楽天市場が、来年3月から3980円以上の購入で一律送料無料、にする計画を発表したところ、その送料を出店者に負担させる方針だった為に、出店者からは「商品によって赤字になるものもある」との声があがった。この一方的な方針公表に対して、独禁法が禁じる「優越的地位の乱用」に当たるとして、出店者らは公正取引委員会に調査を求めた(東京新聞:出店者負担で送料無料 「楽天の地位乱用」公取に調査要請:社会(TOKYO Web))。
3980円以上の買い物で一律送料無料と聞くと、利用客は得をした気分になるかもしれない。しかし、前述のように出店者に無理な負担が強いられることになるし、出店者らは赤字にならないように送料分を上乗せした価格設定をするようになるだろうから、便乗値上げも有り得る。上乗せする価格も最も高い送料を考慮した金額になるだろうから、確かに3980円以上の買い物で一律送料無料は分かり易さというメリットはあるが、結果的に利用客が損をする恐れがかなり高い。
楽天市場にはあまりよいイメージを抱けない。というか寧ろ悪いイメージしかなく、他で購入できる商品は楽天市場では買わない。楽天市場のイメージの悪さにはいくつか理由があるが、以前自分が楽天市場へ出店していた店の管理業務をしていた経験が一番大きい。最近は幾分マシにはなっているが、当時の楽天のサイトデザインのダサさ、不自由さはかなり酷かった。その程度のシステムで毎月数万の出店料を取っていたことが1つ目の理由だ。数万円の料金を毎月支払う価値のあるシステムとは思えなかった。
2つ目の理由は楽天の担当者のレベルの低さだった。月に1-2回程、担当者と称する者から「最近どうですか?」的な電話があったが、年に数人担当者が変わるのもザラだったし、誰もが的外れなことしか言わないし、前述のシステムのダサさ・古さを指摘してものらりくらりかわすだけで、担当者がいる意味が全くなく、「担当者なんていらないから出店料をその分下げろ」という感情しかなかった。
その他にも、何十倍などを謳う胡散臭いポイントシステムなどにも全く馴染めなかった。楽天は日本のECサイトとして最初期に名を上げたことを活かし、相応に出店者を集め、今でも国内では相応の地位にあるが、海外では全然上手くいっていない。海外でアマゾンなどに歯が立たない理由は定かではないが、個人的には、前述のような事をしていたら、お人好しが多い日本人は騙せても、損得勘定にシビアな海外の人は騙されなかったんだろう、と感じる。
楽天に出店していた店を管理していた時に感じていたことには、担当者が自分の成績アップ目当てで、自店の分野に全く精通していないのに、見当違いも甚だしい内容で口を挟んでくることへの違和感もあった。数日前に「餅は餅屋」に関する投稿を書いたが、彼らは店舗運営や経営の餅屋ですらなかった。個人的には単に自分の成績を上げ、自分の給与・利益を上げたい、としか考えていないように思えてならなかった。だから年に数人も担当者が変わることがあったんだろうと考えている。1年に何回も担当者が変わる企業を信用することなど出来るだろうか。
利益目当ての門外漢が介入してくることで、本来の当事者が翻弄されるということはしばしば起きる。イギリスの老舗自動車メディアの日本版・Autocar Japanが「【奥深きミニカーの世界】手に入れるべきは好きなモデル 値上がり、期待は禁物 - ニュース | AUTOCAR JAPAN」という記事を掲載している。
ミニカーコレクターに関する記事で、その中にはコレクターによる
本当に好きなモデルを収集すべきであり、将来の値上がりなど考える必要はありませんという話が含まれている。ミニカーに限らず投機対象にされることで、純粋にそれを欲している人達が困る・翻弄されるというはよくある話だ。日本のバブル景気や、現在の香港や台湾では土地や不動産が投機の対象となり、本当にそこへ住みたい人達が住めなくなるという状況が起きた/起きている。
資本主義経済の社会では何をするにも資本、つまりお金が必要で、なにかしらの方策によってお金を増やすことを画策するのは決して悪いことではない。お金を稼ぐことは自己実現の手段でもある。しかしバランスを逸してしまうと好ましくない状況が生じる。それがバブル期の日本であり、しかも、バブル経済へのバランスを欠いた対処の悪影響が、今も残っている。投資や投機自体は決して絶対的な悪ではないが、実業や実態経済と乖離してしまう程バランスを欠くことは許し難い。
似たような話は政治の世界にもある。
政治は数であり、数は力、力は金だというのは1970年代の日本の首相・田中 角栄の言葉だが(教えてもらう前と後:田中角栄が残した言葉はなぜ現代人に響くのか - 毎日新聞)、現在自民党幹事長である二階氏も「数は力」の信奉者だ(【政界徒然草】衆院選惨敗の自民党二階派 救いは大勲位の孫入会 「進次郎氏と並ぶ総裁候補に」との期待もあるが… - 産経ニュース)。しかしその二階氏は、12/3の投稿でも触れたように、「桜を見る会」に総理の地元支援者が多数招待された件について、支持者の参加は「当然」だという認識を示した。
どんなに素晴らしい政策を掲げても、議会制民主主義の下では議席を一定数確保しなければ、それを実現することもままならない。だから「数は力」という所謂数の論理(Wikipedia)にも一定の理はある。しかし、本来は素晴らしい政策に票が集まって議席の確保につながるものなのだが、議席・支持確保の為に支持者を接待するというのは公職選挙法に抵触する恐れのある話だし、しかもそれが、各分野の功労者を集めて労う会を隠れ蓑にして、公金を用いて行われることが「当然」なんて話は確実にバランス感覚を逸している。
また、11/24の投稿でも書いたが、集票目当てで擁立したとしか思えない素っ頓狂な発言をする有名人候補も自民党には複数いる。更に杉田何某らのように、票の為に過激な差別・偏見をまき散らすような者も少なくない。勿論よく考えずにそのような候補者に票を投じて議席を与える有権者にも責任はあるが、バランスを欠いた数の論理偏重による、国会議員の資質に乏しい者の擁立や、支持者への利益供与が当然などと言う者が幹事長を務める党は許し難い。それは数の暴力(Wikipedia)を容認することにもなるからだ。
楽天がその出店数の多さによる集客力を背景に、一方的に出店者への負担を強いる3980円以上の購入で一律送料無料という方針と同様に、政権を担う与党という地位を背景に、自分達の支持者接待に公金を用いることを正当化した、二階氏の示した「桜を見る会」に総理の地元支援者が多数招待された件について、支持者の参加は「当然」という話は、「優越的地位の乱用」に当たるだろう。
また、国会議員としての資質に乏しい者を「数の論理」を理由に擁立することは、つまり利益目当ての門外漢が政治に介入してくることになるので、本来の当事者、言い換えれば有権者・国民が翻弄されることになる。この場合の利益とは、与党が政策ではなく候補の知名度によって立場を維持するという利益、有名人が国会議員という肩書を手に入れる利益など、全体ではなく一部の者が得る利益だ。
この週末・12/7-8にJNN(TBS)によって世論調査が行われたようだが、内閣府支持率は下落傾向ではあるものの、それでもまだ凡そ50%に近い数字である。
世論調査に触れる度に毎回言っているが、この調査に不備がないなら、
日本人の半数はどうかしている、自分の首が絞まることに無頓着としか言いようがない。
トップ画像は、Gerd AltmannによるPixabayからの画像 を加工して使用した。