「音楽家が政治に口をだすな」「芸人風情は黙ってろ」「芸術家は芸術だけやってろ」のような話に対する当事者たちの反論を、このところよく目にする。ただ逆に「文句があるなら国会議員になってから言え」のようなことを言う芸人もいた(4/20の投稿)。
この「芸能人や芸術家は政治に口を出すな、黙ってろ」という話も、「政治に文句があるなら国会議員になってから言え」も、根本的に議会制(間接)民主主義の大前提と矛盾する。芸能人だろうが芸術家だろうが、誰もがその肩書以前に1人の有権者だ。有権者が政治に口を出せないのは民主主義ではない。また、国会議員にならないと政治に口を出せないのも、間接民主主義を否定することになってしまう。
間接民主主義における議員とは有権者に選ばれた代表だが、決して全権委任をされたわけではない。選ばれた議員によって構成される立法府、その立法府の中から更に選ばれた者によって構成される行政府がおかしなことをしていたら、有権者が批判・指摘するのは当然の権利だ(間接民主主義 - Wikipedia)。その権利を守る為に、表現の自由が憲法で保障されている。
有権者の批判に妥当性がなければ、その批判が更に批判・指摘されるのは当然だが、有権者の政治を批判・指摘する権利を規制・非難しようとするのは、独裁国家や独裁を望む人達がやることである。
「写真家がなぜ政治に発言?」と時折聞かれる。似たような言葉が溢れている。「ミュージシャンがなぜ」「俳優がなぜ」と。そもそも、政治的発言をタブー視すること自体が、とても”政治性”を帯びたものだということに気づきたい。— 安田菜津紀 (@NatsukiYasuda) April 28, 2020
感染拡大の影響が続く中で、誰しもが政治と無関係ではない、という実感も広がってきているようにも思う。大切なのはそのつながりを、こちらから手放さないことだと思う。「民主主義」は決して楽な制度ではないけれど、その都度疑問に感じることを、「これはどうなの?」と問いかけていきたい。— 安田菜津紀 (@NatsukiYasuda) April 29, 2020
それと似た、「素人が考えるようなことは、専門家は既に考え、既に検討もしているのだから、素人は黙ってろ」のようなことを言っている、専門家を自称するSNSアカウントも決して少なくない。確かにこの状況で、専門家を自称するSNSアカウントに対して暴言を投げつける行為も多く目にするので、その種の主張を何度も何度もぶつけられた当該アカウントが、そんな風に言いたくなってしまうのも決して分からなくはない。
だが、そんなことを言ってしまうと、たちまち「専門家」全体の信頼性を下げることにもなってしまう。何故なら、平時から医療関係の話題に興味を持って情報に接していれば、どの専門家が信頼出来て、どの専門家が単なる「自称専門家」なのかは大体分かるのだろうが、専門家は流石に芸能人程各個人が注目されるような人達ではないし、政治家のように考え方の傾向による政党という括りがあるわけでもない為、一般的には誰が信頼出来て誰が信頼感に乏しいのかを計ることが容易ではない。だから「専門家」と一括りにして捉えてしまう人が決して少なくなく、1人の専門家の印象が専門家全体の印象を大きく左右してしまう。
例えば、自分はNHKの報道に強い不信感を持っているが、NHK Eテレなどには今もまともな番組もある。だが、報道はNHKの大きな柱であり、それに強い不信感があればNHK全体の不信感に繋がるのは当然で、NHKは、という括りで局の傾向を批判されても仕方がないのと似ている。
そもそも、この新型コロナウイルス感染拡大が始まってから、政府や厚労省、政府専門家会議は「軽症者は自宅で様子を見て」と言ってきた。だが、近頃症状を訴えていた人などが自宅で急変して死亡するケースが相次ぎ、その方針を変えた。これを勘案すれば、「素人が考えるようなことは、専門家は既に考え、既に検討もしている」には説得力がない。
- 新型コロナ死去の岡江久美子さん 発熱から自宅療養4日間に悪化?医師の指示「様子を見ましょう」は正しかったのか?: J-CAST テレビウオッチ
- コロナ専門家会議「”4日様子みて”言ってない」と虚偽説明…検査抑制で在宅死亡者増加か
- 軽症者は宿泊療養に、自宅療養中の男性死亡で方針転換…加藤厚労相 : 政治 : ニュース : 読売新聞オンライン
また、もう何度も書いているように「満員電車はライブハウスやクラブ、宴会程危険ではない」という、一部の専門家や厚労省が示してきた話も3/4の投稿で既にその矛盾を指摘している。これも当時から不信感を示す人が多かった。また、その話が専門家や厚労省の言う「濃厚接触」の定義と矛盾することも、3/29の投稿で指摘した。
電車に乗ることが感染の懸念のあることだ、と政府専門家会議の関係者が認めたのは4/15になってからだ(感染防止対策なければ国内で・・・ 専門家“41万人余り死亡”の試算 TBS NEWS)。
それ以前に、2月の、横浜に寄港したクルーズ船の対応もかなり酷かった(2/24の投稿)。そのようなことが前提にあるのに、サイエンスライターの片瀬 久美子さんがこんなツイートをしている。
COVID-19は、新しいウイルスでまだ未知のことが多いので、ある時点で得られている知見は、その後に得られてきた知見によって次々と上書きされていきます。— 片瀬久美子🍀 (@kumikokatase) April 26, 2020
専門家などの過去の意見を取り上げて貶すのは「後出しジャンケン」みたいなものです。。。
私も3月初め頃は、軽症者は自宅療養で良いと考えていましたが、その後に急激に悪化する事例が多数報告されてきたことから、現在は自宅待機では急変に間に合わないので医師による健康管理ができる専門施設(軽症者用の宿泊施設など)で療養する方が良いと考えを改めています。https://t.co/9l0SPNT3th— 片瀬久美子🍀 (@kumikokatase) April 26, 2020
ツイートを見れば分かるように、「軽症者の自宅療養」に関して、片瀬さんは、新しいウイルスでまだ未知のことが多いので、ある時点で得られている知見は、その後に得られてきた知見によって次々と上書きされるので、専門家などの過去の意見を取り上げて貶すのは「後出しジャンケン」みたいなもの、と言っている。
自分のように、3月初旬から当時の厚労省や専門家会議の方針に懸念を示してきた者にしてみれば、分かってないことも多かったのだから当時のことを掘り返すな、という擁護こそが「後出しジャンケン」にしか思えない。
片瀬さんは厳密には医療専門家ではない。だが彼女の専門は細胞分子生物学で、京都大学大学院理学研究科で博士課程を終了しており、且つサイエンスライターでもあり、全くの素人でもない。このような肩書を持つ人が、1-2か月程度前の専門家の見通しを持ち出して批判するのは「後出しジャンケン」だと言うことは、逆に専門家の信頼を失わせるだけではないのか。
確かにこの新型コロナウイルス感染拡大に関しては、専門家の示す見解を元に、最終的に施策の責任を負うのは政治であり、専門家の判断だけを責めるのは間違っているが、見通しが甘ければ、見通しが甘かったと批判されるのも当然で、後出しジャンケンなどと言って批判を避けようとすれば信頼を失うことになる。
一つの組織の中で長く働いていると、その環境が自分にとっての当たり前になってしまい、組織の外から見たら異様なことでもそれを感じることが出来なくなる。同調圧力が強いと、異様なことだと気が付いても指摘することは難しく、異様さに気付いた者から組織をさることになり、異様だと気付かない者がその組織内に溜まっていくことになる。ブラック企業はそうやって培養されるのだろう。
つまり内側からでは分かり難い・気付き難いことというのが間違いなくある。勿論逆に、外側からでは見え難いことも確実にある。だから政治の話にしろ、医療の話にしろ「素人は黙ってろ」というのは間違いなく悪手でしかない。もし妥当性のない批判、批判とは呼べない中傷に晒されたとしても、それを指摘し反論することには何も問題はないが、間違っても「素人は黙ってろ」と言ってはいけない。それを言ってしまうと、残るのはYesマンだけになってしまう。そんな環境で合理的な検討が出来るのか、と言えば間違いなく難しくなる。
トップ画像は、Photo by Nikita Kachanovsky on Unsplash を使用した。