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カルト宗教ならぬカルト政党によるカルト政治


 「カルト」と言うと、現在の日本では概ねカルト宗教のことを指す。しかし、Wikipedia:カルト#語源 によると、カルト/Cultとは「崇拝」「礼拝」を意味するラテン語 ・cultus から派生した言葉だそうで、元来は否定的・批判的なニュアンスを持たない宗教用語だったらしい。日本でも、一部で熱狂的支持を受けた映画を「カルトムービー」と呼んだり、且つてフジテレビが放送した、サブカルチャー系のマニアックなテーマを取り上げたクイズ番組「カルトQ」など、否定的な意味を込めずにカルトという言葉を用いる場合もある。
 日本のカルト宗教の代表と言えば、1990年代に地下鉄サリン事件など複数の凶悪な犯罪・テロ事件を起こしたオウム真理教だろう(オウム真理教事件 - Wikipedia)。教祖の扇動などによって、教団に批判的な主張をした人の殺害や、捜査の攪乱などを目的として無差別テロを教団幹部や信者らが実行するということが、この日本で起きた。一部ではイスラム教原理主義を背景にテロを起こしたアルカイダやISの原型とも言われた。
 他の国にもカルト宗教と呼ばれる団体はいくつもあるし、そのような団体による集団自殺や凶悪な事件は起きているが、オウム真理教による複数の凶悪な事件を経験した日本は、ナチによってとんでもない悲劇が起きたドイツと同様に、妄信・狂信的な団体・思想の危うさを最も理解している国の1つと言えるだろう。


 最近「エクストリーム擁護」という言葉をしばしば耳にする。合理性に欠ける無理矢理な話や、論点をずらしによって何かを擁護することを皮肉った表現で、別名「アクロバティック擁護」と呼んだりもする。
 11/8に共産党・田村議員が国会で、各界で特定の功績を納めた者・功労者をねぎらう目的で首相主催で行われる「桜を見る会」に、首相を始めとした与党議員らの地元の後援会員が多数招かれていた、と指摘してから、厳密に言えばそれがネット上で大きな話題となったことを後追いする形で、11/11以降、新聞やテレビでもその件が大きく取り沙汰されるようになった。更に、今年の「桜を見る会」前日に安倍氏の事務所が取りまとめを行ったホテルニューオータニでの前夜祭的な宴会についても、地元支持者らへの不正な利益供与に当たる行為があったのではないかと取り沙汰されおり、この数年政府への忖度丸出しで、最早政府広報機関でしかなかったNHKすらも、これら件については批判的な立場の報道も行っている(「桜を見る会」安倍首相の国会答弁と食い違う証言 | NHKニュース / インターネットアーカイブ)。

 今の政権と首相が嘘まみれなことを示す例は枚挙に暇がない4/2の投稿でその例をまとめたが、その後も嘘は増えている。これらの件についても、NHKの記事が指摘しているように、既に首相自身の主張に一貫性がないのは明らかだし、首相だけでなく菅氏や世耕氏・萩生田氏ら閣僚の主張も同様だ。 関係者らが、エクストリーム擁護・アクロバティック擁護ならぬ、エクストリーム言い逃れ・アクロバティック言い逃れに躍起になっているとしか言いようがない。
昨日首相は「桜を見る会、「国会決めれば説明」 安倍首相が表明―夕食会開催、法的問題なし:時事ドットコム」と、あくまで「問題はない」と主張したようだが、不適切な行為があったという指摘が様々な根拠に基づいて行われているのに対して、彼は具体性のある根拠も示さずに「問題はない」と主張しているだけだ。
 首相自身は「「桜を見る会」安倍首相「国会から求められれば説明する」 | NHKニュース / インターネットアーカイブ」と発言しているのに、


国会での説明の場を設けることの出来る与党・自民党が「「桜を見る会」内閣委で質疑へ 予算委審議は自民が応じられず | NHKニュース / インターネットアーカイブ」という態度を示しているのも滑稽だし、これもエクストリーム擁護・言い逃れの一環としか言いようがない。
 何故なら「【主張】安倍総裁会見 国民に分け入り憲法語れ - 産経ニュース」に
安倍晋三首相が、自民党総裁としての記者会見で、参院選の争点だった憲法改正について「少なくとも議論は行うべきであるというのが国民の審判だ」と述べ、改憲論議の促進を与野党に呼びかけた。

とあるように、彼は憲法改正に言及する際には、憲法に縛られるべき立場の首相ではなく、国民によって選出された国会議員・自民党総裁として主張していると言っているのだから、この件に関しても、自民党総裁として所属議員らに「自ら国会で丁寧な説明をしたいので、その為の場を設けてくれ」と指示すればよいのに何故かそれをしない。単に都合が悪いからそうしないとしか思えない。


 日本人の大半は、こういう男とその腰巾着たちを「他よりマシ」だとして、もう何年も支持・信任し続けているが、もし本当に彼よりマシな政治家がいないのだとしたら、日本は沈むべくして沈むのだろう(11/10の投稿)。こういう政治家を「他よりマシ」だと言ったり、「ただなんとなく」「自民党ファンだから」みたいな具体性のない理由で支持したりすること(11/11の投稿)は、狂信的・妄信的と言ってもよいのではないだろうか。これはもう、カルト宗教ならぬカルト政党によるカルト政治だろう。
 首相による公職選挙法違反・公金の不正流用などに大きな疑義が生じているのに、それを矮小化する目的が強く感じられる主張を、一部の著名人がこの期に及んで行っていることもそう感じられる要因の一つだ。



1人は所謂おバカタレントとして有名な人物なので、概ね考え足らずの主張と捉えられていそうだが、もう1人は一応、東大研究員・国際政治学者という立場でテレビ等にコメンテーターとしても出演している人物であり、その見解が合理性のあるものとして受け止められている恐れがある。但し彼女のこの見解に対しては、検討違いも甚だしいという反論もSNSなどで多く示されてはいる。
 他にも「桜を見る会は民主党政権下で鳩山氏も行っていたのに、何言ってるんだ」的な主張もしばしば目にする(桜を見る会「鳩山首相が例年より相当多く呼び、1万人の大台に乗った」は誤り)。 しかしもし万が一鳩山政権下でも現政権同様の会が開かれていたのなら、同様に責任を追求するだけで、それによって現政権の不適切な行為がチャラになることはない。一応付け加えておくと「「桜を見る会」招待者名簿、民主政権時代は公開前提 TBS NEWS」という報道もある。




 次のムービーは、カリスマ的権威・権力、イデオロギ、社会的統制などを専門とする、アメリカの社会学者で作家であるヤーニャ ラリッチさんによる、「なぜ人はカルトに惹かれてしまうのか」という話をアニメーション化したものだ。音声は英語だが日本語の字幕が表示されるように設定してある。もし字幕が表示されない場合は設定から選択できる。



 現政権の積極支持者らには、政府批判をする者を「反日」と一括りにして罵倒するなど、この動画で指摘されている「組織への批判を許さない」というカルト組織の傾向と似た側面があるし、政府自体にも、批判的な者を警察に排除させたり、批判的な側面を持っている、若しくは意に沿わない芸術作品に否定的であるなど、似た傾向が表出している。また、現政権には天皇の権利を利用する傾向も強く感じられる(「エンドレス万歳」だけじゃない。天皇陛下即位の国民祭典、研究者の持った3つの違和感 / 「大嘗祭」と憲法の関係は? 秋篠宮さまの問題提起をふりかえる BuzzFeed Japan)。
 因みに、現政権与党の政治家や支持者には、「伝統を重視すべき」という論拠で同性婚や選択的夫婦別姓・女系天皇などに反対する者が少なくないが、大嘗祭に為に建てらてた大嘗宮の屋根はこれまで茅葺だったのに、予算削減等を理由に板葺にされても(大嘗宮の茅葺きは断念 復活へ次代に課題 - 産経ニュース)、声高に「伝統を守れ」と言う反対運動などは起きない。それは「政府が決めたことだから従うべき」という思考に基づいた判断にしか見えず、つまり伝統を恣意的に利用している側面が感じられ、そんなことからもカルト的な状況の浸食が感じ取れる。
 ナチ程酷いことになるかどうかは別として、現政権関係者や支持者には、在日朝鮮人や韓国への憎悪を鮮明にしている者が多いなど他にも構造的に似た部分があり、且つての戦争に至った経緯やオウム真理教による事件を反面教師として考えれば、このような状況は決して看過することはできない


 何故安倍氏率いる現政権がここまで嘘まみれかと言えば、これまで嘘で誤魔化すことに成功した経験が複数あるからだとも言える。言い換えれば、首相や政権の嘘や誤魔化しをメディアや有権者が許してきたからそんなことになっているとも言えるだろう。もし今回の桜を見る会とその前夜祭的な会についても、エクストリーム擁護・エクストリーム言い逃れを許せば、そのような傾向に更に拍車が掛かることになるだろう。それはこれまで首相が何度も「責任は私にある」といいつつ同じようなことが繰り返されていることからも明らかだ。
 そんな同じ過ちを何度も繰り返す男を「他よりマシ」として7年も首相として信任していたり、原発事故を起こしても尚、関連施設でマイナートラブルが続出しているのに政府が再稼働に積極的なことを考えれば、日本は世界でも屈指の過去を省みることが出来ない国民性なのかもしれない。昨今の歴史修正主義的な動きや、過去の戦争や戦前の日本を過度に美化しようとする一部の傾向からもそう感じる。
 現在日本は、カルト政治に拍車が掛かりカルト国家化が進むか否かの分水嶺にある、と言えるのではないだろうか。


 トップ画像は、Photo by Kate Kalvach on Unsplash を加工して使用した。 当該画像には Cult というタグは用いられておらず、単なる音楽イベントを楽しむ人の画像である可能性が高い。

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