落語には与太郎噺というジャンルがある。カボチャ屋・道具屋・孝行糖・大工調べなどがその代表的なネタだ。それらに出てくる与太郎キャラクターとはどこか憎めないタイプで、稀に杓子定規な人に対する鋭い指摘をしたりもするが、基本的には間が抜けていて物事をよく考えないタイプだ(与太郎 - Wikipedia)。
菅は支持率急落を受けてか12/14に、年末年始・12/28-1/11に限って全国的にGOTOトラベルを停止するとした(GoToトラベル、全国一斉に一時停止。12月28日から1月11日まで ハフポスト)。これは、これまで「GOTOトラベルが感染拡大の主要な原因だというエビデンス(証拠)は存在しない」「GoToキャンペーンの一時停止は考えていません」などとしてきた姿勢(12/12の投稿)からの急激な方向転換だったようで、官僚や現場がその対応にてんやわんやになっているという声も聞こえる(GoTo停止、国交省や観光庁徹夜で対応 「仕方ないけど…」 - SankeiBiz(サンケイビズ))。しかも、これに伴うキャンセル料補償は国の予算、つまり税金で行われる。愚策の尻拭いを国民がさせられると言っても過言ではない。もっとも、こんな自民政権を8年も概ね支持し続けてきたのは日本の有権者なので、ある意味では自業自得なのだが。
突然そんなことを言いだした菅自身は呑気なもので、感染が拡大する中で、政府が4人以上の会食や忘年会の自粛を再三要請していた状況でもあるのに(GoToイートは原則4人以下、静かなマスク会食も…首相が要請 政治 ニュース 読売新聞オンライン)、その12/14の夜に、東京・銀座のステーキ店・銀座ひらやまにて、自民党の二階幹事長、林 幹雄幹事長代理、プロ野球・ソフトバンクの王 貞治球団会長、俳優の杉 良太郎、タレントのみの もんた、政治評論家の森田 実らと計8人で会食をした。
この会食については、首相動静が発表された数時間後に時事ネタ芸人のプチ鹿島さんがそれをツイートしていて、自分はそれを見て「感染拡大する中で首相が会食。アホ丸出し。」と引用リツイートしたが、同じ様に感じた人が多かったのか、やはり問題視され始めた。
この件について官房長官の加藤は、翌12/15の会見で
首相は必要な注意を払っている。会食目的と感染防止対策のバランスの中で個別に判断することが重要だ
と述べ、問題にならないと菅を擁護した。
菅首相が「GoTo停止」の夜に二階氏らと5人以上の会食 官房長官「注意払っている」と問題視せず:東京新聞 TOKYO Web
更にコロナ対応担当大臣の西村も、今日・12/16の衆院内閣委にて、
一律に5人以上は駄目だと申しあげているわけではない。そのような強制力も(政府には)ない。ただ長時間、大人数の会食はリスクが高いので、できるだけ控えていただきたい。
と答弁し、菅を擁護している。
5人以上の会食、一律で駄目とは言っていない=西村再生相 ロイター
会食は5名以上だったが、適切な感染防止策が行われた上での会食であり問題性はなかったと言うなら、会食時の写真でも公開すればよいのではないだろうか。そうすれば、誰もが「なるほど、こういう環境なら気兼ねなく忘年会ができるのか」と納得するだろう。感染抑止も大事だが経済対策も重要だと言っているのに、なぜそういうアピールを菅自身が率先してやらないのか。
また前述のように、年末年始のGOTOトラベル一時中止は急な方針転換で、官僚や現場は徹夜で対応に追われているというのに、言い出しっぺの菅本人は、そんなことはお構いなしで忘年会に興じていたのはどうか。ロイターの記事にあるように、同席した俳優の杉 良太郎さんが忘年会だったと説明しているので、政策に関する会談だったとは言い難く、遊興の類であることは間違いない。上司が突然方針を変え、その尻拭いを部下に押し付け、「あとはやっといてネ」と自分は宴会に出かけたら…と考えたら、ブラックな上司としか言えない。
菅という与太郎の物事をよく考えない行動によって、太鼓持ちが詭弁を弄するなんてのは、裸の王様的な与太郎噺の類だろう。落語なら笑えるが、これが現実だと全然笑えない。寧ろ恐怖ですらある。
既に感染をほぼ抑え込んでいる地域もある中で、日本で新型ウイルスの感染拡大が深刻な状況なのは、こんな与太郎政権の所為、そんな政権を支持している有権者の自業自得としか言いようがない。
また今朝はこんなツイートもタイムラインに流れてきた。
コロナで窓を開けての授業。防寒対策について制服の下にセーター等を着用するのは良いが制服の上に防寒着を着用するのは認めないという学校があるようだ。コートを着て教育上何の支障があるのか。これでは、生徒に探求力、問いを立てる力を教えることなど土台無理だろう。
— 出口治明 (@p_hal) December 15, 2020
未だに日本の教育の場にはルール原理主義が根強く残り、且つ理不尽なことでも我慢するのが美徳のような感覚もまだまだ根強い。ルールの意義や本質・理念・目的をよく考えずにルール自体にとらわれてしまうことがどんな悪影響を及ぼすのかについては、
- ルールの本質(2018/4/4)
- ルールに隷属することを強要する日本型教育(2020/7/4)
などで書いているので割愛するが、ルールの意義を考えずにルールにとらわれるとこういうことが起きる。日本の学校、学校のみならず家庭教育でも、そして社会全般にも「ルールはルールだから」という杓子定規な原理主義が蔓延ってる。
しかしその一方で今日本では、政府が憲法や法律の解釈を国会の承認も得ずに勝手に、そして強引に捻じ曲げることがしばしば起きているし、この投稿で取り上げたように、自分達が示した基準さえも「俺たちだけは例外だ」のような態度を示す、政府によるルールの軽視も起きている。
これで果たして子どもたちは理不尽な校則に納得するだろうか。これだから大人は信用できない、と既に明らかに大人と呼ばれる年齢になっている自分ですら思う。大人と呼ばれる年齢の自分がそう思うのだから、子どもたちの全般は理不尽だと思っているに違いない。