪しげなコンサルティング会社によく分からない支出が行われていたこと
- これまでの大会と同様に、大会に向けて建設される施設のいくつかについて、既に大会後の維持困難が予想されていること
- オリンピック期間中、例えば首都高速の値上げ等金銭的、運送会社の配送への自粛要請等実務的、そして既存施設のいくつかもオリンピック優先になる為、他のイベント等が開催場所に困るという状況など、市民生活に確実にしわ寄せがあること
などの様々な理由で、全く楽しみでも何でもない。寧ろ今からでも東京オリンピックを中止して欲しいとすら思っている。
「オリンピックによる恩恵も少なからずあるのだから、市民にある程度の不便があっても仕方がない」と考える人もいるだろう。しかし、招致の段階で推進する人達がそんなことを言っていただろうか。美味しい話ばかりしていなかったか。「決まったんだからやるしかない」のような空気を作り、開催を決めてから後出しジャンケン的に都合の悪い話をしだすようでは仕方がないなんて思えない。また「決定後に検討した結果だから仕方がない」という人もいるかもしれないが、つまりそれは当初から計画が杜撰だったという事に他ならない。
このように自分は東京オリンピックに対してとても懐疑的で、NHKが今年の大河ドラマで、明らかに東京オリンピック開催を盛り上げようと放送しているいだてんにもあまり良い印象はない。1/30の投稿などで指摘してきたように、NHKの報道がかなり政府広報的になっていること、首相があからさまにオリンピックを政治利用する傾向であることなども、いだてんに良い印象を抱けない大きな理由だ。しかし一方で、明治大正が舞台の時代劇の再現度などを見るのは個人的に好きだし、いだてんはNHKならではのふんだんな予算を使って当時を再現しているという面があり、視聴料を払ってもいるので毎回複雑な気分で見ている。
いだてんが大河ドラマ歴代ワーストレベルで低視聴率(産経新聞の記事)なところを見ると、明治大正期が舞台という大河ドラマとしての特殊性もその理由だろうが、自分と同じ様に東京オリンピックそのものや、NHKと政府の距離の近さ、その2つがほぼ一体となって政治的に利用しているように見える事への違和感がある人が、少なからずいるんだろうとも感じている。
前置きが長くなったが、冒頭で示した記事の1つ目「『いだてん』喫煙シーンに受動喫煙撲滅機構が抗議(申し入れ書全文)」について指摘したい。公益社団法人 受動喫煙撲滅機構なる組織が、
受動喫煙シーンがしばしば見受けられ、みな観るたびに閉口し、悲しんでいますなどと、「喫煙シーンを放送するな」と抗議しているようだ。受動喫煙シーンが放送されたことを謝罪しろなどとも迫っている。
受動喫煙のシーンは、今後絶対に出さないでください
同機構は喫煙シーンが好ましくない理由の一つに未成年者への影響を挙げているが、喫煙シーンを一切見せたくない親は、テレビを家に置かなければよいのではないか。また、禁煙治療中の人たちへ悪影響も挙げているが、そこまで深刻なニコチン依存症の人もテレビを見なければよいのではないか。何よりテレビで喫煙シーンが放送されても、煙は画面の外へは出てこないので視聴者に健康被害はない。この手の悪影響・不謹慎という指摘こそ2/8の投稿でも触れた、テレビ朝日・マツコ&有吉 かりそめ天国の中でマツコ・デラックスさんが述べた、「(今のテレビ等では)100人中2人に向けたことをやる人が多い。それでつまらなくなってる」「(文句やクレームを)ネットに書き込むような人はその2人。応援してる98人はわざわざ書かない」の典型例だと感じる。
20年程度前までならば「テレビは生活に必要不可欠」という話も理解できたかもしれないが、ネットが発達した結果、今は相対的にテレビの必需性は下がっている。自分は2000年から2009年頃までテレビを自宅に置かずに殆ど見ない生活をしていたが、生活に支障をきたすほどの不便など無かった。
同機構は抗議分の中で、
ドラマ『バカボンのパパよりバカなパパ』においては、ヘビースモーカーであった主人公の漫画家や、編集部、バーの場面においても、喫煙シーンは全くありませんでしたとしているが、ヘビースモーカーであった人物を全くタバコを吸わない人物として描くことは、ある意味で故人への尊重が足りないようにも思える。同機構にしてみれば喫煙は極悪非道な行為なのだろうから、故人はそのような側面を省いてもらって喜んでいるはず、という解釈なのかもしれないが、その人の大きな特徴である一面をなかった事にして描くのはあまりにも忍びない。
少し過激な視点かもしれないが、個人的には、どこでも喫煙出来た時代が舞台となるドラマや映画ですら喫煙シーンを描くな、他の現在好ましいくないとされる表現も一切用いるな、というのは、南京事件はなかったとか、慰安婦や徴用工などいなかった、台湾や東南アジアで日本軍は好意的に受け入れられたなどと主張する歴史修正主義にも等しいのではないか、と感じる。
子供への悪影響云々という話も、テレビドラマやバラエティ番組をそのまま真似することには問題があるもの、あれはあくまでフィクション・テレビの中の話という事を教えられない大人が責任転嫁しているだけではないのか。1/24の投稿「コンビニがエロ本取り扱い中止にする理由について」でも触れたが、あれもこれも好ましくないと、覆い隠し漂白した環境に子どもを置けば、自分で適切な判断が出来ない大人に育ってしまう恐れがあると考える。性教育などが良い(悪い?)例だ。隠したり遠ざけたりすることでは何も解決しない。
長くなったので、冒頭で挙げた後者2点に関しては明日の投稿・後編で書くことにする。