スキップしてメイン コンテンツに移動
 

麻生爺さんの問題発言と撤回の問題性と深刻さ


(年を)取ったやつが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるが、それは間違っている。子どもを産まなかった方が問題なんだ
麻生副総理兼財務大臣が2/3に福岡県内での集会でこう述べたそうだ(ハフポストの記事)。 普通なら「何を言ってるんだこの爺さんは」と憤るところなのだが、この爺さん(この投稿では皮肉を込めて麻生氏をそう呼ぶことにする)がこの手の発言をしても、もう何の驚きもない。2018年12/12の投稿でも書いたので詳細は割愛するが、この爺さんはこれまでにも様々な問題のある発言を頻繁にしては、謝罪撤回することを繰り返している。つまり、この爺さんは最早普通じゃないし、謝罪も撤回もポーズだけで同じことを繰り返す、脳のブレーキがぶっ壊れている事が確定的だ。首相はこの爺さんが何を言おうがお構いなしで副首相兼財務大臣に起用し続けるし、自民党の誰もそれに異論を唱えない。他にもいろいろな側面があるのは事実だが、そんな首相や党を国民が選挙の度に信任するようでは、こんな爺さんが反省もなく調子づいて、ふんぞり返るのもある意味では仕方ない。


 首相や自民党、更に連立与党の公明党や所属する政治家・支持者らが、あの爺さんを積極的に批判したり処分を求めたりしないのは、「確かに麻生氏の発言は問題だが、麻生氏を大臣に起用するメリットもある」のような感覚なのだろう。因みに、もし万が一「麻生氏の発言に問題があるとは言えない」なんて見解を首相や与党が示せば、流石に消極的に・消去法で現政権・現与党を支持している層からの支持を失う筈だ。そうならないようであれば、政治だけでなくこの国全体の性根が腐っているということにもなりかねない。
 例えば、あの爺さんの問題発言が数年に1度程度、そして同じ様な発言が繰り返されていないのであれば、そんな言い分によるあの爺さんの起用にも合理的な側面を見出せるかもしれない。完全無欠の人間など確実に存在しえないので、誰もが間違いを起こす恐れを少なからず孕んでいる。また、失敗をしてもそこから学んでもらえるようであればそれでいいかもしれない。しかし、犯した過ちが深刻だったり、何度も同じ過ちを繰り返すようであれば、相応の対処・処分が必要なことにも間違いはない。

 2/3の投稿でも触れたが、兵庫県明石市長の、道路の拡幅工事に関連する物件の立ち退き交渉を担当する職員に対する「燃やしてこい、今から建物」「損害賠償、個人で負え」などの暴言について、当該道路で死亡事故が相次いでいることを市長が憂いた上での発言だった事が後から報道された事により、この暴言や市長に対する擁護の声も挙がっているようだが(西日本新聞の記事)、どんな背景があろうが市長が部下に「放火しろ」「放火して捕まってこい」なんて明らかな犯罪、しかも放火という重大な犯罪行為を煽るようなことはあってはならない。常習性が無かろうが1発アウトの案件だろう。例えば、彼が市長でなく初めての過ちであれば、1発アウトにしなくてもよいのではないかという見解にも一理あるだろうが、市長という立場なら間違いなく1発アウトだ。もし自分の子供が、担任の教員からこんな事を言われたとしたら、多くの人が1発アウトと判断するだろう。 市長という立場での発言は教員と同等かそれ以上に重い。
 確かに、あの麻生爺さんの「子どもを産まなかった方が問題」発言は、明石市長の発言のように重大犯罪を助長するような、容認するような内容ではなく、この発言だけで1発アウトにするのは厳しすぎるという見解が示されても理解はできる。しかし、彼の問題発言はこの1件に限った話ではなく、昨年だけでも数えるのが面倒なくらい問題発言から謝罪撤回を繰り返している。しかもBuzzFeed Japanの記事「麻生氏「子ども産まない方が問題」発言→「誤解与えた」 と撤回(4年ぶり2回目)」の見出しだけを見ても分かるように、彼は4年前にも殆ど同じ内容の発言を行い「誤解を招いた」と釈明している。つまり、昨年何度も問題発言と撤回を繰り返したこと、同じ問題発言を複数回繰り返していることから、麻生爺さんは誤解を招いたとも思っていないし、口だけ謝罪・反省をするだけで、実際は反省もしていなければ謝意もないということは最早明白だ。この状況で「麻生氏を大臣に起用するメリットもある」なんて言われても、それは極端に言えば、
 万引きを繰り返す人だけど、金儲けは上手いから雇っておこう
みたいな話だ。 果たしてそんな話に納得できる人がどれほどいるか疑問だし、万引き常習者を雇っていたら企業全体の印象悪化するのと同様に、雇っているのが国なのだから、国全体の印象が悪化するのは間違いない。麻生爺さんを大臣に据える国、政権や与党がそれを続けても疑問を呈さない国民性の国ということは、日本人には差別・偏見を容認する人が多いという事にもなりかねない。つまり日本は先進国とは言えないという事にもなりかねない。


 あの爺さんは問題発言を指摘されるとすぐに「撤回」すると言う。発言の撤回とは一体なんだろうか。一度口から出した発言は、なかったことにはどうやってもできない。つまり発言の「撤回」というのは単なるポーズでしかない。これだけ問題発言から撤回を繰り返しているということは、あの爺さんは問題発言をしても撤回すれば許されると思っている、という事なのだろう。
 SNS上でも、不備・配慮のなさ・あからさまな偏見・差別などを指摘されると、投稿を非公開にしたり削除したり、アカウントごと削除するような人が少なくない。中には批判されることを承知で所謂捨てアカを、過激な投稿の為に作って問題のある投稿を行う人もいる。そんな風潮を麻生爺さんのような政治家が煽っているのか、そんな状況を見て麻生爺さんのような政治家が真似るのかは定かでないが、相互に影響を与えている恐れは否めない。
 また、不適切な投稿をSNSの運営者に報告した際に、運営者は「規定に違反している投稿の為削除しました」と、問題のある投稿を削除するが、問題投稿の削除は本当に状況改善に役立っているのだろうか。勿論運営者が問題投稿を繰り返すアカウントに利用停止処分を科すことは知っているが、同じ人間が新規アカウントを取得して同様の投稿を繰り返すようであれば何の抑止にもならない。個人的には、問題のある投稿を削除するのではなく、問題のある投稿であることを明確に示した上で投稿を残す方が、「何が問題行為で何が問題行為でないか」が分かる為、抑止には効果があるのではないかと考える。
 例えば、2/2の投稿で示したように、個人的にはSNSの「嫌がらせ・ヘイトスピーチ」に関する判断基準の甘さに強い疑問を感じているが、問題のある投稿であることを明確に示した上で投稿を残すことには、運営側の判断基準がどんなものかを理解するのに役立つ側面もある。運営側はそれによって判断基準に対する批判を受けるのを避ける為に、不適切な投稿は削除するという対応をしている側面もあるのかもしれない、とも感じる。

 公の発言・主張はネット内外に関わらず、撤回することなどできないのに、あの爺さんは軽々しく撤回すると言うし、ネット上では問題を指摘された本人や、場合によっては運営者が次々と一度された主張をなかった事にしていく。人間の歴史は成功も失敗も含めて記録を残すことで積み上げられてきた筈だが、昨今の公文書の隠蔽・改ざん・不都合なものの廃棄、ネット上のデータの刹那的な側面を見ていると、データの電子化によって紙などのアナログなデータよりも膨大なデータを積み上げられるようになったはずなのに、特定の者が都合のよいデータと都合の悪いデータを恣意的に分けて取捨選択していこうとすることは、デジタルだろうがアナログだろうが変わらない、というか寧ろ情報のデジタル化によってその傾向が深刻化してしまう恐れすらあるのではないかと感じる

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

フランス人権宣言から230年、未だに続く搾取

 これは「 Karikatur Das Verhältnis Arbeiter Unternehmer 」、1896年ドイツの、 資本家が労働者を搾取する様子を描いた風刺画 である。労働者から搾り取った金を貯める容器には、Sammel becken des Kapitalismus / 資本主義の収集用盆 と書かれている。1700年代後半に英国で産業革命が起こり、それ以降労働者は低賃金/長時間労働を強いられることになる。1890年代は8時間労働制を求める動きが欧米で活発だった頃だ。因みに日本で初めて8時間労働制が導入されたのは1919年のことである( 八時間労働制 - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。