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「真摯に受け止める=無視する」、県民投票結果の無視の先にあるもの


 玉城沖縄知事は3/1に首相官邸を訪問し安倍首相と会談を行ったそうだ。BuzzFeed Japanの記事「安倍首相の「辺野古移設」つづける考えに、玉城デニー知事と大学院生が会見で抗議」によれば、玉城知事は官邸を訪れただけでなく、米大使館でジョセフ ヤング公使とも面談したそうだ。この2つの会談は、2/24に行われた沖縄の県民投票の実施の為に定められた条例の、
 いずれかの投票数が投票資格者の総数の4分の1に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない(条例第10条第2項)と定められており、その結果を知事が内閣総理大臣及びアメリカ合衆国大統領に対し通知する
という規定と、投票の結果、普天間基地の辺野古移設に反対する票が7割にものぼったことに基づいて行われた。


 昨日の投稿や、2/21の投稿では、日米首脳会談と拉致問題に関する安倍氏の言動に感じたネガティブな既視感について書いた。昨日の沖縄県知事・首相の会談については、様々なメディアが報じているが、時事通信の記事「安倍首相と玉城沖縄知事、溝埋まらず=「辺野古反対」県民投票めぐり」によると、玉城知事が「直接示された民意は何より重く、尊重されなければならない」 と工事の中止を要請したのに対して、安倍氏は、
 県民投票の結果は真摯に受け止めながら、一つ一つ負担軽減に向けて結果を出していきたい
 普天間の危険な状況を置き去りにするわけにはいかない。もはや先送りできない
と述べたそうだ。
 これは県民投票の翌日に安倍氏が示した見解と全く同じだ(2/25の投稿)。確かにそれも既視感であるには違いないが、ほんの1週間前と状況は殆ど変わっておらず、同じ話を繰り返すことはある意味で自然だろう。しかし同じ話を繰り返したのは今回が初めてではない。11/8の投稿でも触れたように、安倍氏は、2018年9月に行われた沖縄県知事選の結果、辺野古移設反対を掲げて当選した玉城知事と10/12日にも会談しており、その中でも
 県民の気持ちに寄り添いながら、基地負担軽減に向け一つ一つ着実に結果を出す
と述べている(ロイター/共同通信の記事)。これは明らかに好ましくない、というか強く懸念を示すべき既視感だろう。
 「安倍氏は以前からの方針を踏襲したのだけなので、同じことを言うのは当然」などという人もいるかもしれない。しかし、辺野古移設反対を掲げた知事を選んだことで既に沖縄の民意は示されていたものの、一部で「県知事選の争点は基地問題だけではなく、明確な沖縄の民意とは言えない」という人がいたが、今回の県民投票は普天間基地の辺野古移設の是非に関してのみでの投票であり、安倍氏は「県民の気持ちに寄り添う」という自らの言説を反故にしている、という指摘から確実に逃れられない。また「投票の結果を真摯に受け止める」などとも言っているのに、工事の一旦中止すらしないようでは、県民の気持ちに寄り添っているとも投票結果を真摯に受け止めているとも言えない。
 このブログではこれについて何度も指摘しているが、ハッキリ言って安倍氏は嘘をついているとしか言いようがない。

 安倍氏は、ことある毎に「真摯に受け止める」という言動を繰り返している。しかし、彼が本当に真摯に受け止めたことが果たしてあっただろうか。自分にはそうは思えない。もしかしたら彼は「真摯にに受け止める(が、受け止めるだけで何かするとは言っていない)」と思っているのかもしれない。
 こんな状況を見てこう思う。
 「真摯に受け止める」という表現は、慣用表現として「勘案する素振りを見せながら無視する」単に「無視する」、転じて「二枚舌を使う」という意味を持つことになった
と。しばしば「どんな政府も嘘をつく」ということが指摘されるが、安倍氏に関しては「福島原発はアンダーコントロール」等を筆頭に、特に森友加計学園問題が取り沙汰されて以降のこの数年枚挙に暇がない。最早平然と嘘をつくようになっている。「真摯な受け止め=無視する、二枚舌を使う」は、安倍氏がその用法での使用を連発しているので、既にほぼ定着している。これは安倍氏が歴史に残すレガシーになるだろう。
 レガシーとは、基本的には単に「遺産」という意味だ。「大いなる遺産」のように肯定的に用いられる場合もあるが、パソコン用語として用いられる場合などは、お荷物になっている「負の遺産」のような意味で用いられる場合もしばしばある。「真摯な受け止め」に安倍氏が裏の意味を作ったことは、明らかに負の遺産だろう。

 因みに沖縄県の民意に対して残念な、ネガティブな既視感のある見解を示したのは安倍氏や日本政府だけではない。前述のBuzzFeed Japanの記事では、ヤング米公使がどのような反応を示したのかについて明確には書かれていないが、時事通信は2/25の記事「米政府、「唯一の解決策」不変=辺野古移設を推進」で、米国務省当局者が
 普天間の継続的使用を回避する唯一の解決策として、日本政府とともに引き続き辺野古への移設計画を推進する
という見解を示したと伝えている。つまり、日本政府だけでなく米政府も沖縄県民が示した民意を「真摯に受け止めた=無視した、理解すると見せかけて無視するという二枚舌を使った」ということだ。日本もアメリカも民主主義国のはずだが、これでは民主主義とは言えないのではないか。民主主義でも共和制でもない北朝鮮が「北朝鮮民主主義人民共和国」という看板を掲げているのと大差ないのではないか。

 安倍氏は憲法に縛られるべき首相という立場にあるにもかかわらず、自ら憲法改正を強く推進しているが、憲法改正の為には国民投票で過半数の賛成を得る事が絶対的な条件である。沖縄県民投票の結果を尊重しない安倍氏が、憲法改正に関する国民投票の結果を尊重するかについて、大きな疑問を抱かざるを得ない。今までの彼を見ていると、憲法改正についての国民投票で反対が多数派になるという結果が出たとしても、
 国民投票の結果は真摯に受け止めながら、一つ一つ憲法改正に向けて結果を出していきたい
などの見解を示すのではないか、つまり国民投票の結果を「真摯に受け止める=無視する」のではないかと思えてならない。
 民意を国の実質的なトップや政府が無視するのは民主主義ではない。それは独裁政権・独裁国家のやることだ。沖縄県民投票の結果を「真摯に受け止める=無視する」ことの先にあるのは、そんな日本の未来かもしれない。勿論日本政府と同様に、政府関係者が沖縄の民意を「真摯に受け止めた=無視した」アメリカにも同様の懸念がある。

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