日本では、ポツダム宣言受諾を公表した日・玉音放送で天皇が「戦争をこれ以上続けない」と述べた日、つまり8/15が終戦の日とされている。しかし国際的には、太平洋戦争の終結は、大日本帝国政府の代表・重光 葵外務大臣とマッカーサー連合国最高司令官が、東京湾の戦艦ミズーリ艦上で連合国に対する降伏文書(ポツダム宣言)に調印し、それが調印と同時に発効した9/2とされている。日本では9/2は何でもない日だが、国外では9/2を「対日戦勝記念日」としている場合が多い(Wikipedia)。
この終戦・日本の敗戦に関する日本と諸外国の18日間の認識の差は、北方領土問題について日露間の主張が食い違う理由の一つにもなっている。その北方領土について、丸山 穂高議員が「戦争しないとどうしようもなくないですか?」と、北方領土は戦争しなければ取り返せない、という趣旨の発言をしたことは記憶に新しい(5/14の投稿、5/16の投稿)。その丸山氏は、当時「配慮が足りなかった」という反省の弁を示していたにもかかわらず、8/31に再び「竹島も本当に交渉で返ってくるんですかね?戦争で取り返すしかないんじゃないですか?」とツイートした。
政府もまたまた遺憾砲と。竹島も本当に交渉で返ってくるんですかね?戦争で取り返すしかないんじゃないですか?— 丸山 穂高 (@maruyamahodaka) August 31, 2019
朝鮮半島有事時を含め、「我が国固有の領土」において自衛隊が出動し、不法占拠者を追い出すことを含めたあらゆる選択肢を排除すべきではないのでは?
〉政府、韓国議員団の竹島上陸に抗議 https://t.co/WOEGEn26CW
5月の発言によって、彼は当時所属していた日本維新の会を離党することになった。しかし7月の参院選後、過激な主張で物議を醸しているNHKから国民を守る党(8/14の投稿)・立花氏からのラブコールを受け入れ、同党の所属になった。立花氏らは「悪名は無名に勝る」を実践し、注目さえ集まれば発言の内容は厭わない姿勢の人物である。彼は認めないかもしれないがそのような人物だと断言させて貰う。丸山氏も、批判が起こることを分かった上で当該ツイートをしたのだろう。
彼にしてみれば、
のように記事化されることは願ったりかなったりなのだろう。しかし、だからと言って、彼のツイートに1万を超える「いいね」があることを勘案すれば、放っておくわけにもいかないというジレンマがある。
丸山氏の「戦争して取り戻す」発言は、ある意味で客寄せ用のパフォーマンスなのだろうが、しかし、戦争の実状を彼が適切に認識しているのだとしたら、冗談でもそんなことは言えないだろうから、彼は戦争とは何かを認識出来ていないと言わざるを得ない。
1990年に勃発した湾岸戦争では、米軍による空爆の様子がまるでテレビゲームのように映し出されて報道されたことなどにより、当時テレビゲームの象徴だった任天堂のゲーム機・NES(日本名はファミリーコンピューターだったが、海外向けはニンテンドーエンターテインメントシステムの略でNESと名付けられた)に因んで、一部でNintendo War/ニンテンドー戦争などと呼ばれた(Wikipedia)。恐らく丸山氏の戦争のイメージも、
概ねこんな感じなのだろう(画像は「システムソフト・アルファー,シリーズ最新作「大戦略パーフェクト3.0」を3月14日に発売 - 4Gamer.net」より)。
ゲームならば誰も死なないし物理的な被害も生じない。しかし実際に戦争になれば、双方の戦闘員には確実に死傷者が出る。そしてほぼ確実に非戦闘員・一般市民にだって被害者が出る。近代以降の戦争では概ね戦闘員よりも非戦闘員の犠牲が多い。その認識があれば「領土問題は戦争で解決するしかない」なんて、口が裂けても言えない筈だ。丸山氏には一度でいいのでシリアの紛争地域などを自らの目で実際に視察して貰いたい。その気概もないなら、彼は戦争云々などと軽はずみに述べる立場にない。
丸山氏については酒癖の悪さ、中にはアルコール依存症を疑う声まであったが、もしかすると彼は、常に酩酊状態なのかもしれない。4/1の投稿で、マリファナを吸っていないのに、まるで吸っているかのような発言・発想をする人が存在するという話を書いた。 アルコール依存症云々という話ではなく、アルコールを摂取せずとも常に酩酊状態のような発言や行動をする人物というのも確実に存在する。丸山氏もその手の人のようで、どう考えても彼が国会議員にふさわしいとは思えない。
「テキサスで再び銃撃事件、5人死亡 容疑者は警官に撃たれ死亡か【UPDATE】 | ハフポスト」や、「CNN.co.jp : 高校のアメフト試合で銃発砲、10人負傷 米」など、アメリカでの発砲・銃乱射事件は頻発に報じられている。トランプ大統領が「過激なゲームが銃犯罪を誘発している」かのような発言をしたことについて、8/13の投稿「人を殺しているのはゲームではなくて実銃だ」で書いた。ゲームが銃乱射の大きな要因ならば、一応今もゲーム大国である日本やオンラインゲーム先進国・韓国でも、アメリカと同じかそれ以上に乱射事件が深刻化しているはずだ。しかし少なくとも日本では、乱射事件はおろか銃犯罪すら滅多に起きない。それは何故かと言えば、日本の社会にそもそも銃が殆ど存在していないからだ。勿論日本でも刃物等を用いた暴力事件はしばしば起きる。しかし刃物による暴力沙汰は、概ね銃による事件程酷い被害にはならない。
人間は愚かな存在で、武器があれば使ってしまう恐れがある。銃が犯罪を抑制するとか核が戦争を抑止するなどの、所謂抑止論の危険性はそこにある。銃がなければ少なくとも銃犯罪は起きない。核がなければ核戦争は起きないし核の被害を懸念する必要もなくなる。
武器を持つと使ってしまう恐れが生じるという人間の愚かさを教訓として、日本は戦後、
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。という条文を含む憲法を定めた。太平洋戦争末期に2つの原子爆弾を投下された唯一の被爆国であること、更に、1954年に起きた日本第三の被爆・第五福竜丸事件(Wikipedia)などもあり、核兵器に関しても、1967年に「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則(Wikipedia)を表明している。また、1960年代から70年代にかけて、その時々によって定義は変遷しているものの、国際紛争の当事国やおそれのある国などへの武器輸出を禁じた武器輸出三原則(Wikipedia)も表明し、基本的に日本は武器を持たないことと、武器を輸出すること、つまり軍事兵器で利益を上げることなどを是としない国だった。武器を持たない国なのだから輸出することがあり得ないのは当然だし、核兵器を持たないのも作らないのも当然だろうが、愚かな者が詭弁を振りかざし、日本が再び戦争・紛争の当時者になる恐れを勘案して、敢えてそのようなことが強調されたはずだ。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
しかし、2010年頃から武器輸出三原則に関しては見直し論が台頭し、現在も続く安倍政権下で2014年に、規制を緩和する方向性の防衛装備移転三原則(Wikipedia)に改められた。現政権はつい先日も「非正規労働者」という呼称を使うなという指示を出す(東京新聞:「非正規と言うな」通知撤回 本紙の情報公開請求後に)など、何かと呼称の変更で誤魔化す傾向が強い。例えば以前にも、就職氷河期世代を人生再設計世代と呼ぶなどの方針を示している(就職氷河期:就職氷河期世代を「人生再設計世代」と言い換え 諮問会議の“上から目線”に批判 - 毎日新聞)。武器を防衛装備と呼び変えたのもその一つと言えるだろう。前段で「愚かな者が詭弁を振りかざし」という表現を用いたが、それが何を指すかは誰でも想像できるはずだ。
日本国憲法9条が制定された背景や、その理念を考えれば、そんな言葉遊び・詭弁が大好きな政権が主導する憲法の改定などあり得ない。彼らは常に憲法「改正」と呼称しているが、中身によっては改正でなく改悪にもなり得る。改正という呼称も彼らの常套手段である言葉遊びの一つだろう。
また、丸山氏のような、軽はずみに「戦争するしかない」と言い出す政治家がいる限り、憲法9条には確実に存在意義がある。しかも丸山氏の発言は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条文に明らかに抵触する内容だ。それは小学生でも分かることだ。
皮肉を込めて、そしてかなり強引に好意的に受け止めれば、丸山氏は「戦争するしかない」と発言することによって、逆説的に日本国憲法9条の意義を証明してくれたのかもしれない。しかしながら、彼の発言は明らかに憲法違反である。憲法を遵守しなくてはならない国会議員が憲法を軽んじ、抵触する発言をするなら、誰かがその責任を追及しなくてはならない。彼の責任を率先して追及するべきは、まず彼らの同僚たる他の議員たちだ。それをしなければ、他の議員も丸山氏の発言を容認したと言われかねない。次に彼を追及すべきは、三権分立の下で、彼が所属する立法府と互いに牽制・抑制し合う存在の行政府・司法府だ。つまり政府・首相、最高裁判所などがその立場にある。しかし、 5月の彼の発言についても、憲法に抵触するという明確な指摘はそれらのどこからも示されていないし、2度目である今回の発言についても、今のところどこからも積極的な指摘はない。
付け加えておけば、勿論そんな状況の異様さを強く指摘しないメディアや国民・有権者にも問題はある。
最後に言っておきたいのは、
ということである。丸山氏の憲法に抵触する発言を積極的に指摘し、厳正に対処しない立法府・行政府・司法府の下で、憲法に関する適切な議論など望める筈がない
トップ画像は、Stefan KellerによるPixabayからの画像 を使用した。