前外務大臣/現防衛大臣の河野 太郎氏は「誰かに似ている」と以前から思っていたのだが、それが誰なのか分からなかった。先日友人とその話になり、「くしゃおじさんでしょ?」と言われて「ああそうか」と納得させられた。クシャおじさんとは、1970年代にテレビなどで活躍した、顔をクシャっとさせる一発芸を披露していた浪曲師なのだそう(クシャおじさん - Wikipedia)。自分はリアルタイム世代ではないのだが、何故かその記憶があった。
それを聞いていた別の友人が「クシャおじさんに似てるなんて失礼なことは言わない方がいいのでは?」のようなことを言ってきた。「クシャおじさんに似ている」は何がどう失礼なのだろうか。それはクシャおじさんの容姿を嫌悪しているから生じる発想ではないのか。例えば、「河野 太郎はくしゃおじさんみたいで不細工」と言えばそれは失礼だろうが、「クシャおじさんに似ている」が失礼だというのは、それこそがクシャおじさんに対して失礼なのではないか。因みに似たような話は、2018年1/8の投稿「「キャバ嬢みたい」は失礼?」でも書いている。
トップ画像は、Google画像検索「クシャおじさん」 の結果を使用した。クシャおじさんで検索したのにチラホラ河野氏の画像が混じっているのを見ると、自分と同じ様に感じる人が少なからずいるということだろう。こうして見ると、決してそっくりではないものの、やはりその雰囲気には似ている部分がある。
その河野氏だが、9/11の就任後の会見で、記者の「大臣はかつて脱原発の考え方をお持ちでしたが現在は?」という質問に対して、
【脱原発が~】共同通信・石井暁「大臣はかつて脱原発の考え方をお持ちでしたが現在は?」— Mi2 (@mi2_yes) September 11, 2019
河野太郎防衛大臣「所管外です」
共同「一政治家として…」
河野大臣「所管外です」
共同「一政治家として…」
河野大臣「結構です」
共同「何で答えない」
河野大臣「閣僚ですら」
つえー。この記者何なんだ。 pic.twitter.com/wWuQjb7RvP
と述べた。また「河野新防衛相 辺野古「唯一の解決策」 地位協定改定は「所管外」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース」によれば、
日米地位協定についてお伺いいたします。大臣は、かつて、自民党内において、地位協定の改定案の策定等にも関わっていたこともあると思います。外務大臣に就任されてからは、こういった事例を持ち出すことはなくなっているわけですが、改めて、地位協定の改定の必要があるのかどうかということと、課題があるとすれば、どういったところなのかということについてお聞かせください。という質問に対しても、所管外という理由で応じなかったそうだ。
この質疑応答の内容は、防衛省のWebサイト「防衛省・自衛隊:防衛大臣臨時記者会見|令和元年9月11日(水)22:05~22:36」にも掲載されている。
防衛省が掲載している質疑詳細によると、憲法改正は概ね防衛大臣の所管ではなさそうなのに、彼は憲法改正について問われると「所管外だから答えない」という対応ではなく、ほぼゼロ回答ではあるものの、「憲法の改正というのは、国会で議論して発議されるものですから、国会で議論を待ちたいと思います」と答えている。更に「大臣は、外交で得られた経験と人脈を今後、防衛省でどのように活かしていかれるお考えでしょうか」という質問に対しては、
これだけ世の中が国際化している中で、何事も、日本単独ではできないわけですから、そういう中で、色々な国と様々に意見交換、情報交換ができるというのは大事なことだと思っております。また、防衛というのは、外交と表裏一体でありますから、これまで培ってきた人脈というのは、使えるところはしっかりと使っていきたいと思いますと述べている。この発言の中で彼はしっかりと「防衛というのは、外交と表裏一体」答えているのに、地位協定については「所管外だから答えない」とするのは明らかな矛盾である。
日米地位協定は在日米軍に関する取り決めなので日米間の外交にまつわる話だし、在日米軍の地位に関する取り決めなので、日本の防衛政策にも確実に関連する。確かに、地位協定の改定は主に外務省の所管、という認識は正しいだろうが、防衛大臣の所管外という話は妥当か。自分には全く妥当とは思えない。何故なら現在日本の防衛は在日米軍も視野に入れて構築されているからだ。もし、河野氏が「日米地位協定の改定は正式に決まった話ではないので今はまだ防衛大臣の所管外である」と考えているのなら、安倍首相に対しても、「憲法改正は正式に決まった話ではないので、今はまだ総理大臣の所管外であり、彼がそれに言及するのは立場に相応しくない」とも考えているということになりそうだ。しかし彼は、国会で議論して発議されるものという話に留め、首相が積極的に関わるべきでないとは言わない。
このようなことを総合的に考えれば、河野氏は、答えたくない都合の悪い質問については、「所管外」という表現の恣意的な解釈を根拠に応じない、と言っても過言ではないだろう。
9/14に、サウジアラビアで国営石油会社の施設がドローンによる攻撃を受けて炎上した(CNN.co.jp : サウジの石油施設にドローン攻撃、生産半減 フーシが犯行声明)。
この件の報道を見ていて、サウジアラビアは世界でも有数の産油国であり、現在同国の電力はほぼ石油と天然ガスを用いた火力発電で賄われているが、もしサウジアラビアに原子力発電があったなら、事故を起こしたり攻撃を受けたりしたら大惨事になりかねない原子力発電もドローンによる攻撃対象になりかねない、と感じた。それは日本でも同様ではないだろうか。
しかも、つい半年前まで一時的に止まっていた北朝鮮による日本海等へのミサイル発射も、5月から再び活発に行われるようになっている(8/16の投稿)。安倍氏が台風被害への対応そっちのけで組閣に注力していた9/10の早朝にも、ミサイルが発射された(北朝鮮が飛翔体発射、米国と協議の用意と表明から数時間後 - Bloomberg)。隣国が日本の原子力発電所を目標にミサイルを発射する恐れは全くないとは言い難い。なのになぜ防衛大臣は「原発は所管外」などと言えるのだろうか。到底理解できない。
「原子力発電所は所管外」と言う男が防衛大臣に任命されるという状況に疑問を持たない人は、あまりにも政治や国際事情に楽観的・若しくは無関心すぎやしないか。
これまでに、「真摯な受け止め」という表現の陳腐化や、「印象操作」「表現の自由」という表現が有効性を失いつつある状況、「誤解を招いた」の濫用 などについても書いてきたが、ここにきて「所管外」もその仲間入りをしそうな空気が漂っている。
安倍氏が台風被害への対応そっちのけで組閣した新内閣で初入閣を果たし、環境大臣に就任した小泉 進次郎氏は、前環境大臣が前日に「所管は外れるが、思い切って放出して、希釈するほかにあまり選択肢はない。それしか方法がないなというのが私の印象だ」と述べた(第1原発・処理水「放出しかない」 原田環境相が扱い巡り発言:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet)のを前提に、9/11の就任後の会見で、「(汚染水・海洋放出の是非については)所管は環境省ではありません。あれは経産省の小委員会で議論されている過程のことですから、そこは経産省の小委員会でしっかりと議論をしていただきたいと思います」
昨日、小泉進次郎が福島汚染水について語った。— 君に届け!滑稽新聞@byトラ (@akasakaromantei) September 12, 2019
「原田前大臣の発言は個人的見解。大切なファクトは、所管は環境省ではない!あれは経産省」
意外と無責任な男だね
※この人が米国の対日工作機関csisを根城にする売国奴であることは殆どの国民に知られていないが売国で国を壊す危険性は父親譲りである pic.twitter.com/Z4B2yV10Vb
と述べた。 この件に触れた報道は何故かあまり見当たらないが、「閣僚のお粗末な「所管外」発言/政界地獄耳 - 政界地獄耳 - 社会コラム : 日刊スポーツ」でもこれに言及している。
また、新たに復興大臣に就任した田中 和徳氏も9/13の会見で、福島第一原発事故の自主避難者について「復興庁は担当の役所ではない」と発言したそうだ(原発自主避難者「復興庁は担当外」 田中復興相が発言:朝日新聞デジタル)。
田中氏は「所管外/所管ではない」という表現は用いていないものの、話の方向性はほぼ同じである。このように新閣僚3名が似た方向性の見解を示して質問をかわそうとしているのを見ると、事前の勉強会だか打ち合わせだかで、所管外/担当ではないと言えば、答えたくない質問をかわせるというレクチャーがあったのではないか?と感じてしまう。
縦割り行政
という言葉がある。Wikipediaの当該ページで、不条理な役割分担や各省庁の過剰な管轄意識によって行政サービスが非効率に陥る「縦割り行政の弊害」を批判する論調で用いられると説明されている通りの表現だ。この新内閣の「所管外」だとか「担当ではない」という話はまさしく縦割り行政の権化のようなものではいだろうか。縦割りを言い逃れの為に利用する、一体そんな閣僚を任命する者が長を務める内閣の何が「他よりよさそう」なのだろうか。日本の有権者の大部分は見る目がない。自分らで自分達の首を絞めている。そのとばっちりでこちらの首まで絞められるのは本当に迷惑だ。