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付和雷同:自分にしっかりした考えがなく、他人の意見にすぐ同調する様


 自分が若い頃、少なくとも1990年代、恐らく第一次韓流ブーム頃、つまり00年代の前半頃まで、所謂嫌韓は明らかに下火だった。在日朝鮮人に関連する問題は戦前から連綿と続いているし、全くそんな認識はなかったとは言わないが、少なくとも、あからさまに嫌韓を主張する人は2010年代程多くなかった。しかしそれでも、ほんの数年前までは、在特会、川崎や新大久保等での嫌韓デモなどの動きもあったが、ごく一般的な人が、日常会話の中で平気で嫌韓に触れることはあまりなく、2010年代に入って嫌韓が盛り上がり始めたと言っても、その動きの大部分はネット上だった。しかし、そんな空気がこの数か月で一気に変わりつつあると感じている。
 自分は仕事柄多くの職人と接するのだが、昨今の日韓対立の激化の結果、何かにつけて「韓国が悪い」「韓国人は○○(ネガティブな内容)」という発言を日常的にする者が明らかに増えている。もしかしたらこの傾向は自分の周りだけかもしれないが、自分が接しているのが特定の同僚ではなく、数日から数週間単位で入れ替わる複数の職人であることを考えると、世間一般的にも似たような傾向があるのではないか、と思えてならない。


 仕事に徹っし聞き流すという対応を否定する気はないが、自分はそのような話を黙って聞いていられない性質なので、「韓国はー」と一括りにするのはよくない。日本人にも様々な人がいるように、韓国人にも多種多様な人がいる、ということをまず言うし、韓国のGSOMIA破棄について「韓国政府は大人げない選択をした」とか、同じニュアンスをもっと悪意を込めて主張する者には、では日本の輸出優遇措置撤回・ホワイト国除外は大人げない選択ではないのか?と問う。その時点で多くの者は、日本の措置は概ね妥当だと反論してくるが、ではなぜアメリカやG7に属する国は、日本同様に韓国には安全保障上の問題があるとし、日本の対韓姿勢に追従しないのか? 日本の措置が妥当だと周辺各国が認めるなら、それらの国も日本と同様の対韓政策で韓国に懸念を示している筈、と問うと大抵反論できなくなる。
 つまり、彼らの多くは、政府や垂れ流されるメディア報道、特にテレビ番組に付和雷同しているだけと言えそうだ。付和雷同とは、雷のように大きな音がなると、多くのものにそれが響く、のようなニュアンスの表現で、
一定の主義、主張をもたないで、やたらに他の説にわけもなく賛成すること。
という意味だ(コトバンク/精選版 日本国語大辞典)。簡単に言えば、よく考えもせずに流されること指す表現である。


 自分が接する職人の多くは50代以上の男性だ。中には10代-20代もいないわけではないが、その年頃の職人たちには前述のようなことを言う傾向が殆どない。前述のような主張をするのは少なくとも35歳以上という印象だ。若い世代はそもそも政治や国際問題への関心が薄いということもあるだろうが、個人的な印象では、テレビは斜陽と言われてはいるものの、特に40代以上では相変わらずその影響力が強く、年齢が上がれば上がる程、情報ソースとしてテレビの割合はまだまだネットに勝り、その影響でそのような話が日常的に出始めたように思う。
 8/23の投稿や、昨日の投稿でも少し触れたが、テレビ報道は、ワイドショーだけでなく所謂ニュース番組まで含めて、連日韓国政府を批判する方向性の事案ばかりを取り上げ、日本政府の対韓政策に整合性があるかどうかについては殆ど取り上げていない。しかも、昨日の投稿でも取り上げたが、武田  邦彦氏そのまんま東氏、そして彼ら以外にも、民族差別・偏見を平気で口にする人達がテレビに複数出演している。職人の多くは日中ゆっくりテレビを見ていられる環境にないが、彼らの働き方は曜日に支配されているわけではなく平日休みも多いし、昼休みはキッチリ1時間とる働き方なので、休憩時間にテレビに触れる場合も少なくない。また、土日の夜にワイドショー番組を放送している局もあり、やはり年齢が高くなればなる程、テレビの影響はまだまだ強いと言えそうだ。

 前述の武田 邦彦氏のテレビでの発言について、当該番組は当初「番組中に司会者や出演者が否定していますし、番組、局としての考えではありません」とし、特に問題視しない姿勢を示していたが(「韓国女性が入ってきたら暴行しにゃいかない」。情報番組での発言、放送局の見解は。BuzzFeed Japan)、昨日・8/30、一転して番組ないで当該発言について謝罪した(情報番組が一転して謝罪。「韓国女性が入ってきたら暴行しにゃいかない」発言で。BuzzFeed Japan)。
 率直に言って「後の祭り」とはこのことだろうと感じる。当初問題視しない姿勢だったにもかかわらず、思った以上の批判が起こった為に慌てて態度を変えたようにしか思えないし、何と言っても、武田氏の発言から昨日の謝罪の間にも、そのまんま東氏を出演させ、あまりにもひどい発言を放送しているからだ。番組が当初示した見解「あくまでも出演者の見解であり、番組・局としての考えではない」が全くの間違いというつもりはない。しかし、武田氏やそのまんま東氏の発言によって、日本に住む在日朝鮮人や韓国人がどれだけ肩身の狭い思いをするかを、番組や局は考慮したのか。他の出演者や司会者が否定したと言うが、番組側の最初の態度を見ていると、番組自体は積極的に彼らの発言を咎めもせず、そして謝罪させることもなく、また再び彼らを出演させ、同じ様な発言を繰り返させるようなことになっていたのではないか、としか思えない。
 テレビがネットの台頭によって影響力を弱めていることに違いないが、前段で示したように、40代以上への影響力は今もネットに勝ると言っても言い過ぎではないだろう。テレビ関係者は、多様な主張を放送に乗せることが放送法で定められた中立性を守ること、のように考えているのかもしれない。しかしもしそれが正しいなら、例えば子どもに体罰を与える権利を認めろとか、女性や外国人を差別する権利を否定することはできない!などのような、明らかに整合性・合理性に欠けた主張も取り上げなければ中立を保てないことになってしまう。自分の目には、武田氏やそのまんま東氏の発言は、あたかも自分の主張は合理的だと言いたげだが、本質的には女性や外国人に対する偏見と差別そのもののようにしか見えない。


 日本人には権威に弱く、また性善説で物事を考える傾向が少なからずある。5/21の投稿でも書いたことだが、テレビ自体も権威的な存在だし、そこに大学教授や元知事・国会議員などの肩書を持つ者が出演していると、それだけであたかも合理性があるかのように認識してしまう人というのも少なくない。たとえ他の演者や司会者が否定しいていたとしても、賛否両論あるが検討に値する話ではあるという認識を、一部の付和雷同する人の間に生み出しかねない。それが差別的・偏見であってもだ。
 1994年にアフリカのルワンダで大虐殺が発生したが、そのような事態に至った要因の一つに現地ラジオ局の扇動があったという話がある(ルワンダ虐殺 - Wikipedia #メディア・プロパガンダ)。戦前の日本でも、当時の主要メディアだった新聞やラジオが検閲され、政府や軍を批判できなくなった結果、国威発揚に利用されて、若しくはメディア側が忖度して進んで加担し、戦争を推進する空気が作り上げられ、政府や軍に反して反戦・非戦を主張すれば非国民とレッテルを貼られるような空気も同時に生まれ、その結果日中戦争・太平洋戦争へ突入し、多くの若者が戦争に駆り出さ戦死し、太平洋戦争末期は本土も空襲に晒されて市民にも多くの死傷者を出すという大惨事を招いた。そのようなメディアによるプロパガンダが悲劇を生んだのは、ナチス政権下のドイツも同様だ。
 報道機関が適切に役割果たせなくなれば、再び不幸な社会が現実になるかもしれない。勿論報道機関だけでなく、市民の一人ひとりがそうならないように不断の努力を続けなくてはならないが、少なからず大きな影響力を持つメディア、特にテレビの責任は確実に大きい。テレビ関係者には中立=公正ではないことを肝に銘じて貰いたい。確かにどんな意見も汲み上げるのが中立という定義もあるだろうが、民主主義が単純な多数決ではないのと同様に、汲み上げる必要がない、取り上げるのが妥当とは言えない意見というのは確実に存在する。
 メディア関係者、特にテレビ関係者には、中立且つ公正であることを是非重視して紙面・記事・番組づくりをして貰いたい


トップ画像は、Ron Rev FenomenoによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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