「適材適所」。新たな閣僚を選んだ際の首相や、閣僚の不適切な言動について指摘された際に首相や官房長官が、まるで定型句のように繰り返す、最早中身のなくなりつつある表現である。厳しく言えば、彼らの言う「適材適所」は「彼らにとって都合よく動くという意味の適材を、都合の悪い話が漏れないような彼らにとっての適所に据えた」という意味であって、国民にとっての適所適所ではなく、寧ろ非適材非適所の意であることも多い。というか、彼らがこの言葉を用いる場合は「適所適材かどうか怪しい」と言っても過言ではない。適材適所の人選の筈なのに、首相や官房長官が適材適所だと言っていたのに、現政権でこれまで一体何人の閣僚が辞職するに至っただろうか。
2012年12月に現在の安倍自民党政権が成立してから、2019年10月までのおよそ7年弱の間に、9人もの大臣が辞任している。
- 2014年10月 小渕 優子/経産大臣/政治資金の不正
- 2014年10月 松島 みどり/法務大臣/公職選挙法違反の疑い
- 2015年2月 西川 公也/農水大臣/不正献金
- 2016年1月 甘利 明/経産大臣/収賄の疑い
- 2017年4月 今村 雅弘/復興大臣/震災に関する不適切な発言
- 2017年7月 稲田 朋美/防衛大臣/自衛隊日報の隠蔽問題や選挙での不適切な発言等
- 2018年2月 江崎 鉄磨/沖縄北方大臣/健康上の問題
- 2019年4月 桜田 義孝/五輪・IT大臣/震災復興に関する不適切な発言等
- 2019年10月 菅原 一秀/経産大臣/公職選挙法違反の疑い
7年間で9人、健康上の問題で辞任した江崎氏を除いても8人、つまり年平均で1人以上の大臣が不適当な言動で辞職している計算だ。これには不適当な言動で辞任した副大臣や政務官など大臣以外の閣僚、内閣人事局が選んだ上級官僚等は含まれておらず、それらを含めれば不適切な言動による辞職者は更に増える。また、金田法務大臣等、あまりにも稚拙な国会答弁に終始したにもかかわらず、辞職せずに任期をどうにかやり過ごしたような、不適切な言動にもかかわらず職を続ける者も複数いる。暴言を繰り返しているのに副首相/財務大臣の座に居座り続ける麻生老人などもその1人だ。現政権内における適材適所という話は絵に描いた餅、単なる社交辞令のようなものだとしか言えない。
大学入学共通テストで英語の民間試験を活用する制度が、2020年度から始まる予定だ。大学入学共通テストで使える英語民間試験は複数選定されており、複数受験した内の2回分の成績が大学に提供される仕組みなのだそう。しかしこの制度だと、裕福でない受験生が、経済的な理由によって必要最低限の2回しか受験できない場合があるのに対し、裕福な受験生は受験できる機会が増える為、経済的な格差が生じる懸念がある。また、受験会場と生活の本拠との距離の問題によって、都市部の生徒と地方、特に離島などに住む生徒との間にも受験の機会に関する格差が生じる懸念がある。受験会場が近隣にない生徒が受験する為には、受験の度に決して安くはない旅費が必要になるので、やはり経済的に不平等な状況になりかねない。
この制度にはこれまでもかなり多くの批判が寄せられてきた。例えば、8/29の投稿でも書いたが、柴山文科大臣が街頭演説した際に、大学入試改革に異議を唱えるプラカードを掲げて、「柴山辞めろ」「民間試験撤廃」と叫んだ大学生を、警察官が取り囲み、連行し、その場から排除したことはまだ記憶に新しい。学生側だけでなく、大学や高校なども制度に問題があるという見解を示している(大学6割、高校9割が「問題ある」 入試の英語民間試験:朝日新聞デジタル)。文科省は、制度を導入しない学校へのペナルティを検討していると「英語民間試験、活用未定大学に「ペナルティー」検討 :日本経済新聞」が報じている。欠陥の指摘されている制度を政府がゴリ押ししているのを見ると、試験業者との癒着があるんだろうな、と感じてしまう。
この英語の民間試験について、萩生田文科大臣が10/24に出演したテレビ番組の中で、受験生の経済状況や地理的条件によって不公平が生じないかと問われ、
それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ
裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがもしかしたらあるのかもしれない試験本番では、高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、
自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえればなどと発言した。彼が用いた「身の丈に合わせて」という表現に批判が集中し、「貧乏人や田舎者は貧乏人・田舎者なりにやれ、分をわきまえろということか」という趣旨の反論や、「教育基本法第3条で定められている教育の機会均等を、大臣が踏みにじるとは何事だ」という批判が強まった。これを受けて萩生田氏は10/28に謝罪せざるを得なくなった(萩生田文科相「身の丈に合わせて」発言を謝罪 英語試験:朝日新聞デジタル)。
但し、彼の謝罪の内容を見ても、相変わらず彼の考えは変わっていないようで、「とりあえず謝っておいてやる」感が滲み出てしまっている。
この件についても菅氏の示した見解は酷い。朝日新聞の記事の最後にも、
菅義偉官房長官は28日午前の記者会見で、萩生田氏について「適材適所だと思う」と述べた。とある。相変わらず馬鹿の一つ覚えのように「適材適所」だと言っている。しかし酷いのはそう言っているからだけではない。次の動画は、テレ東ニュースが公開した10/28午前の菅氏の会見の様子と、その中から萩生田氏の一件に関する部分を抽出したものだ。
記者に萩生田氏の発言の件について問われ、菅氏は、
萩生田文科大臣の発言の趣旨は承知していないと述べている。萩生田氏の発言は10/24の番組放送直後から批判の的になっていた。週末を挟んだとはいえ、遅くとも週明け早々には、少なくとも萩生田氏に発言の趣旨を確認しておくくらいのことは、政権のスポークスマンとしての役割なのではないか。
10/25の投稿でも書いたように、菅原氏の件についても、菅氏は「本人から報告があったか」と問われ「ない」、「今後本人から聞き取りを行う考えはあるか」と問われても「ない」と述べている。大臣を選任し管理監督する立場でもある首相や、その窓口となる官房長官は、大臣の不適切な言動に対する批判があっても無視する者でよいのだろうか。安部首相も、今年の4月に塚田国土交通副大臣が、4/1に北九州市で開かれた福岡県知事選挙の候補者の集会で、「麻生副総理大臣の地元・北九州市と安倍総理大臣の地元・山口県下関市を結ぶ道路の整備について、彼らの思いを忖度して国直轄の調査計画に引き上げた」という不適切な発言をしたことについて、発言の4日後に国会で問われ「(塚田氏の)発言の詳細は承知していない」と述べいた(4/5の投稿)。
つまりこの人達は、取り敢えずどんな場合でも「人選は適材適所だ」と言う機械仕掛けで、都合が悪くなりそうだと「知らない」と言って逃げ回る種類の人達と言えそうだ。
問題が指摘されている発言の趣旨を確認せずに、発言した人物を大臣にした人選は適材適所であるという見解を、政権のスポークスマンである官房長官が示すことがどのような影響を及ぼすのか、について彼らは認識しているだろうか。
菅氏が萩生田氏の発言について「適材適所」だと言い張った際の質問を投げかけたのは、今年・2019年2月に菅氏が「あなたに答える必要はありません」と言い放った(2/27の投稿)東京新聞の望月記者である。映像の表情からも、菅氏が恐らく「またコイツかよ」的な認識だろうことがうかがえる。恐らく「適材適所だ」という話も、望月記者に対して述べているという認識しかないのだろう。記者の向こう側・カメラの向こう側には何万人もの国民・有権者がいるのに。
また、記者やカメラの向こう側にいるのは日本の国民や有権者だけではない。他国のメディアや政府関係者だって当然日本の官房長官の会見は確認している筈だ。官房長官がこんな説得力のない、矛盾に満ちた発言をしていたら、諸外国や国際機関は外交交渉の相手として日本をどのように見るだろうか。更に言えば、相変わらず世論調査で毎回この政権の支持率が横ばいか微増で、支持理由が「他よりマシ」という結果が出る国の有権者をどう見るだろうか。
10/28の投稿では日本の衰退傾向について書いたし、10/25の投稿でも、この投稿で指摘したのと似たような理由で、現政権が続けばどういうことになるのか、今必要なのは「継続は力なり」ではなく「諦めが肝心」という認識である、と書いた。ほんの数日間の間に同じような事案が続くことが、この話が間違っていないということの証明だろう。
トップ画像は、anncaによるPixabayからの画像 を加工して使用した。