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重要なのは「政府が誠実に情報を発信するか」よりも「 政府が誠実に情報を発信すると国民が思っているか」


 6/18 22時22分頃、山形県沖を震源とする地震が発生した。ハフポストの記事「新潟県で震度6強。山形、新潟、佐渡、石川県能登に津波注意報が発令「沿岸ではただちに津波が来襲すると予想される」」によると、見出しにもあるように最大震度は6強で、新潟から山形、秋田県南部で揺れが大きかったようだ。高さ1m程度の津波も予想されたが、続報によると津波による大きな被害はなかったようだし、建物等への被害はあったものの、この地震による死者は確認されていないようで、それは不幸中の幸いと言えそうだ。
 J-Castニュース「新潟で震度6強、沿岸で津波注意報 ちょうど1年前に大阪府北部地震」も伝えているように、1年前・2018年6/18は、大阪北部で震度6弱の地震が起きた日だ。更に昨年は、最大震度7を記録し、発電所で被害が出たことによって北海道全体で停電が起きた、北海道胆振東部地震(Wikipedia)も9/6に発生している。また、2016年に起きた鳥取県中部地震(最大震度6弱)や、最大震度が7で、震度6レベルの地震が複数回起きた熊本地震もまだまだ記憶に新しい。そしてなんと言っても、2011年に発生した東日本大震災(Wikipedia)はその規模・被害の甚大さで言えば、ここで挙げた他の地震と比較しても群を抜いており、強烈に記憶に残っている。


 東日本大震災の被害があまりにも甚大過ぎて、他の地震はそれ程でもないと感じてしまう自分がいる。熊本地震や北海道胆振東部地震の被害もかなり大きかったが、それでも東日本大震災に比べれば「まだ良かった」と、同じ様な発言を公の場でしたことで失職した大臣と似た感覚に陥ってしまう。東日本大震災以前は、震度4-5と言えば大きな地震という感覚だったが、昨今はどうも「震度5程度か」などと思ってしまいがちだ。流石に震度6と聞くと大きな地震と感じるが、以前は耳にすることが殆どなかった震度7の地震が、2010年代には複数発生している所為もあって、「震度6なら…」みたいに甘く捉えてしまう部分も少なからずある。
 自分の中にはどうも東日本大震災以前、東日本大震災以後のような、東日本大震災以後大きな地震が増えているような感覚があるが、Wikipediaの地震の年表 (日本)を見てみると、決して前後に大きな差があるとは言えない。2000年代と2010年代を比較してみると、確かに震度7クラスの地震は2010年代の方が多いようだが、2000年代にも新潟県中越地震では震度7を観測しているし、主な地震の発生件数についても、倍増のような大差があるは言えない。つまり状況はそれ程以前と変わっていないのに、東日本大震災の被害が余りに大きかった為にバイアスがかかってしまい、他の地震が大したことないように感じられているのだろう。
 これはある種の「慣れ」とも言えそうだ。人間が最も失敗しやすいのは、ある程度慣れてきた頃だと自分は思っている。人間はどんな状況・環境にも慣れてしまう生物だ。そして慣れるとどうしても傲りや慢心という面が出てくる。それを戒める為に、日本には「勝って兜の緒を締めよ」ということわざがあり、英語では"Don't halloo till you are out of the wood."「森を出るまでは歓喜の叫びをあげるな」という慣用句があるそうだ。震度5なら…とか、震度6程度で…なんて感覚は、防災の面でも被災地への支援の面でも決して好ましいとは言えない、慢心が引き起こす感覚と言えるのではないか。


 6/18の地震発生後、テレビ局は放送の予定を変更したり、画面に帯を付けて地震に関する情報を発信したりしていた。幸い自分の住んでいる地域に大きな影響はなく、何となくそれを見ていたのだが、そうしている内に、
 息をするように嘘をつく首相が束ねる、隠蔽・改竄・捏造・不適切な文書の廃棄・そもそも記録を残さない行為が横行する現政権下で、東日本大震災や原発事故が起きていたら…
と考えていた。因みに首相や現政権にまつわる嘘に関しては、4/2の投稿でまとめている(2019年度第1四半期分)。安倍首相がしきりに「悪夢」と野次る当時の民主党政権では、現在の安倍自民政権で発覚しているような隠蔽・改竄・捏造・不適切な文書の廃棄・そもそも記録を残さない行為が横行していたという話は聞こえなかったが、その民主党政権でさえ、原発事故発生直後にはメルトダウンと言わずに「炉心溶融」という馴染みのない表現を用いたり、事故に伴う放射能の拡散についても「直ちに人体に影響はない」などと表現していた。ということは、隠蔽・改竄・捏造・不適切な文書の廃棄・そもそも記録を残さない行為が横行する現政権下では、当時の民主党政権移譲に誠実性な情報発信など期待できない。
 今回の地震の直後に、菅官房長官や東電は「柏崎刈羽原発は異常なし」 と情報を発信したが(ハフポスト/朝日新聞「新潟で震度6強、津波10cm観測。柏崎刈羽原発は異常なし」)、果たして本当に全く何も異常はなかったのだろうか。現状から判断すれば、致命的な何かが起きた形跡はなさそうだが、今の政府や東電ならば、致命的な事態ではないからと問題を隠蔽しかねない。寧ろ「致命的な事態ですら隠蔽を画策する恐れもあるのではないか」と考えてしまう。

 何よりもまず、常日頃から都合の悪いことを隠蔽・改ざん・捏造する政府が、緊急性の高い状況でだけはまともに情報を発信する、とは全く思えない。昨日の投稿で触れたように、現政府は金融庁が示した年金に関する報告書について、
 報告書は世間に著しい誤解や不安を与え、政府の政策スタンスとも異なることから、正式な報告書としては受け取らないと決定し、政策遂行の参考とはしないとしたところであり、報告書を前提としたお尋ねにお答えすることは差し控えたい
とする答弁書を閣議で決定した、つまり、一体どんな誤解が生じているのかを丁寧に説明をすることで不安を解消するように努めることを放棄し、まるで臭い物に蓋をするかのように、「質問には答えない」という態度を示した。言い換えれば彼らは、

 「都合の悪いことは認めず、なかった事にする」方針


を明確に示した。自分達にとって都合の悪い報告書をなかったことにして隠蔽しようとする政府が、原発再稼働を推進している状況で、万が一再び事故が発生したとしたら、果たしてそれを適切に、ありのままに情報公開するだろうか。彼らは「原発事故報道は世間に著しい誤解や不安を与え、政府の政策スタンスとも異なるから、事故発生を前提としたお尋ねにお答えすることは差し控えたい」と言いだすのではないか。そんな意向を示す事自体「隠蔽します」と言っているのに他ならないから、何も言わずにその方針でことを進めようとするのではないか。

 
隠蔽・改竄・捏造・不適切な文書の廃棄・そもそも記録を残さない行為が横行する現政府だが、百歩譲って、緊急事態には国民の安全を第一に考え、誠実な情報発信を行うだろうと仮定する。しかし、確かに政府が誠実な情報発信を行うか否かも重要なことではあるが、それ以外に重要なのは、
 政府が誠実に情報を発信すると国民が思っているか
の方だ。情報の正確性というのは、特に緊急時は、即座に確証を得る事が難しく、情報源の普段の振舞いからその信憑性を判断しなければならない場面が生じる。
 例えば熊本地震の際に、ツイッター上で「動物園からライオンが逃げた」という嘘の投稿がされ、信じてしまう人が多く出るという事態が起きた。当時自分には、「出所が定かでないネットの情報には嘘も多い」という判断基準を持っていた人は冷ややかに見ていたが、緊急性の高い状況下だったので、万が一という感覚の場合も含めて信じてしまう人がいたように見えた。この件は、熊本市長が「熊本市から発表する震災関連の情報は、熊本市HPの情報が公式なものです。これ以外の発表は熊本市からの発表ではありませんのでご注意下さい」とツイッター上で発信するなどして沈静化に向かったが(BuzzFeed Japan「「発信者が悪魔になることもある」Twitterで“デマ潰し“に奔走した熊本市長、その心得」)、万が一この市長や熊本市が、市民から信頼を失っているような状況で地震が発生していたらどうなっていただろうか。そのような情報発信をしても「市長や市の言う事なんて信用できるかよ」と感じる人も少なくなかっただろうし、デマを早期に打ち消すことは出来なかったかもしれない。
 熊本地震は2016年のことだが、2017年に熊本市議会では、子どもを連れて議会に参加しようとした女性議員に対して処分を科したり、子どもを議場に入れないような条例を設けたりという事が起きている(2017年12/12の投稿)。これは明らかに世界的な男女同権・育児に対する社会的な協力の潮流に反する。事実として海外では女性議員が子どもを連れて議会に参加する様子はしばしば見られるし、ニュージーランドでは女性首相が産休を取得したりもしている。これは市議会の対応であって、市長や行政機関としての市の対応ではないが、市議会とは市の運営と密接に関わった機関であることに違いはなく、当時は「こんなことなら熊本地震に寄付しなきゃよかった」というニュアンスの声も聞こえた。この件と地震の順序があべこべだったら、果たして市長の情報発信が充分に受け入れられていただろうかと不安になる。

 つまり、現政権が緊急性の高い状況で正確な情報を発信するかどうか以前に、
隠蔽・改竄・捏造・不適切な文書の廃棄・そもそも記録を残さない行為が横行している状況事態が由々しき事態であって、そんな状況下でもし万が一東日本大震災規模の地震や津波による被害、原発事故レベルの緊急事態が発生したら、2011年当時以上にデマや流言飛語が横行する恐れがある。最近は地震が起こる度に「外国人窃盗団が暗躍する」というデマが流れる。デマや流言飛語を打ち消すのに最も有効性が高いのは、信頼のおける機関が「それはデマである」と情報を発信することだが、最も信頼のおける機関でなければならない行政・政府内で、これ程までに隠蔽・改竄・捏造・不適切な文書の廃棄・そもそも記録を残さない行為が横行する事態になっていたら、しかもあからさまに都合の悪いことはなかった事にする方針を示していたら、たとえ真実を発信しても信用して貰えないだろう。つまりイソップ童話の一つ「羊飼いと狼」所謂オオカミ少年のような事が起こりえる。


 BuzzFeed Japanは先週、HPVワクチンをはじめとしたワクチン接種に関するシリーズ記事
を掲載していた。これらの記事は、小学生から大学生の子を持つ40代の母親4人+記者で行われた座談会を文字起こしした形式の記事だ。
 シリーズを通して感じたのは、これまで地震に関する情報とデマについて論じてきたことと同様に、政府への信頼感、ワクチンの件で言えば特に厚労省への信頼感が、裁量労働拡大でのデータ捏造・隠蔽、もうかれこれ10年以上も続く年金データのいい加減な取り扱いの問題、担当省庁なのに障害者雇用を水増しし、しかも故意性がなかったとして誰も責任をとらなかったこと、更には勤労統計に関しても不正が見つかったことなどで下がってしまっているので、いくら正しい情報が発信されても「厚労省や政府のことだから…」となってしまっているのではないか、ということだ。それ以外でも、複数の薬害訴訟や優生保護法下での強制不妊手術に関する訴訟などで、頑なに責任を認めようとしない、責任逃れを重視しているようにしか見えない厚労省や国の姿勢も、ワクチンに関する正しい情報が広がる妨げになっているように思う。
 記事の座談会参加者にも同じ様な感覚を持つ人がいたようで、第4回には
記者:2013年6月に積極的な勧奨をストップして以来、この状態が6年続いているからです。安全性を証明する研究が海外だけでなく日本でも出ているのに、再開されないんです。産婦人科医も小児科医の団体も、早く積極的勧奨を再開してほしいとなんども要望しているのに、まだ一般の理解が進んでいないという理由でされない。政治家も動かない。

Cさん:そういうことがあると不信感が募りますよね。なんでそんな証明されているのにすぐやらないの?って思う。今、政治がらみでも、いろんな情報を隠したりするのが不信感を呼んでいるから、「本当は危ないんじゃないの?」って思ってしまう。
というやり取りがある。 Cさんは第3回でも「正直、あまり政府や行政の言っていることが信じられない」と言っている。付け加えておけば、第4回では、政府だけでなく一部のメディアが必要以上にワクチンに関する懸念を煽って報道した影響もあるのではないかという話になっている。


 つまり、政府内で隠蔽・改竄・捏造・不適切な文書の廃棄・そもそも記録を残さない行為が横行する事態は、何事にも勝る(劣る?)事態であって、たとえ現政権が隠蔽・改竄・捏造・不適切な文書の廃棄・そもそも記録を残さない行為などの不祥事を主導していなかったのだとしても、それが現実に起きているというだけで、そんなことを許したというだけで、政権を運営する資質が著しく欠けていると言える。
 にも拘らず、日本の国民は2017年の衆院選で与党・自民党を大勝させ、現政権を信任してしまった。もし万が一今夏の参院選でも与党が選挙に勝利するような状況になるのだとしたら、日本人は自らの首を絞める選択をしたことになるだろう。緊急性の高い状況になってから「政府はまともに情報を提供しようとしない」と嘆くのもいいだろうが、率直に言って、それを「後の祭り」と呼ぶ。どう考えても「転ばぬ先の杖」を用意するのが賢明な選択だ。現政権を再び追認するのは杖を用意せずに転ぶのを待つのにも等しい。勿論政府が転ぶのを待つという意味ではなく、自分達(国民)が十中八九つまずくだろうに、対策もせずにただただ待つ選択をするという意味である。

 皮肉を言わせて貰えば、年金にしろ少子化にしろ、問題が起きる事は1980年代には既に分かっていたはずなのに、それに対して対策をせずに、ただただ経済性を追い求める政権を選び続けたのも国民であり、そのつけが回ってきているだけで、政治にのみ問題があるのではなく、国民全体の単なる自業自得であるとも言えるのかもしれない。

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